- 2011⁄05⁄31(Tue)
- 00:32
羞恥の医療体験 高2
泌尿器科にかかったことありますか。それは羞恥の極みです。受難の一日、厄日の一日となることでしょう。泌尿器科は主に尿路の検査です。
産婦人科の診察台のような、腿を受ける装置のある上に足を開いて寝ます。肛門科とかなら、少なくともそこは隠してくれますが、泌尿器科は逆に少なくともそこだけは見せないといけません。
その上全開した股の間には、椅子が置かれていて、そこに座った医師が膀胱鏡で膀胱・尿道の中をくまなく調べるのです。
その産婦人科と同じ診察台で、ヒザをベルトで固定された時、ああ!いよいよだな!と思うと、これから起きるであろう事は尋常のことでないと覚悟はしつつも、そのことを想って居た堪れない気持ちになりました。何で自分がこんな目に・・・と。
股を全開に突っ張って痛いくらいに両脚をいっぱい開きます。もちろん人に見せない、触れさせない恥ずかしい部分は臍から肛門まで丸見えです。試みに脚を締めようとしても、しっかり固定されてて動きません。
僕は、いつも一人で勉強部屋に鍵をかけ、勉強に疲れると一人いけないことをしていました。僕のやりかたは、先端の敏感な皮の部分をひとりいじめる事です。先端をつまむと力を入れたり抜いたりします。
力を入れると敏感な包皮は引っ張られ抜くと元に戻ります、それに捻り運動を加えます、つまり揉みしだくのです。また、敏感な先端を突付いたりして快感を楽しむのです。出そうになると、いやらしい指の運動を緩め、しばらくしてまたします。
出てしまう時は、たいてい先端をつまんで、紙を探し始末するのです。終わるとこんな事もう絶対しないぞと心に誓うのですが、しばらくすると待たしてしまい、自分が嫌になってくるほど何回も何回もしてしまうのです。
それは、僕がちょうど15歳の高校一年生の頃、オナニー盛りの恥ずかしい頃でした。ある時、僕は学校の尿検査で血尿の判定がでて、再検査ということで、地元の内科のお医者さんへ行った。そして、そこからの紹介で、病院の泌尿器科にいくこととなった。
受付を済ませ、中へ案内されると、そこには「膀胱鏡検査室」という札が付いていた。
看護婦さんが来て、「はい、では、下を全部脱いでそこの籠に入れ、この台に乗ってくださいね」と声をかけてその場は離れた。
その台というのは、産婦人科の診察で使われるような、足を大きく開かせるものだったので、見ただけで一気に、恥ずかしい気持ちがこみ上げてきた。
僕は、はいていたものを脱いだ。ズボンのバンドを緩めチャックに手をかけてズボンを脱いでそばの篭に入れた。そして嫌だな、逃げ帰りたいと思いつつも、観念してパンツに手をかけ全て脱いでしまったが、身の置き場もなかった。
かといって診察台にあがる気にはなれず、下腹で手を組むようにして前屈みになって、もじもじしていた。
看護婦が来て、「いい、じゃここから上がってください」と踏み台を指差した。もう個々まできたら、嫌でも上がらないわけに行かない。今は椅子のような物らしいが、当時検査台はかなり高く、パイプでできてて、寝るレザー部分と、両方の脚を受ける台がついている。
死刑台に上がるってこんな気持ちかと思いながら、前を隠しながらブラブラさせて上がるのはみじめな気分だ。
レザー部分は傾けられる上半身の部分と尻がちょっと乗る程度で体を置く長さが無い、脚を脚台に乗せないとおっこってしまうのだが、とてもできず、股を閉じヒザを腹につけるようにくの字にして背中だけで寝るようにした。
尋常なことではないだけにどうしても、文字通り尻ごみしてしまうのだ。
看護婦は、「恥ずかしがらないで、もっとこっちに寄ってね」と僕のお尻を持ってグット
前の方に引き寄せた。
なおも、脚を閉じていると、「そんなかっこうしていたら、先生がみられないでしょう。」「男の子でしょう、」と、軽く裸のお尻をたたかれた。くの字に曲げていた脚を開くと、「はい、じゃあ、ここに足を乗せてくださいね」と 看護婦さんはそう言うと、僕の足を広げ高く上げて、事務的にバンドで固定した。
こうして検査に向けて準備が進められる。そしてもう自由は無く、その脚台の高さを調整するようにして、なお大きく広げた・もうされるままだ。やだ!!、脚はつっぱり、もういやでも閉じたり無動き出来ない。
まもなく始まるだろう診察開始に向けて完全無防備・全開にされてしまった・・・。この台でこれまで何人がされたのだろうと、ふと思った。
何で自分がこんな目にあわなければ・・・と。そこには、ちょっと先端にふれただけで、反応してしまう敏感なアンテナのような肉の器官が無防備にされて垂れ下がり、自由にされるのを待つだけ。
そして、しばらくそのままの格好のまま、検査器具を並べたりするガチャガチャとした金属音を聞きながら最後の時を待つのである。もう完全にまな板の鯉状態。
ガチャガチャ音は、これからされること、その羞恥と恐怖を意識させ、とても勃起などという状態でなく、たぶん小さく縮ン出しまっていたのだろう。もうまもなく、握られて、つままれて・・・・などと思うととても。
しばらくすると、お腹の辺りに、カーテンがひかれていて、向こうが見えないようになっていた。
準備をしますといってチンポコを握られた。「あっ!」と思わず声に出しそうになり、思わず身を引いて本能的に股を閉じようとした。
感じないように上を見たまま天井の染みが何に見えるかとか、関係ないことを考えて反応しないようにした。しばらくそれでよかったが、おちついてその掌を意識しだすと、すこしずつ反応し始めた。
これはやばい、なんとしてもこれ以上はくいとめなければ・・
もうはじまるというのに、そればかしは・・・・でもそう意識すればするほどどうにもならなくなるのだ。
男って本当に困る、今でもあれはいったいなんだったのだろうという気がしてならないのだ。でもされるままだ。検査に向けて、心と肉体に検査に耐えられるよう準備させようとの親心か、それやめてほしい!。
まだ皮がかぶっているチンポコや肛門など、全てを丸見えにしたまま、しばらく待っていると、カーテンの向こう側で、先生の声がした。
「はい、では、おちんちんを消毒します、ちょっと冷たいけど我慢してね」「めくるけど、ちょっと痛いけど我慢してね」と言った。とたんに、何かやわらかくて冷たいものが、僕の股間に触れた。もみながら皮を剥かれ、内側まで丁寧に拭かれ痛かった。
後で知ったのだが、あまり柔らかくぐにゃぐにゃしてるより半勃起状態とまではいかなくてもちゃんとしてたほうが消毒などのためには、よいらしい。
それから数分間あまりのことで、僕のペニスは戻らなくなっていた。非常に敏感なので自由にならない。「ちょっと待って!」、そういいたい時が何回か訪れたが、恥ずかしくて声にだせなかった。
そしてついに・・恥も外聞も無く、生理の赴くまま、恥ずかしい結果になってしまった。そのとても人に見せられない恥ずかしい生理に、思わず股を閉じて隠そうとしたのですが・・いつもしてる行為をみられたようでその恥ずかしいといったら無かった。
何かとても悪いいけない事をしたような思いだった。でも、先生は気にする事も無く、下腹や内股などに恥ずかしい生理の結果飛び散ったものを綺麗に始末してくれたようだ。そして落ち着くまでしばらく休んでくれた。
数分後、先生が「よし、もう大丈夫。いくよぉ」と言った。そのまま僕のちんぽこの口には、何かジェリーのようなものがぬられ、しばらくクランプをかけられた。
いよいよこれから、チンポコに膀胱鏡という金属製の管を入れるのだということだ。胃カメラは口ですが、膀胱鏡はこともあろうにチンポコにいれるのだ。
「でははじめます、口をあけて息して下さい」と言われて、チンポコを完全に掌に握られ強く引き抜くように先端に向けて引き上げられるようにされ、同時にヘソのほうに倒されたのです。それは生易しいことではありません。
もう完全に意のままにされてるって感じです。尿道の形をまっすぐにするのでしょう。膀胱鏡検査の厳しさを感じさせるものです。もう痛くても恥ずかしくても、耐えられなくても任せきりとなります。
「口をあけて力を抜いて息して下さい」途端激痛でした。とても勃起するなんてものではありません。でもすでに、全部出してしまったばかりなのでかえって射精を迎える時のあのどうにもならない思い・恥ずかしさは、膨らむくらいで少なくて済んだようだ。
膀胱鏡検査とは、泌尿器科の大切な検査で、素っ裸で大きく開股し、丸出しにされる恥ずかしさ。
それ以上に、恥ずかしい所を動かぬよう人権無視で「うなぎ掴み」でしっかり掌中にされ、誰にも触れさせない敏感なところ、そこに金属検査器具(膀胱鏡)を容赦なく入れられる痛さに耐えるのです。
途中位までは我慢出来る痛さなんですが、奥に進むにつれあそこを前に倒されます。最後の膀胱に入るまでは、我慢出来ない痛さでした、涙が出てきました。睾丸のあたりが、突き上げられる感じで、尿道が痛い。足の指を動かし、診察台のパイプを握り痛さに耐えます。
その後は20分位何やらやっているのですが、入れる時ほどの痛みはありませんでしたが、普通の痛みと違和感をたした感じです。
途中、水?を入れたりしていますので、とてもおしっこしたい感じが強くなるのを我慢していました。
他にいろいろされたが、後で書きます。検査が終わり膀胱鏡が引き抜かれ、すべてが終わって、カーテンが開かれ、「はい、ごめんなさいね。もう終わりましたよ」先生はそう言うと、看護婦に清払させました。
未だ痛いので見ると、包皮は完全にめくりあげられ、やや赤い亀頭が剥き出しにされていました。それは自分でも始めてみるものでした。それを看護婦はもう一度清払して皮を引っ張るようにして元に戻してくれたのです。
そして、脚台を元の状態に戻し、脚を留めてあったバンドをはずして裸の脚を下ろしてくれました。元のように、腰を折りたたんで曲げ横になって降りたのですが、その時はもう昇るときのように、腰を折り曲げたり手で隠したりしませんでした。
もう、すっかりすべてを・・チンポコ、肛門、袋・・だけでなく包皮の中、膀胱の中まで、それに絶対みせたく無かったエレクトしたところ、そこから噴出する恥ずかしい生理の一部始終まで見られてしまった気恥ずかしさは消え入りたいくらいだった。
そこまで見られてしまった以上、もうそれを隠すこともなくなったからです。それが僕の恥ずかしい思い出です。こうしたことを経験したものもいることでしょう。今日も日本のどこかで羞恥が繰り広げられてることでしょう。
産婦人科の診察台のような、腿を受ける装置のある上に足を開いて寝ます。肛門科とかなら、少なくともそこは隠してくれますが、泌尿器科は逆に少なくともそこだけは見せないといけません。
その上全開した股の間には、椅子が置かれていて、そこに座った医師が膀胱鏡で膀胱・尿道の中をくまなく調べるのです。
その産婦人科と同じ診察台で、ヒザをベルトで固定された時、ああ!いよいよだな!と思うと、これから起きるであろう事は尋常のことでないと覚悟はしつつも、そのことを想って居た堪れない気持ちになりました。何で自分がこんな目に・・・と。
股を全開に突っ張って痛いくらいに両脚をいっぱい開きます。もちろん人に見せない、触れさせない恥ずかしい部分は臍から肛門まで丸見えです。試みに脚を締めようとしても、しっかり固定されてて動きません。
僕は、いつも一人で勉強部屋に鍵をかけ、勉強に疲れると一人いけないことをしていました。僕のやりかたは、先端の敏感な皮の部分をひとりいじめる事です。先端をつまむと力を入れたり抜いたりします。
力を入れると敏感な包皮は引っ張られ抜くと元に戻ります、それに捻り運動を加えます、つまり揉みしだくのです。また、敏感な先端を突付いたりして快感を楽しむのです。出そうになると、いやらしい指の運動を緩め、しばらくしてまたします。
出てしまう時は、たいてい先端をつまんで、紙を探し始末するのです。終わるとこんな事もう絶対しないぞと心に誓うのですが、しばらくすると待たしてしまい、自分が嫌になってくるほど何回も何回もしてしまうのです。
それは、僕がちょうど15歳の高校一年生の頃、オナニー盛りの恥ずかしい頃でした。ある時、僕は学校の尿検査で血尿の判定がでて、再検査ということで、地元の内科のお医者さんへ行った。そして、そこからの紹介で、病院の泌尿器科にいくこととなった。
受付を済ませ、中へ案内されると、そこには「膀胱鏡検査室」という札が付いていた。
看護婦さんが来て、「はい、では、下を全部脱いでそこの籠に入れ、この台に乗ってくださいね」と声をかけてその場は離れた。
その台というのは、産婦人科の診察で使われるような、足を大きく開かせるものだったので、見ただけで一気に、恥ずかしい気持ちがこみ上げてきた。
僕は、はいていたものを脱いだ。ズボンのバンドを緩めチャックに手をかけてズボンを脱いでそばの篭に入れた。そして嫌だな、逃げ帰りたいと思いつつも、観念してパンツに手をかけ全て脱いでしまったが、身の置き場もなかった。
かといって診察台にあがる気にはなれず、下腹で手を組むようにして前屈みになって、もじもじしていた。
看護婦が来て、「いい、じゃここから上がってください」と踏み台を指差した。もう個々まできたら、嫌でも上がらないわけに行かない。今は椅子のような物らしいが、当時検査台はかなり高く、パイプでできてて、寝るレザー部分と、両方の脚を受ける台がついている。
死刑台に上がるってこんな気持ちかと思いながら、前を隠しながらブラブラさせて上がるのはみじめな気分だ。
レザー部分は傾けられる上半身の部分と尻がちょっと乗る程度で体を置く長さが無い、脚を脚台に乗せないとおっこってしまうのだが、とてもできず、股を閉じヒザを腹につけるようにくの字にして背中だけで寝るようにした。
尋常なことではないだけにどうしても、文字通り尻ごみしてしまうのだ。
看護婦は、「恥ずかしがらないで、もっとこっちに寄ってね」と僕のお尻を持ってグット
前の方に引き寄せた。
なおも、脚を閉じていると、「そんなかっこうしていたら、先生がみられないでしょう。」「男の子でしょう、」と、軽く裸のお尻をたたかれた。くの字に曲げていた脚を開くと、「はい、じゃあ、ここに足を乗せてくださいね」と 看護婦さんはそう言うと、僕の足を広げ高く上げて、事務的にバンドで固定した。
こうして検査に向けて準備が進められる。そしてもう自由は無く、その脚台の高さを調整するようにして、なお大きく広げた・もうされるままだ。やだ!!、脚はつっぱり、もういやでも閉じたり無動き出来ない。
まもなく始まるだろう診察開始に向けて完全無防備・全開にされてしまった・・・。この台でこれまで何人がされたのだろうと、ふと思った。
何で自分がこんな目にあわなければ・・・と。そこには、ちょっと先端にふれただけで、反応してしまう敏感なアンテナのような肉の器官が無防備にされて垂れ下がり、自由にされるのを待つだけ。
そして、しばらくそのままの格好のまま、検査器具を並べたりするガチャガチャとした金属音を聞きながら最後の時を待つのである。もう完全にまな板の鯉状態。
ガチャガチャ音は、これからされること、その羞恥と恐怖を意識させ、とても勃起などという状態でなく、たぶん小さく縮ン出しまっていたのだろう。もうまもなく、握られて、つままれて・・・・などと思うととても。
しばらくすると、お腹の辺りに、カーテンがひかれていて、向こうが見えないようになっていた。
準備をしますといってチンポコを握られた。「あっ!」と思わず声に出しそうになり、思わず身を引いて本能的に股を閉じようとした。
感じないように上を見たまま天井の染みが何に見えるかとか、関係ないことを考えて反応しないようにした。しばらくそれでよかったが、おちついてその掌を意識しだすと、すこしずつ反応し始めた。
これはやばい、なんとしてもこれ以上はくいとめなければ・・
もうはじまるというのに、そればかしは・・・・でもそう意識すればするほどどうにもならなくなるのだ。
男って本当に困る、今でもあれはいったいなんだったのだろうという気がしてならないのだ。でもされるままだ。検査に向けて、心と肉体に検査に耐えられるよう準備させようとの親心か、それやめてほしい!。
まだ皮がかぶっているチンポコや肛門など、全てを丸見えにしたまま、しばらく待っていると、カーテンの向こう側で、先生の声がした。
「はい、では、おちんちんを消毒します、ちょっと冷たいけど我慢してね」「めくるけど、ちょっと痛いけど我慢してね」と言った。とたんに、何かやわらかくて冷たいものが、僕の股間に触れた。もみながら皮を剥かれ、内側まで丁寧に拭かれ痛かった。
後で知ったのだが、あまり柔らかくぐにゃぐにゃしてるより半勃起状態とまではいかなくてもちゃんとしてたほうが消毒などのためには、よいらしい。
それから数分間あまりのことで、僕のペニスは戻らなくなっていた。非常に敏感なので自由にならない。「ちょっと待って!」、そういいたい時が何回か訪れたが、恥ずかしくて声にだせなかった。
そしてついに・・恥も外聞も無く、生理の赴くまま、恥ずかしい結果になってしまった。そのとても人に見せられない恥ずかしい生理に、思わず股を閉じて隠そうとしたのですが・・いつもしてる行為をみられたようでその恥ずかしいといったら無かった。
何かとても悪いいけない事をしたような思いだった。でも、先生は気にする事も無く、下腹や内股などに恥ずかしい生理の結果飛び散ったものを綺麗に始末してくれたようだ。そして落ち着くまでしばらく休んでくれた。
数分後、先生が「よし、もう大丈夫。いくよぉ」と言った。そのまま僕のちんぽこの口には、何かジェリーのようなものがぬられ、しばらくクランプをかけられた。
いよいよこれから、チンポコに膀胱鏡という金属製の管を入れるのだということだ。胃カメラは口ですが、膀胱鏡はこともあろうにチンポコにいれるのだ。
「でははじめます、口をあけて息して下さい」と言われて、チンポコを完全に掌に握られ強く引き抜くように先端に向けて引き上げられるようにされ、同時にヘソのほうに倒されたのです。それは生易しいことではありません。
もう完全に意のままにされてるって感じです。尿道の形をまっすぐにするのでしょう。膀胱鏡検査の厳しさを感じさせるものです。もう痛くても恥ずかしくても、耐えられなくても任せきりとなります。
「口をあけて力を抜いて息して下さい」途端激痛でした。とても勃起するなんてものではありません。でもすでに、全部出してしまったばかりなのでかえって射精を迎える時のあのどうにもならない思い・恥ずかしさは、膨らむくらいで少なくて済んだようだ。
膀胱鏡検査とは、泌尿器科の大切な検査で、素っ裸で大きく開股し、丸出しにされる恥ずかしさ。
それ以上に、恥ずかしい所を動かぬよう人権無視で「うなぎ掴み」でしっかり掌中にされ、誰にも触れさせない敏感なところ、そこに金属検査器具(膀胱鏡)を容赦なく入れられる痛さに耐えるのです。
途中位までは我慢出来る痛さなんですが、奥に進むにつれあそこを前に倒されます。最後の膀胱に入るまでは、我慢出来ない痛さでした、涙が出てきました。睾丸のあたりが、突き上げられる感じで、尿道が痛い。足の指を動かし、診察台のパイプを握り痛さに耐えます。
その後は20分位何やらやっているのですが、入れる時ほどの痛みはありませんでしたが、普通の痛みと違和感をたした感じです。
途中、水?を入れたりしていますので、とてもおしっこしたい感じが強くなるのを我慢していました。
他にいろいろされたが、後で書きます。検査が終わり膀胱鏡が引き抜かれ、すべてが終わって、カーテンが開かれ、「はい、ごめんなさいね。もう終わりましたよ」先生はそう言うと、看護婦に清払させました。
未だ痛いので見ると、包皮は完全にめくりあげられ、やや赤い亀頭が剥き出しにされていました。それは自分でも始めてみるものでした。それを看護婦はもう一度清払して皮を引っ張るようにして元に戻してくれたのです。
そして、脚台を元の状態に戻し、脚を留めてあったバンドをはずして裸の脚を下ろしてくれました。元のように、腰を折りたたんで曲げ横になって降りたのですが、その時はもう昇るときのように、腰を折り曲げたり手で隠したりしませんでした。
もう、すっかりすべてを・・チンポコ、肛門、袋・・だけでなく包皮の中、膀胱の中まで、それに絶対みせたく無かったエレクトしたところ、そこから噴出する恥ずかしい生理の一部始終まで見られてしまった気恥ずかしさは消え入りたいくらいだった。
そこまで見られてしまった以上、もうそれを隠すこともなくなったからです。それが僕の恥ずかしい思い出です。こうしたことを経験したものもいることでしょう。今日も日本のどこかで羞恥が繰り広げられてることでしょう。
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- 高校生体験談
清拭って知ってるでしょうか、みなさん?。
清拭は入院中に風呂に入れない人のために身体を拭ってあげる行為のことです。
僕は中二の頃受けました。
いま騒がれている運動会の練習で大腿骨の骨折により入院していた時に、看護婦さんの清拭を受けたのです。
清拭は容赦なく、身体の隅々まで拭かれます。
僕は思春期のもっとも恥ずかしい時にこの行為を受けました。
清拭は上半身から始まり下半身をやって最後に股間の辺りを念入りにやってくれました。
股間の時の基本作業は手に石鹸の泡をつけて、チンチンの付け根ヤタマの袋の裏まで清拭(洗浄)して、包皮を剥いて亀頭の裏を清拭して最後にお尻の付近を清拭して終わりです。なお、これを陰洗ということをしりました。
僕はその最中、一生懸命他のことを考えたりしましたが、何しろ手に持ったままで、どうしても膨らんでしまいます。ウブでしたので早く終わってくれないかとただ願うばかりで、とても気持ちいいなんてものではありませんでした。やめて!、もうかんべんして!とおもいつつ、ただ無言で一生懸命そのあまりな羞恥に耐えるだけでした。
看護婦さんも僕の気持ちを分かってくれたかどうか知りませんが雑談で雰囲気をなごませ、
股間の時間をあまり長くならないようにやってくれてはいたようですが、それでも10分以上はかかったとおもいます。
いつも通り、玉の袋の裏とチンチンの付け根を清拭して包皮を剥かれて清拭された後、股間に衝撃が走りました。何かわかりませんでしたが、なんと、看護婦さんが僕のチンチンをしごいていたのです。僕は何が何だかわかりませんでしたが,あまりの気持ちと羞恥に何もできないでいました。そうこうしているうちに僕のチンチンは射精してしまいました。
誰にも見せない触らせない恥ずかしい処を、こともあろうに看護師さんの掌の中でいやでも膨らんでしまう恥ずかしさ、そして溜らず漏らしてしまうはずかしさといったらなかった。
看護婦さんはそれと同時にしごくのをやめ、お尻の方を清拭し、いつも通り雑談をしながら石鹸の泡や出てしまったそれを拭ったり後始末をして部屋に戻っていきました。
結局チンチンをしごかれる行為は2回おき位に行われ、僕が起き上がれる状態になるまで数か月続きました。
今、僕のような中学生が体育や運動会の練習で、百足競争やピラミッドでの転落事故で長期入院が多くなっているといいます。
このことを思い出すたびに僕のようなめに合う中学生を出さぬようにと思うのです。