2ntブログ
  • 2023⁄04⁄21(Fri)
  • 23:18

小学校時代の恥ずかしい思い出

小学五年生だった。なんとか忘却のかなたに追いやっていた思い出なのに、昨日の夜の出来事のせいで鮮やかによみがえってしまった。
 3時間目が終わった中休み、Y美が僕のところに来て、「今から身体検査があるみたいだから、保健室まで行くよ」と言った。身体検査の日に僕は家の事情で学校を休んだのだった。身体検査の日に休んだ人は、保健委員の指示に従って別の日に身体検査を受けることになっていた。僕は椅子から立ち上がり、Y美と一緒に保健室に行こうとした。すると、「保健室には服を脱いで、すぐ身体検査が受けられるようにして行くんだよ」
「脱ぐって、今、ここで?保健室で脱げばいいんじゃないの?」
「駄目だよ。ここに書いてあるでしょ」と、Y美は「身体検査の心得」とプリントされた紙を僕に見せた。そこには、
「身体検査の日に休んで身体検査を受けられなかった人はなるべく早めに受けましょう。身体検査は小学1年生が受けるのと同じです。」と書いてあった。
「小学1年生は教室でパンツ一枚になってから保健室に行くことになってるの」とY美が補足した。そういうものか、と僕は考え、少しためらいを覚えたが、休み時間の賑わいの中、靴下を脱ぎ、シャツのボタンを外し、ズボンを脱いだ。パンツ一枚になった僕の姿をちらちら見て、「身体検査の日は絶対休まないようにしないとね。恥かしいよね」と隣りの席の女の子たちが顔を赤らめながら、小声で話をしていた。他の女子たちも寄って来て、パンツ一枚の僕を興味深そうに見つめるのだった。
「どうしたの、この子、なんで裸になってんの」
「今から保健室まで身体検査を受けに行くの。全員が受ける日に受けないと、ここで脱いでから行かないといけないから、みんな気をつけてね」とY美が冷ややかな笑いを浮かべて、みんなに説明した。女子たちは、どっと笑った。
「でもさ、パンツ一枚ってことは、上履きも履いちゃいけないんじゃないの」と女子たちが呟くと、「それもそうだよね」とY美が答えて、僕に上履きも脱ぐように命じた。それから僕はY美の後について廊下に出た。
 素足に廊下が冷たかった。Y美はゆっくり歩いた。あまりゆっくりなのでY美の前に出ようとしたらY美に手首をつかまれ、「検査を受ける人は保健委員の前に出てはいけないんだよ」と後ろに戻るように言われた。まだ4月の下旬だったからパンツ一枚の裸では寒く、Y美にもう少し速く歩いたらどうかと訊ねたが、「廊下はゆっくり歩かないと事故になるから」と言って取り合ってくれなかった。しかも悪いことに途中で友だちに合うと、Y美は立ち話を始めるのだった。その間、僕も立ち止まって、話が終わるのを待たなければならない。その友だちが僕のほうを顎でしゃくってY美に何かを聞いていた。
 まだ休み時間で、廊下には多くの生徒がいた。パンツ一枚の僕を指さして笑う人がいたり、ちらちら見ながら通り過ぎる人がいたり、なんで裸でいるのかと聞きに来る人がいたりして、僕の姿を見た人は、必ずその格好に対して何らかのリアクションを示すのだった。僕は恥かしくてたまらなくなってきた。ようやくY美の立ち話が終わって、階段を下りるところまで来ると、Y美が手を振る。また新しいお友だちで、新たに立ち話が始まり、僕は恥かしさと寒さに耐えながら、肩から腕のあたりを両腕でさすって、じっと待っていた。
 四時間目の始まりを告げるチャイムが鳴って、僕はほっとした。四階から一階まで降りて、長い廊下を進み、ようやく保健室の前まで来た。Y美が引き戸をあけようとすると、鍵がかかっていた。
「おかしいな。身体検査を受けてない人は今日じゅうに受けることになってるんだけどな」とY美はつぶやき、僕のパンツのあたりに視線を向けながら、「職員室に行って先生を呼んでくるから、ここで待ってて」と言うのだった。
 僕はパンツ一枚の格好で保健室の前に取り残されることになった。寒くてぶるぶる震えながら遠ざかるY美の背中を見ていた。
Y美はなかなか戻って来なかった。保健室の入り口の前で、パンツ一枚の裸で待っていると、先生が何人か通り過ぎ、僕に何をしているのか訊ねた。事情を説明すると、みんなすぐに納得して、もう僕が裸で廊下に立っていたことなど頭から払いのけたかのような顔つきになって教室へ向かう。
 恥かしかったのは音楽のK先生に見られたことだった。K先生はこの春、大学を卒業したばかりの女の先生で、先生というよりはお嬢様といった感じの明るい人柄が生徒の人気を集めていた。僕はピアノが弾けるので、K先生の代りにピアノ伴奏をしたこともあり、とくに目をかけてもらっていたように思う。
「どうしたの?なんでそんな格好でいるの?」僕が裸で震えているのを見て、K先生が素っ頓狂な声を上げながら近づいてきた。僕はこれで十回以上はしている同じ説明を、今初めてするように繰り返した。K先生は驚いたように大きく目を見開き、頭の先から爪先まで僕を見つめて、
「しかも裸足じゃない。すごいね、君。上履きぐらい履きなさいよ」
「上履きも脱ぐように言われたんです。パンツ一枚が規則だからって」
「ほんとに?教室からここまでその格好で来たの?」
 僕が小さく頷くと、K先生は手に持っていた教科書でぽんと膝を叩いて笑うのだった。
僕は、裸じゃ可哀想だからと、K先生が羽織っているカーディガンを貸してくれたらどんなにいいだろうと思っていたが、K先生は、「ま、ちょっと寒いかもしれないけど我慢しなよ。男の子の裸、こんな近くで見たの、初めてかもしれない。でも女の子みたいだね。今度はパンツを脱いで見せてね。ハハハ、嘘だよ、そんな悲し気な顔しないでよ。ほら、保健の先生が来たよ」と言って、スキップしながら去るのだった。
 保健室に着くなり、Y美が「先生、忘れていたんだって」と僕にささやいた。保健の先生は、五十歳くらいの気難しい性格で、陰ではみんなから「ババァ」と呼ばれていた。僕を待たせていたことに対してお詫びの一言もなく、じろりと僕を睨みつけてから、鍵穴に鍵を差し込んだ。戸をあけると、僕に中に入るように促した。僕はY美よりも先に入ると叱られると思って、Y美に先に入るように目配せしたが、Y美は気づいてくれない。「早く入りなさいよ」業を煮やした保健の先生が怒声を発して、後ろから僕の背中を強く叩くので、つまづいた僕は保健室の中央で四つんばいになってしまった。
 保健の先生がY美に教室に戻るように命じた。Y美はこれで保健委員の務めが終わることに不服そうだったが、「じゃ先生、あとはよろしくお願いします」と頭を下げて、教室に戻って行った。
 検査の間、保健の先生はずっと不機嫌だった。「受けるんならまとめて受けてくれないと、こっちの手間がかかって大変じゃない。なんで一人一人連れてくるのよ」と言うので、「他にも僕みたいに当日検査を受けられなかった子っているんですか」と聞いてみた。せめて、この恥かしくて寒い思いをしたのが僕一人でないことを聞いて安心したかったのだった。
「いるよ」保健の先生がぶっきらぼうに返事した。「でも、あんたみたいに教室から裸になってここまで来た子はいないけどね。何もパンツ一枚になる必要なんてなかったのよ。小学一年生じゃあるまいし。みんな体育着で測定するのよ」
 やられた。僕は保健委員であるY美の指示でこの格好になり、ここまで来たのだと話した。保健の先生は鼻で笑っただけだった。
 検査は10分くらいで終わった。保健の先生は記録簿に数値を書き込みながら顔を上げずに「ご苦労さん。教室に戻りなさい」と言った。その言い方が先ほどよりは不機嫌さを感じさせないものだったので、僕は思い切って相談することにした。
「先生、何か着るものはありますか」
「着るものってなによ」
「この格好で四階の教室からここまで来たんですけど、帰りは何か羽織るものがほしいです。それに今は授業中です。この格好で教室に入るのは、いやです。白衣でもいいから貸してください」
「白衣でもいい? 白衣でもいいとは、何事よ。白衣は私にとって大切な制服なの。裸の、ばかな男の子に着せるものじゃないわよ。あんたに着せるものなんか保健室にはない。その格好で来たんだから、そのまま戻りなさい」と言って、僕の腕をつかんだまま廊下に引きずり出した。
 保健室の戸を閉め、鍵をかけている先生の後ろで、僕は何度も謝り、何か着るものを貸して欲しいとお願いした。しかし、先生は聞く耳を持たなかった。鍵を白衣のポケットにしまうと、先生は、にやっと笑って行った。「早く教室に戻ったほうがいいんじゃないの。パンツ一枚の裸で学校内をうろうろしてたって仕方ないでしょ」
 職員室へ帰る先生の後姿を恨めしい思いで見つめた。仕方がない。僕は小走りで廊下を進み、駆け足で階段をのぼった。
 僕の教室がある4階まで駆け足で一気にのぼったので、パンツ一枚の裸でも寒さは感じなかった。教室の前まで来ると、もう一度あたりを見回し、何か身につけるものはないかと思った。せめて体育着でもあればよいのだが、そんなものが廊下に落ちているはずはない。今、身にまとうことができるのは、このパンツ一枚だけだと観念し、深呼吸した。
 教室に入れば、パンツ一枚の僕の姿にクラスの女子達や担任(女)の先生は驚き、冷やかしの言葉を浴びせるだろうが、それも一時の辛抱、机の上に置いた服を素早く着込めばよいだけの話ではないか。教室に入ってから服を着るまで10秒もかからないことだろう。
 そう思って僕は覚悟し、教室の引き戸をあけた。一瞬にしてクラス全体が静かになったようだった。算数の時間で、担任(女)の先生は黒板の前で数式を示したまま、ぽかんとした表情で僕を見つめていた。それから、「どうしたのよ!その格好」と言った。
 クラスの女子達はたちまち爆笑の渦となった。僕はその隙に急いで自分の机に向かって服を着ようとしたが、先生に呼び止められた。「いいからこっちに来なさい。その格好のままでいいからこっちに来なさい」と、裸で恥かしがっている僕を強引に呼びつけるのだった。
「ねえ、パンツいっちょうで、どこうろついていたのよ」
 教壇でパンツ一枚の裸のままうなだれている僕に、先生の怒気を含んだ声が落ちてきた。僕は身体検査を受けていたこと、Y美の指示で教室で服を脱いでから保健室に行ったことを話さざるを得なくなった。クラス中の女子の視線がパンツ一枚だけをまとった僕の体に集中しているよう気がして、何度も詰まりながら言葉を継いだ。その赤面ぶりに先生はさすがに哀れを催したのだろう、Y美に事実の確認をした。Y美はあっさり僕の言ったことを認め、のみならず自分の指示が間違いだったことを、小学五年生とは思えない大人びた口調で詫びたのだった。
 先生もこれに気をよくし、僕のほうを向いて、「Y美もああやって謝っているでしょ。悪気があった訳ではないでしょ。お前も災難だったけど、許してやりなさいよ」と言い、自分の席に戻ってよいと手で合図した。
 これで服が着れると安堵したのも束の間、僕の机から服がきれいさっぱり消えてなくなっていた。椅子の下にあるはずの上履きも、ない。僕は机の中はもちろん、後ろのロッカーまで行って調べた。しかし、服と上履きはどこにもなかった。
 他の人のロッカーまで必死になって調べている僕に向かって、「ねえ、どうしたのよ」と先生が声をかけた。
「服と上履きがないんです」僕は半べそをかきながら、言った。「机の上に置いといたはずなのに」
「おい、誰かこの子の服を隠してない。かわいそうだから出してやりなさいよ」と、先生が笑いをこらえたような調子でみんなに言った。この女の先生は、怒った時はどんな生徒の背筋でもぴんと張るぐらい怖かったけど、普段は友だちのような感覚で生徒に接するのだった。この時も面倒見のよいお姉さんが仲間に協力を呼びかける調子で、クラス全員の顔を見回した。教室中がざわついた。
「でも、机の上に出しっぱなしにして行っちゃうほうが悪いと思います」風紀委員の女の子が手を挙げて、先生の許可を得てから発言した。「だから」
「だから、なんなのよ?」先生は、恥かしそうにうつむいた風紀委員の女の子を励ますように、やさしく次の言葉を促した。
「だから、服を没収されたんだと思います。授業が始まる前に授業と関係のないものは身の回りに置いといたらいけないことになっています。その場合は没収されるんです。これはクラスの規則です」まじめなだけが取り得のような風紀委員の女の子は、それだけ言うと、真っ赤になった顔を誰にも見せまいとして机に顔を伏せてしまった。
「それもそうね、それは確かに出しっぱなしにするのが悪いわよね」その規則を定めたのが他ならぬ自分である手前、先生は意を決したように命じた。
「よし、仕方ないその格好のままで授業を受けなさい。授業が終わったら、ちゃんと詫びて服を返してもらいなさい。分かったの」
 僕ひとりパンツ一枚の裸のまま授業を受ける。あまりのことに反論しようとすると、先生の逆鱗に触れてしまった。手を挙げず許可を得ないまま発言しようとしたことが原因だった。この女の先生は、こういう細かい規則にうるさいのだった。教室は再び、誰かがつばを飲み込む音すら聞き取れるほどの静寂に包まれた。
「お前、勝手に規則を破って、これ以上、私の授業の邪魔をしないでね。パンツ一枚の裸でも授業が受けられるだけ、ありがたいと思いなさい、恥ずかしいけどがまんしてね」
 この恥かしい格好のまま、教室の外に追い出されたら、たまったものではない。僕は観念して裸のまま席についた。咳払いして、先生は何事もなかったように授業を再開した。 授業では3人ずつ前に出て、教科書の問題を解いていた。黒板に数式を書き、答えを書く。いやな予感がしたが、案の定、僕の番まで回ってしまった。
「どうした、パンツ一枚の裸ちゃん。前に出て、この問題を解いてよ。君なら簡単にできるはずだけどなあ」先生の冷やかしにクラスの女子達みんながどっと笑った。僕は立ち上がり、素足でパンツ一枚の裸のまま黒板の前で答えを書いた。すると、「式も書いてね。答えはどうせ合ってるんだろうけど、式がないと分からないよ、白いパンツの裸ちゃん」と先生が笑いながら言った。続いてクラス全体に笑いが起こった。僕は緊張で震える手を抑えながら、なんとか数式を書き終えた。先生は他の二人を席に戻し、僕だけ黒板の前に立たせると、
「今、私、この子のパンツつくづく見てたんだけど、真っ白できれいだよな。小便の染みとかウンチとか、何も付いてねえんだよ。みんなも下着は、いつもきれいなのを履いときなさい。この子みたいに、いつみんなの前で下着をさらすか、分からないからな」と言った。みんなは照れたように笑い、それから僕のパンツに対して拍手を送った。
「でもな」先生が口を挟むと、拍手が途絶えた。「体が生白いね。全然お日様にあたっていないような肌じゃないか。白いのはパンツだけにしといたほうがいいわよ」
 よけいなお世話だ、と内心つぶやきながら僕は席に戻り、着席した。
 
 四時間目の授業がやっと終わって、僕は自分の席から風紀委員の女の子を呼んだ。すると、横からY美が「人に物を頼むなら自分から出向かなくては駄目でしょ」と言い、風紀委員にこっちに来なくてよいと伝えた。僕は相変わらずパンツ一枚の裸のままだったけど、このまま服を返してもらえないと困るので、恥かしさをこらえて風紀委員の席まで行き、服を出してくれるように頼んだ。しかし、風紀委員は、知らないと言う。そんなはずはない。風紀委員以外の誰が没収するのか。気づいた人がその場で没収する。僕の服や上履きを没収したのは誰か分からない、という返事だった。
 あせった僕はクラスの一人一人に服のありかを尋ねた。「知らない」「自分で探せば」みんなの返事はそっけなかった。服を探してうろうろしている僕は、机の移動など給食の準備で忙しいみんなにとって邪魔者だった。結局、誰が僕の服と上履きを没収したのか分からず、服も上履きも見つけることができないまま、パンツ一枚の裸の格好で給食の時間を迎えることになってしまった。
いつまでもパンツ一枚の裸で、普通に服を着ているクラスのみんなと一緒にいるのは苦痛だった。体育着でも身にまとおうとしたが、その日は体育の授業がなく、僕は体育着を持ってきていなかった。
「誰か体育着、持ってる人いる?」持っていれば貸してくれそうな人を選んで、声をかけたが、残念なことに誰も持っていなかった。
「どうしたの。まだ服が見つからないの。早くしないと給食の時間になっちゃうよ」後ろから声がして、振り返ると、Y美がくすくす笑いながら立っていた。僕はY美に、そもそもこういうことになった原因はY美にある。服のありかを知らないなら、せめて一緒に探してくれても良いだろうと責めた。しかし、Y美は冷たく、「知らない、そんなの。自分の責任じゃない」と言って、教室の外へ行ってしまった。
「誰か体育着持ってる人がいたら、僕に貸してください。お願いします」半ばやけになって声を張り上げたが、誰も衣類を提供してくれる人はいない。給食当番用の白衣さえ、貸してもらえない。何か、僕に服を与えてはいけないような、無言の圧力がクラス全体にかかっているようだった。こういう時のクラスメイトたちは、みんな無情だ。
 僕はいつまでもパンツ一枚でいることの情けなさと、クラスのみんなの冷たさに力が抜けて、自分の席で涙を手で拭っていた。僕の近くにいる人たちは、僕が泣いているのに気づいたが、関わるとやっかいなことになると思ったのか、みんな見て見ぬふりをした。
 給食当番たちが給食を運んできた。クラスには給食の前に手を洗う規則があった。でも、僕はこの恥かしい格好のまま、自分の席を離れるのもいやだったし、まして教室の外に出るなんて、もっのほかだった。だが、クラスのみんなや先生は、裸だからという理由で手を洗う義務を免責してくれるとは思わなかった。
 Y美が僕の裸の肩を叩いて、「もう洗ったの?嘘はだめ。誰もあんたが手を洗いに行ってるの、見てないよ」と言った。四人のクラスメイトの女子が「私達が手伝ってやるよ」と、むりやり僕を立たせ、外に連れ出した。「異性たけど。私達たちも恥かしい気持ちは分かるし」と言って、前後に二人、左右に二人がぴったり僕に寄り添って、少しでも僕のパンツ一枚の裸が隠れるように配慮してくれたのだった。他のクラスの女子達にまでパンツ一枚の裸を笑われるのがどれだけつらいか、この四人はよく理解してくれていると思った。しかし、その信頼は見事に裏切られる。
 手洗い場で手を洗い終わると、右隣に付き添ってくれている人が「ハンカチあるか」と聞いた。持っているけど今はないと答えると「そりゃそうだよな。パンツいっちょうの裸だもんな。でもな、規則では手を洗ったあとは必ずハンカチで拭くことになっているのよ」と急に意地の悪い表情になって言った。すると、後ろで付き添っている人が「でもよ、ハンカチなくてもパンツで拭けばいいじゃん。ほら、その濡れた手を早く白いパンツで拭けよ」と、低い声で僕にささやいた。僕は言われるままに濡れた両手をパンツの腰の辺りで拭いていると、突然、ガードしてくれていた四人が両腕を広げ、飛行機の真似をして、駆け足で去って行った。僕は手洗い場で呆気にとられて立ち尽くしていた。
 手洗い場は、給食前で混雑していた。パンツ一枚の裸のまま取り残された僕を見て、多くの女の人は手で顔をおおい、「きゃっ」と小さな悲鳴をあげた。上級生の女子数人は指さして笑った。女の人でも、好奇心に満ちた目つきで僕の裸をじろじろと見に近づいてきた人が何人か、いた。僕はいたたまれず、走った。と、誰かが水をこぼしたのか、床の一部が濡れていて、僕は滑って尻餅をついた。足の裏から手のひらはもちろん、パンツの尻の部分までがびっしょり濡れてしまった。
 大丈夫かと駆け寄ってくれた人に心配無用を告げて立ち上がると、背後で嬌声が響いた。濡れたパンツが尻にぴったり張付いて、透けて見えるというのだった。手を叩いて喜んでいる男の人や女の人がいた。僕は手でパンツを尻から引離して、くっつかないように片手で押さえながら、ようやく教室に戻った。
 
 教室にたどり着いて、濡れたパンツ一枚の裸を少しでも隠せるのは、自分の席以外になかったから、すぐに自分の席に行き、着座した。その時、尻に、ねちっと液体状の感触があった。まずい、と思った。僕は座ったまま、ゆっくり尻を動かした。そして、軽く尻を上げようとして、この液体状のものがなんなのか、分かった。接着剤だった。
 即効性のある、強力な接着剤らしく、僕のパンツは椅子にぴったりくっ付いていた。誰のいたずらかは知らない。しかし、大変まずいことを起こさせるいたずらであることは間違いなかった。給食時には、班ごとに皿を持って、並ぶことになっていた。僕の班は最後だったけど、それまでに椅子からパンツが取れる可能性はゼロに近い。
 先生が、パンツ一枚の裸のままで椅子に座って体を固くしている僕を見て、
「あら、可哀想にまだ裸のままなの。いい加減服を返してもらいなさいよ」と言って、笑った。
「だって反省が足りないんだもん。一言も謝ってないから、まだ服は出してもらえないみたいなの」と、Y美が説明した。すると、さっき僕を手洗い場に取り残して去った四人の女子が、「そうよ、そうよ」と囃した。
「いくらなんでも可哀想過ぎるわ」先生は事も無げにそう言って、侮蔑したような笑みを浮かべた。
 僕の班の順番が来るまで、どうか取れますように。祈る気持ちで、もぞもぞと尻を動かしていたが、椅子ごと動いてしまって、そのたびに同じ班の人から不審の目で見られるのだった。そして、願いもむなしく、その順番が来てしまった。
「ほら、行くわよ」同じ班の女子から裸の肩を叩かれたが、立ち上がることができない。もし、この接着剤が取れたら、パンツ一枚の裸を見られる苦痛は、全然大したものではないと思った。その時、校内放送があって、僕らの先生が職員室に呼ばれた。先生は「みんな、先に食べてなさい」と言い残して、教室を出て行った。
 一向に立ち上がろうとしない僕を、Y美や先ほどの4人の女子が取り囲んだ。風紀委員もすぐそばに来ていた。「早く立てよ」「立ちなさいよ」裸の背中を小突かれながら、僕は必死になって抗弁した。「誰かが接着剤を付けたらしい。パンツがくっ付いて取れないんだよ」
 Y美と風紀委員が目配せをしてにやっと笑ったのを僕は見逃さなかった。「これやったの、お前たちだな。どうしてくれるんだよ」
「そんな誰がやったかなんて、どうでもいいのよ。お前は早く立って並びなさいよ」
 例の女子4人の一人が僕の脇の下に腕を差し入れて、引っ張り上げようとした。僕は必死にパンツのゴムをつかんで、「やめて、やめて」と叫んでいた。しかし、僕はクラスで一番背が低く、非弱だった。一人が僕を引っ張り、もう一人が椅子を押さえていると、たちまち僕の体がずるずると上がっていった。椅子に接着したパンツが僕の体から離れてゆく。
 女の子たちが待っていましたとばかりに悲鳴を上げた。僕はついにみんなの前で素っ裸にされてしまった。両腕をつかまれているので、おちんちんを隠すことができない。
 僕の両腕をつかんでいる人は、女の人たちの反応を面白がって、しばらく両腕を固めたまま、左右に揺すったので、僕のおちんちんはクラスのみんなに見られてしまった。クラス中が僕の揺れているおちんちんを見て、笑った。女の人たちは異句同音に「かわいい」と批評した。
 今までずっとパンツ一枚の裸だったので、そのパンツの下への好奇心が高まっていたのだろうか、定規が伸びてきて僕のおちんちんをまさぐった。袋の裏側までめくられた。
 僕の背後の人が「手が疲れた」と言って僕の両腕を解いた。着衣の人たちの中で、自分だけが頭の先から爪先まで、完全に何一つ身にまとわない姿で放り出されていることが、どれだけみじめで、無力感を覚えさせるものか。平常心も何もあったものではなく、僕はおろおろして、片手でおちんちんを隠しながら、もう片方の手で椅子からパンツを剥ぎ取ろうとしていた。しかし、Y美は容赦なかった。
「そういう個人的なことは後にしなよ。今は給食時間だよ。あなたが並ばないと、みんな給食が食べられないじゃないの」と言うのであった。
 風紀委員が赤面して、Y美に、「え?でもこの格好で、素っ裸のまま、並ばせるつもりなの」と聞くと、Y美は、
「当り前でしょ。とりあえず、裸のまま並びなさいよ。ずっとパンツ一枚だったんだから、今更パンツが脱げちゃったって、そんなに恥かしがることないわよ」と言い放った。
 教室では僕の班以外は、全員、給食を食べる用意ができたようだった。僕の班がトレイを持って、おかず、スープ、パンなどを受け取り、席に戻ると、初めて全員が「いただきます」と言って食事ができることになっていた。
 僕は全裸で床に座り込んだまま、椅子に接着したパンツを取ろうとしていたが、同じ班の女子や風紀委員、Y美から、早く立ち上がって給食を受け取りに行くように責めたてられていた。しかし、僕が一向に立ち上がろうとしないので、強行策として、パンツの張付いた椅子を教室の外へ出してしまおうとY美が言い、それに賛同した同じ班の女子が僕から椅子を奪い、その椅子を担いでどこかに行ってしまったのだった。
 ついにパンツまで取り上げられてしまった。同じ班の人たちはすでに並んでいた。僕は左右の手でおちんちんとお尻を隠しながら、列の最後尾に付いた。クラスメイトの忍び笑い、ひそひそ話がいやでも耳に入ってくる。
 恥かしさで体がいっぱいだったので、パンツ一枚の時よりも寒さは感じなかった。
 自分が給食を受け取る番になって、まずトレイを渡された時、前と後ろの、どちらを隠している手で受け取ろうか、迷い、しばらく手を差し出すことができなかった。給食当番が苛立って乱暴にトレイを僕の裸の胸に押し当てるので、ぐっとこらえる気持ちで、お尻を隠していた手で受け取った。その瞬間、クラス中の女子から「ゲラゲラ」と歓声が湧いた。しかし、すぐに風紀委員の「静かに。給食の時間です」の一声で静まり返った。
 トレイに食事を盛った皿が増えると、片手では重心のバランスを取るのが難しくなる。僕もこんな恥かしい格好でなければ、当然両手を使っている。しかし、風紀委員は例外を認めなかった。
 おちんちんを隠し、トレイにのせた食器をがたがた鳴らしながら、たどたどしい足取りで席に戻ろうとする僕の前に、風紀委員と同じ班の女の人が立っていた。この女の人は、先ほど僕のパンツが付いた椅子を教室の外へ運び出した者だ。僕がおずおずと顔を上げると、風紀委員が、
「トレイは両手で持つことになってる。規則だから、両手で。ごめんね、恥かしいかもしれないけど、我慢してよ。私だって風紀委員として務めがあるんだから」と、顔を真っ赤にして、ほんとに申し訳なさそうに言ってから、何度も頭を下げた。
 クラスメイトたちは、僕が席に戻れば全員の準備が整ったということで「いただきます」の合図のもと、食事を開始することができる。その最後の一人である僕の動きにクラス中の視線が集まるのは、全裸という特別な状態であることも相まって、極めて容易に想像できるはずなのに、そんな状況の中で、おちんちんを隠している手をどけてトレイを持てというのは、あまりにも酷い。
 もじもじしていると、今度は他の女の人が怒声を発した。
「早く言われたとおりに両手で持ちなさいよ。ぐずぐすしてると素っ裸のまま、教室の外へ放り出すわよ、あんたの椅子みたいにな」
 思わず後ずさりして、トレイの上のスープがこぼれそうになった。それを見たY美が、
「もしこぼしたりしたら、その格好のまま床掃除してもらうことになるよ。そのほうがずっと恥かしくないかな」と、僕の耳元で息を吹きかけるように、ねちっこく言った。
「ほらほら」と他の女の人が僕の頭を小突き始めた。あやうく食事がこぼれそうになるのをなんとか支えながら、僕は少しずつ後退した。そして、黒板に裸の背中が付いた。それは、僕の席からもっとも遠い場所だった。
 この位置からトレイを両手で持って、自分の席まで戻れというのだった。クラス全員の女子が注視している。
 恥かしくて体中から汗が出ていた。僕は規則に従いトレイを両手で持ち、おちんちん丸出しの全裸で給食を自分の席まで運んだのだった。そこにはパンツの付いた椅子の代りに新しい椅子があった。僕は裸のお尻を椅子の座面にのせた。僕の用意が整うまで誰も一言も喋らなかった。ただ、運んでいる最中、揺れる僕のおちんちんを見て、くすくす笑いが二三、起こっただけだった。
 全裸のまま食事をしていると、先生が職員室から戻ってきた。紙袋を提げている。僕に向かって、「ねえ、服があったわよ。上履きもよ」と言った。
「どこにあったと思う?女子トイレの個室の中に。6年2組の女の先生が見つけてくれたんだってよ。驚いたわよ。しかし、女子達みんな、意地が悪いわねえ」
 僕は急いで立ち上がって、先生から紙袋を受け取りに行った。これでようやく服が着れる。先生は、驚いていた。
「あら、どうしたの、素っ裸じゃないか。パンツまで脱がされちゃったの」
 受け取った紙袋でおちんちんを隠した状態で僕が頷く。と、すぐ横からその紙袋を引ったくられた。Y美だった。僕は慌てて両手でおちんちんを隠した。Y美は言った。
「先生、彼はまだ食事が終わっていないので、食べ終わるまで勝手な行動をとることは許されていません。服を着るのが許されるのは、食事を終えて、食器を片付けたあとです」
 きっぱりと言い切るY美にクラスから拍手が起こった。先生も「それもそうよね」と言って納得してしまった。
 僕がこの恥かしさから解放されたのは、Y美が言ったとおり、トレイを両手で持って、みんなにおちんちんを見られながら食器を片付けた、そのあとだった。服は着れたけど下はパンツなしで半ズボンを履いたので恥ずかしい思いをしなければならなかったのでした。
 それ以後、僕はY美や風紀委員とはなるべく話をしないようにして、小学五年の一年を過ごした。
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