2ntブログ
  • 2014⁄05⁄07(Wed)
  • 02:41

Another Puppet Masters


「お~い・・・」
普段と何も変わらぬ春の午後、少年達は慣れ親しんだ広場で野球をしていた。
野球といっても今日は人数が揃わず3人だけ、ピッチャー・キャッチャーとバッターだけ。
内野も外野も不在のため、軽く投げて軽く打つだけ、という約束をしていたのだが、
「どこまで探しに行ってんだよ・・・そりゃ、かっ飛ばした俺も悪かったけど」
この広場の難点はネットやフェンスの類が無いことで、暴投も快打も周囲を囲む林に吸い込まれていく。
調子に乗った彼が振るったバットが快音を響かせ、他の二人にボールを探しに行くように命じたのは十分ほども前のこと。
キャッチャーとピッチャーがなかなか帰ってこないため、痺れを切らして自分も林へ分け入ってきた。

「・・・ん?」
林のずっと奥、随分入り組んだ先に小さな人影が見えた。
いくら何でもあんな遠くまで飛ばしてないだろう、と思いながらも、少年は二人のもとへ歩を進めた。
「おい・・・」
すぐ近くまで来て呼びかけているのに、二人ともこちらを見向きもしない。
一人はこちらに背を向けており、もう一人はそれと向かい合うように立っている。・・・やけに近いが。
「おい、って・・・」
ようやく辿り着いた少年が、背を向けた彼の肩を掴んで振り返らせるように揺すぶった。
「おい!何べんも呼んでるだ、ろ・・・?」
少年の目は下を向いたまま固定され、身体も固まってしまった。
その視線の先には、剥き出しにされた友人の性器があった。
「な、に・・・してんの? 立ちションの連れション?」
そんなわけはないだろう、と思いながらも少年は呟いていた。動揺していたのだ。
友人達の毛も生え揃っていない性器は、顔を付き合わせるように、互いを指すように勃起していた。
勃起、ということの意味も未だよくわかっていないような少年にとって、その光景は異様なものだった。
我知らず後退ろうとしていた身体を、逆に目の前の友人に腕を捉まれ引っ張られた。
よろめいたところに、もう一人の友人が素早く彼の背後へ回りこむと、
自分の背中に手を回して、まるで背中を掻くかのようにごそごそと何かやっている。
それに目を遣る暇も与えられず、不意に目の前の友人が少年の頬を挟み込むように掴んだ。
そのまま無理やりに前を向かされ、いきなり唇を重ねられた。
幼すぎる少年にはそのこと自体への嫌悪感は無かったが、
突然のことに驚いている間に、自分の首筋をヌルリと何かが這ったような気がした。
「あ・・・」
小さく呟きを漏らした彼は、ほんの一瞬だけ、その全身を鉄になったかのように硬直させたが、
次の瞬間には身体から全ての力を抜き、ぐしゃりと前のめりに倒れ込んだ。

勃起した性器を晒した二人の友人に挟まれるようにして地面に倒れている少年。
しかし彼が再び起き上がるのには十秒とかからなかった。
頭を起こした彼の顔に表情は無く、その目に生気も無い。
だがしっかりと意思を持ったように身体だけは動き、腕立てをして身を起こした少年は、
丁度目の前にあった友人の性器を躊躇無く咥え、舌を這わせ始めた。

フェラチオ――という言葉を彼自身は知らないが――に夢中になっている少年の短パンを、
背中に廻っていた友人がずり下ろさせ、晒し出された青い桃を捥ぐように両手で掴むと、
自身の幼い勃起を無垢の肛門へと突き立てた。
「んっ・・・」
「はぁ・・・」
貫かれた少年の方は、突如与えられた未知の快楽に喘ぎ、
貫いた友人の方もまた、包み込む熱と肉の感触に初めての快感を味わった。
少年の孔の中が何もしないうちからねっとりと滑っていることさえ、
それが”普通”ならあり得ないことだとも知らない少年達であった。

普段なら鳥の啼き声と木の葉擦れの音しかしないはずの人工林の中に、幼い三つの喘ぎ声が響く。
四つん這いになって上下を責められる少年が暑さを感じてシャツを脱ぎ、野球帽を投げ捨てる。
露になった少年の首筋には、毒々しく紅黒い色をした何かが滑る身体を蠢かせていた。
巨大な海鼠かウミウシのようなそれは、しかし地球上に存在する如何な生物でもなかった。
未だ誰も遭遇したことの無い未知の生物との接触を果たし、その『尖兵』として選ばれたのは、幼い三人の少年達だった。

「『UFO襲来』・・・ねぇ?」
地方新聞の記事を眺めて、半ば笑いながら俺は隣の紅輝へとそれを投げた。
紅輝も同じようにそれを眺めてから、けれど笑わずに、むしろ深刻な表情で俺を見詰めてきた。
「冗談だと思うか?」
「リアルだと思え、って方が無理があるだろ」
「ならどうして、俺達が呼びつけられてんだろうな」
「これを真に受けたどっかの馬鹿が居るんだろうよ」
「・・・どっかの馬鹿、ね」
今度はフッと微笑んで、というか自嘲気味に笑って、新聞を俺に放り返してきた。
「龍二はいつもハッキリしててわかりやすいよね」
「・・・貶してる?」
「半分は褒めてる」
肩を竦めることで返し、改めて新聞記事に目を落とした。

中国地方の片田舎で、未確認飛行物体、所謂UFOが発見された。
・・・目撃、じゃないぞ。発見、されたんだ。しかもちんまい林の中で。
それ以前に、地面の上で発見されたらそりゃもう飛行物体じゃないと思うんだが?
ともかく、That's UFO!というような姿をした円盤型のソレが、地方の公園の人工林の中に生えるように現れたというのだ。
なになに・・・発見者は公園で遊んでいた少年達・・・地方誌に情報が提供され、地元ではUFOフィーバー・・・?

「・・・これ読んでると、どうもお祭りの雰囲気がするんだが」
「それならそれでいいじゃないか。祭りに便乗して休暇を過ごして、それで終わりだ」
それもそうだ。なら今回は休暇ってことで、気楽にいかせてもらおうか。

大仰にもヘリで降り立ったのは、周囲を林に囲まれた広めの児童公園。
芝生の上へ降り立った俺達を出迎えたのは、俺達とそう年の変わらないように見える男だった。
そいつの目がまっすぐに、俺の隣に立つ紅輝に向けられているのを見て、俺も紅輝を見た。
紅輝もまた、そいつのことをじぃっと見詰めて固まっていた。
「こうくん・・・?」
「え・・・そうちゃん?」
こーくん? そーちゃん?
戸惑う俺を余所に、紅輝は突然走り出し、その男の胸へ飛び込んだ。
といっても、紅輝の方が随分背が高いので、抱え込むように抱きしめる形だ。
普段は冷静なこいつが、急にこんな・・・。
・・・面白くない。
俺は長々と抱き合っている二人に近づき、態とらしく咳払いをした。
ガバッと勢い良く離れた二人は、やや赤らんだ顔を俺へ向けた。
「あ~っと・・・彼は、国嶋蒼太。高校の時一緒だったんだ」
「へぇ・・・」
「大学入る前にわかれちゃったんだけどな。蒼太、こっちは雫木龍二。俺の同りょ――」
「相棒だ」
俺が遮ると、紅輝は『しょうがないなぁ』という感じで苦笑し、言い添えた。
「俺のパートナー。最高の相棒だよ」
「ふぅん・・・」
国嶋はきょとんとした顔で俺と紅輝とを見比べていた。
「で、蒼太、なんでこんなところに居るんだ?」
「歩きながら話すよ。待ちかねてるから」
歩き出した国嶋と並んで紅輝も歩き出した。
俺と同じくらい背が高い紅輝と比べると、国嶋は今一歩身長が伸びきりませんでした、って感じだ。
国島より俺の方がお似合いだ、そう思った。

「俺、大学で生物学をずっとやっててさ。ドクターまで出たんだ」
「へぇ!あのお前がねぇ!」
「相変わらず失敬な奴だな」
「ハハッ」
楽しそうに話している二人の間に、敢えて割って入るような無粋な真似はしない。俺は大人だ。
「それで、今、国生研に居るんだ。宇宙生物学をやってる」
「こくせいけん?って?」
「国立生物学研究所」
それは俺は知っていた。だが、
「宇宙生物学って何だよ。そんな学問あるのか」
思わずつっこんでしまった。
「架空の生物を扱う学問、じゃないよ。宇宙に生物が居るだろうという根拠もいくつも見つかってきているし」
「エイリアン研究会、みたいなもんか。俺の大学にもあったよ」
「ち、違うよっ!それに俺がやってるのは、ヒトをはじめ、地球生物が宇宙進出に堪え得るか、みたいな研究で――」
「あーわかったわかった。もういいから」
不服そうに俺のことを睨んでくる国嶋を無視して、俺は前方に立っている人物に向けて顎をしゃくった。
「あれ、誰だ」
国嶋も前へ向き直って、こころなしか背筋も正したように見えた。

「お待たせしました」
「全くだ」
随分尊大な態度で俺達三人を見回し、その人は大げさに溜め息を吐いた。
「まさか、自ら起こしになっているとは思いませんでした」
そう言った紅輝は、なにやらかなり不機嫌そうな様子。なんだ?
「こういう事象の初動捜査に喜んで出てくれる部下など居ないのでな。だからお前達を呼んだ」
「蒼太は、どうして呼ばれたんですか」
「国嶋君を呼んだわけではない」
「あぁ、あのな、紅輝。俺の先生が召還されたんだけど、今手が離せない実験の最中で、今日は俺が代理で――」
「あぁ話はもういい!さっさと行くぞ」
苛立ちを隠そうともせずに、その人はさっさと林へ分け入っていった。ついてこい、ということだろう。
「・・・あれ、誰だ」
再びの俺の問いに、紅輝が答えた。
「知らないのかよ・・・俺らの上司だぞ、一応」
「は?」
防衛の外部組織に所属している俺と紅輝。その上司ってことは、防衛のお偉いさんだろうか。
歩き出しながら、紅輝は続けて、
「こーゆーのが好きな人なんだよ。殆ど趣味みたいなもんだけどさ」
「こーゆーの、って?」
「エイリアンとか、お化けとか、怪物とか・・・要するに『よくわからないもの』が好きな人なんだよ」
「へぇ・・・変わってるな」
「そう、変わってるんだ、俺の親父」
「ふぅん・・・え?」
「あれが、『真に受けた馬鹿』だよ」
溜め息を吐いて、紅輝はその人・・・親父さんの後について歩き出した。
溜め息を吐くその姿が、確かによく似ていた。
俺達を出迎えたのは、やけに愛想のいい子供達だった。小学生だろう。
「おじさん達、アレ見に来たんでしょ?」
そう言った野球帽のガキの頭を掴んで、
「おじさんじゃない、おにいさん。な?」
「あ、うん、ごめんなさいお兄さん」
「よぅし」
素直でいい子だ。で、
「アレって何だ」
「UFOだよ」
出た。しかし、どうやら本当にそんなものがあるらしいな。
ガキ達の後に続くと、林の中に忽然と、銀色のUFOが姿を現した。
・・・確かに、これぞUFOっていう感じの、ナントカ型とかって言う円盤だ。
こんなに有名なのにアニメや漫画の中でしか見たことが無いっていう。
隣を見ると、紅輝も国嶋もポカンとした顔でそれを見上げていた。
ただひとり、紅輝の親父さんだけが、少年のようにその目を輝かせていた。・・・変わってる。
「入ってみますか?」
「入れるのか」
少年の言葉に、親父さんが驚いた様子で声を上げた。
しかし周りを見てみれば、何人もの人が見物に来ているし、円盤に立てかけられた梯子を上っている人も何人か見える。
・・・既に観光名所と化してしまっているようだ。しかしこれは・・・。
「早速入ってみよう」
言い出した親父さんに、紅輝も国嶋も続こうとしたが、
「全員でいっぺんに行くのは不味いんじゃないでしょうか」
俺の言葉に、三人とも足を止めた。
「だってほら・・・まだこれが何なのかもわからないわけでしょ。どんな危険があるか――」
「その通りだ。君はなかなかしっかりしているな。名前は何と言ったかな」
「え、あ・・・し、雫木龍二と言います。紅輝とは同期で」
「おおそうか。紅輝も彼を見習え。注意力が足りん」
「・・・はい」
ますます面白く無さそうに不貞腐れた紅輝だけを連れて、親父さんは勇んで梯子を登って行った。
残ったのは、俺と国嶋だ。
「・・・本当に、危険があるかもしれない、って?」
「まっさか」
俺は近くの木に寄りかかるようにして腰を下ろした。国嶋も、よっこらしょ、と俺の隣に座った。
「お前に尋問する暇が欲しかっただけ」
「・・・なかなかやるね」

「さっき、紅輝が言ったろう。『大学入る前にわかれた』って。変だよな、それ」
「ん?」
「違う大学に行ったならそう言うだろ。どっちが転校したとかってわけでもなさそうだ。
あいつの言った『わかれた』は、分離の『分かれた』じゃなく、別離の『別れた』なんだろうよ」
「・・・顔に似合わず、頭いいんだな」
フン、と鼻を鳴らして応え、国嶋を睨みつけた。
「・・・『そう』、だよ。それだけ言えばわかるだろ」
「やっぱりな。だけど、言っておくけどな、今は俺が――」
「最高のパートナーなんだろ? さっき聞いた。・・・わかってるから」
「・・・そうか。それならいい」
どうして別れたとか、どんな付き合いをしていたとか、そういうことはあんまり聞かない方がいい。

「ねぇ、お兄さん達」
さっきの野球帽のガキが俺達の前にちょこんと腰を下ろした。
キラキラした綺麗な眼で、俺達のことを見てくる。かわいいなぁ。
「かっこいいね、お兄さん達。さっきの背の高いお兄さんも」
「ん? あぁ、そうだろう?」
こんな子供であっても、こういう褒め方をされて悪い気はしないな。俺は少し調子に乗って、
「三人の中で一番かっこいいのは誰だ?」
「え? そうだなぁ・・・俺は、お兄さんが好きだな」
「おぉ! お前は本当にカワイイな」
俺はそいつの頭をゴシゴシと撫でてやった。照れた様子で笑っている。
「じゃ、じゃあさ、三人で一番強いのは誰なの?」
「ん? そりゃ俺さ」
得意になって、俺は態とらしく踏ん反り返ってみせた。
「へぇ・・・じゃあ、一番頭がいいのは?」
「それも俺だな」
「すごい!すごいんだね、お兄さん!大好き!」
少年がぎゅっと抱きついてきたので、背中を撫でてやろうとしたら、急にパッと離れてしまった。
ショタの趣味は無いが、何かちょっと勿体無いような気がした。
「じゃあね、お兄さん達!」
少年は妙に楽しそうな様子で走り去っていった。

「かわいいなぁ」
「手ぇ出したら駄目だよ」
「出すかっ」
ツッコミを入れてやったが、国嶋はなにやら言いたそうな顔をしていた。
「どうした?」
「いや・・・今の子、ちょっと変だと思ってさ。なんであんなこと訊いたんだろう」
「別に意味なんか無いだろ。ああいう年の頃ってさ」
「それに、男の人に向かって好きとか言うかな、ふつう」
「あのくらいの年なら言うんじゃないか」
「逆だよ。あのくらいの年なら、同性の大人に向かって好きとか言い難いと思わないか?
もっと大きくなれば、好き、って言葉の意味も広がってくるから、言えるようになるかもしれないけど。まして初対面だよ?」
言われてみれば、そんな気もするな・・・。
「お前、頭いいよな」
「え? いや、一番はお前なんだろ」
「あんなの冗談だよ。国生研で研究してるなんて、それだけで一番が誰なのか明白だ」
「そんなことないけど・・・」
謙遜しやがって。
「それに、一番強いのは紅輝だろうな。あ、いや、お前がどうなのかは知らないけど」
「俺は全然だよ。最近は殆ど身体動かしてないし」
「ならやっぱ紅輝だ。柔道も剣道も、それに射撃も、俺はあいつに勝てたこと無いし」
「へぇ、紅輝そんなに強いんだ」
「あぁ、あいつは異常さ」
悔しくて堪らないと思った時期もある。その気持ちは今も払拭しきれてはいない。
けれど、それ以上に俺はあいつのことが好きだから、そういう所はなるべく考えないようにしている。
「でも・・・あれだね」
「ん?」
国嶋が歯切れ悪く何か言いかけた。
「何だよ」
「俺も、一番かっこいいのは、お前だと思うよ」
・・・ふむ。ほうほう。
「俺に惚れたか」
「いや、違うし。無いし」
「そーだなー。まぁ顔だけは俺が一番だなぁ。お前も悪くないけど、よっ」
よっ、と国嶋の肩を抱いた。
「なんなら一戦交えるか?」
「は?」
「あの紅輝と付き合ってたってことは、お前タチだろ?あいつバリネコだしなぁ」
「いやあの――」
「心配すんなって。俺とヤッた奴皆、ケツでイケるようになって喜んでるんだから」
「け、結構だ!」
「遠慮するなよ。減るもんじゃなし――

「おい」
顔を上げると、紅輝が怖い顔をして立っていた。俺が国嶋とくっついていたのが気に入らないらしい。
「交代だ」
「何だ、もう見てきたのか?」
「あぁ。別に何も無かったけどな」
心底面倒臭そうな顔で、紅輝は目を細めてそっと親父さんを睨んでいた。

国嶋と連れ立って梯子を登り、天辺のハッチのように開いた部分からまた梯子で中へ下りた。
UFOの中など勿論見たことは無かったが、想像するに、もう少しゴチャゴチャとしていていいはずだ。
だが、この中はどうだ。がらんどうというか、何も無い。
内壁に触れてみたが、どこにでもあるアルミニウムの板のように感じられた。
国嶋と顔を見合わせると、向こうも同じ感想らしく、肩を竦めてみせた。

外へ出ると紅輝達が待っていた。目だけで言葉を交わす。
「それじゃ、少年。ありがとうな」
野球少年達に礼を言って、俺達はUFO?を離れた。
「あれ・・・どう思った」
「唯のハリボテ。間違い無いよ」
紅輝が言う。俺もそう思う。
「じゃあ例の記事も全部眉唾モノってことか」
「いや、そうとは言い切れない」
国嶋が言い添えた。
「ハリボテとはいえ、態々あんなでかいモノを造るのは大変だろう。じゃあどうして造ったと思う?」
「そりゃあ・・・人を集めたかったんじゃないか。話題を作って」
「話題づくりなら他に幾らでも方法があるだろう。あんなものに金をかける必要は無いはずだ」
それもそうだ。
「お前達、ハリボテというものがそもそも何のためのものか知らないのか」
親父さんが言って、俺達は口を閉じた。
「ハリボテというのは、何かを『誤魔化す』ためのものだ」
「・・・あれで一体何を誤魔化しているって言うんですか」
紅輝が訊ねると、親父さんは首を振った。
「そこまでは未だわからん。何を誤魔化して、あるいは隠しているか・・・」
「考えすぎじゃないですか」
紅輝が口応えしたのが気に入らないらしく、親父さんは紅輝を睨むようにしてから、
さっと踵を返してさっさと歩いていってしまった。
「・・・気難しい人だな」
「変人だよ」
紅輝の方もぷいっとそっぽを向くと、親父さんの後ろをついていってしまった。
「・・・何かあんの、あの親子」
「さぁ?俺も良く知らないな」

次にやって来たのは、例の記事を出した新聞社だった。
あのUFO?が何かを誤魔化しているのだとしたら、あの記事を書いた人間を疑うのは当然。
受付で事情を説明すると、いやににこやかに対応してくれて、応接室へ案内してくれるようだ。
「あ、俺パス。外で一服してる」
「お前、そんな勝手な――」
「構わん」
親父さんは早く話を聞きたいらしく、俺が何をしていようが構わないという様子だ。
「国嶋、後で要点だけ教えてくれ」
「あ、あぁ、わかった」
俺は入ってきたばかりの自動ドアを出て、すぐ脇にある喫煙スペースへ入った。
軒下を囲っているだけの狭い空間だが、ちょうどここから応接室の中を見ることができた。
部屋へ入った三人が、担当と思しき男と握手を名刺を交換している。
ああいうのが嫌なんだよなー。堅苦しいというか何と言うか。面倒臭い。
三人がソファに腰を下ろし、何やら話し始めたところで、俺も顔を逸らして煙草に火をつけようとして・・・。
「ライター落としたぁ・・・」
がっくり項垂れた。
「よかったらどうぞ」
いつの間にか隣に立っていた男が、紙マッチを俺に向けて差し出していた。
「あ、どーも」
ありがたく頂戴して一本擦り、火を点けた。
「珍しいですね、イマドキ。紙マッチ」
それをくるくると回して眺めて見ると、見知ったロゴが入っていたので驚いた。
俺も行ったことのある、大阪のゲイバーのものだった。
改めて男を見てみると、背が高く短髪が似合う爽やか系だった。年は三十路半ばというところか。・・・イケるな。
「あの、こういうところ行くんですか」
「あぁ、まぁね」
おぉ、堂々としてる。俺もこうやって恥ずかしがらずに言えるようになりたいな。
だけど、この場面では黙っておく。わざわざ言うようなことじゃないだろう。俺も同好の士です、なんて。
「ここの方ですか?」
「えぇ、編集部に居ます」
「お。お前も一服かぁ?」
従業員用出口から出てきたのは、やはり背が高く、こちらはがっちりとした体育会系。犬顔だ。爽やか男の同僚と見える。・・・イケるイケる♪
・・・イイ男揃ってるなぁ、この会社。転職しようかなー。
「あんたは?」
「あぁ、俺は防え――あーっと・・・調査会社の者です。ちょっと、例のUFOのことで調べてて」
「っはは、あんなもの調べてんのか」
大きな声で笑った犬顔が、俺の肩をバシバシと叩いた。
「あれってやっぱりハリボテですよねぇ?」
「あぁ、ただのアルミの箱だよ」
「ですよねー」
やっぱり。じゃあどうして、こんな騒ぎに――
「ただし・・・」
犬顔が叩いていた手を止め、そのままがしっと俺の肩を掴んだ。
顔をグイッと近づけてくる。ヤニの匂いがキツイ。
「お前、ハリボテってのが何のためのものなのか知ってるか?」
おお、どこかで聞いた科白だ。
「何かを誤魔化すため、でしょう?」
「そう!後ろにあるものを隠すためのもんだ」
「後ろ?アレの後ろに何かあるって言うんですか?」
「後ろじゃなくて、」
犬顔は、足でドンドンと地面のコンクリを叩いた。
釣られて俺も下を見る。
「・・・下?」
「そう、アレの下にあるのさ!」
「下に何――

ガツン。

がっ!?」
下を向いたところに、上から急に押さえつけられ、俺は地面に倒れ付した。持っていた煙草の火がコンクリに転がる。
首を捻って後ろを見ると、犬顔がさっきのニヤついた顔のまま俺のことを押さえていた。
「なんの・・・心算だっ・・・」
「なに、怖がること無いさ」
答えたのは犬顔じゃなく、爽やか系の方だった。
爽やか系はゆっくりとシャツのボタンを脱ぎ始めた。
シャツの下、男は肌着を着ていなかった。露になった裸体は以外にも鍛え上げられ引き締まっていて――
いや、そんなことより。男の肌の上を、蛞蝓か海鼠かウミウシか、曰く言い難い巨大な生き物が何匹も這い回っていた。
「君が、一番頭が良くて、一番強いんだってね」
「・・・え?」
「それに、確かに顔もいい。俺の好みだ」
爽やかな顔をにやっと歪めて、男は海鼠の一匹を自分の肌から引き剥がした。白い糸が粘ついている。
それを俺の背中に近づけてくる。
全身から冷や汗が噴き出した。その時俺は、本能的な危機を感じていた。
「おい、早くやれよ」
犬顔が待ちかねた様子で急かす。
「分かってるよ」
「や、やめ――」

プツッ。

海鼠の口から細い触手のようなものが伸びたかと思うと、首筋にチクッと注射針を刺されたような痛み。
犬顔は俺の身体を解放した。
俺はすぐに身体を起こして、身体に付いた砂や煙草の灰を叩いて落とした。
「気分はどうだ?」
「あぁ、悪くない」
「なら・・・」
犬顔が俺の肩を掴み、引き寄せようとする。
「いいだろ?」
・・・とんでもない。
俺は犬顔の手を叩いて退けた。
「え?」
「舐めんな」
そうだな。確かにやたらムラムラするし、頭の中エロいことで一杯だ。
だけどそんなの、いつものことだし。
・・・まぁ、勃っちゃってるのはちょっと困るけど。
もしこれが“初心者”なら、うおーってムラついて勢いでヤっちゃうんだろうけどさ。
残念ながら、俺は“歴戦の勇者”だからな。
こんな安っぽい展開で、目の前の男とヤるなんて勘弁だ。
「あんたら確かにイイ男だけどさ、俺、ヤる相手ちゃんと選びたいから」
二人はポカンとした顔で俺のことを見詰めていた。
俺は襟を正して、背中についている寄生体を隠すと、まだ燻っていた煙草の火を踏み消した。

寄生体が侵食した大脳へ、直接情報が流れ込んでくる。
『彼ら』の目的。『彼ら』の生存方法。『巣』の位置。そもそも『彼ら』が何なのか。
「・・・さて、あっちはどうなったかな」
応接室の方を見ると、何やらバタバタと騒いでいた。
三人が部屋を飛び出していくのが見える・・・ちっ。あいつ、しくじりやがったな。
まぁ、その方が、俺の楽しみが増えるし、いいか。

「龍二!逃げるぞ!」
「え・・・おい、どうした?」
慌てている三人に、何も知らない風を装って近寄っていった。
国嶋に腕を掴まれた。ちょっとドキッとした。
紅輝はと言うと、親父さんを庇うように・・・右手に銃を持っている。
「ぼーっとしてんな!話は車の中だ。いいから乗れ!
国嶋に怒鳴られた。俺は早くお前に乗りたいよ。なんて。
俺達は走って車に乗り込んだ。が、
ボンネットにいきなり男が飛び乗ってきた。あの犬顔の奴だ。
フロントガラスにしがみつくようにして邪魔をしてくるが、紅輝がブンブン車のケツを振って振り落とすことに成功した。
なかなかいい演出をするじゃないか、犬顔の奴。
紅輝の運転で、新聞社はぐんぐん遠ざかって行った。

「何があったんだ」
全て知っているが、一応体裁を保つためそう訊ねる。
「名刺交換して、しばらく普通に話してたんだけど」
「お茶持って入ってきた男が急に飛び掛ってきたんだ。
咄嗟に投げ飛ばしたら、そいつの背中に何か変なものが――」
「これだ」
助手席の親父さんが、懐から透明なビニール袋を取り出した。
その中に入っていたのは、紛うこと無き寄生体。だが、既に息絶えている。
「お、やじ、それ・・・!」
「死んでいる、心配ない」
「いつの間に・・・」
紅輝も国嶋も呆気に取られている。・・・俺もだ。まずいなぁ。
「国嶋君、これを調べられるかね」
「あ、はい!未知の生物ですので、どこまでわかるかわかりませんが・・・」
「どこまでも理解してくれないと困る・・・あの連中を見ただろう」
「尋常じゃ無かったよな」
「あれは一体何なんだ」
親父さんの問いに、国嶋が一瞬間を置いて考えてから、
「・・・これはおそらく、寄生型の地球外生物だと思います。しかも、宿主を支配するタイプの。
それがどういう支配なのか、どういう機構なのかは、調べてみないと何とも言えません」
「事がこのような状況になったのだ。若松博士も、手が離せない、などと言っていられないだろう」
「そうですね・・・すぐ連絡します」
国嶋は携帯電話を取り出し、どこかへ電話を始めた。
若松というのは、例の国嶋の上司だろう。宇宙生物学、ね・・・。
調べたところでどうせ理解できないだろうとは思うが、面倒なことにならないとも限らない。
何とかしないと・・・。


国嶋が連絡を入れて、結局俺達はそのまま国生研へ向かった。
どうやらここに作戦本部を立てることになりそうだ。
その日の夕方には防衛の偉いさん方が集められ、大して広くもない会議室の楕円卓には、見る者が見れば卒倒するような面子が並んだ。
・・・頭がこの場所に集まっているのは、悪くない。寄生体を広めるのにうってつけの状況だ。
だが、偉い人間が多いということは、それだけ警備も手厚くなるということ。
その中で、俺一人・・・相当上手くやらなければ、こちらが危ない。

親父さんが指揮をとることになり、一番前の真ん中の席に陣取っている。
その脇に国嶋と、何故か俺が座らされているが、紅輝はというと部屋の丁度反対側、一番遠い位置に居る。
「早速だが、若松先生」
「はいはい」
もじゃもじゃの白髪を後ろで束ねた、黒縁眼鏡のじいさんだった。これが、宇宙生物学の権威だというのか。
親父さんに呼ばれた若松はのそのそと前の方へ出て行き、隣に立った国嶋が天井から白いスクリーンを引き下ろした。
部屋が暗転し、そこに一枚のスライドが現れた。
「これが、今回回収した寄生体の姿です」
会議室内からどよめきが起こる。まだ実物を見たことの無い連中が殆どだからな。
「・・・海鼠のようだな」
「確かに、外観は海鼠かウミウシのようですが、内部構造は全く異なります。
まず、海鼠などと違って、こいつは体内に消化器官を持ちません。口も胃も腸も肛門も無い。
更には、目や耳や鼻に当たるような感覚器官も持ちません。
どのように栄養を摂取しているか、またどのように外部を把握しているか、それは今後検討すべき課題ですが――」
若松が合図をし、国嶋がスライドを切り替えた。
寄生体が触手を伸ばした姿が映し出され、再びのどよめきが起こった。
「こ、これは、何なんだ・・・」
「この触手のようなもの、これはヒトで言うなら神経細胞に近いものだと思われます。
ただし、ヒトのそれのようにか細いものではなく、太く強靭で、先端は鋭利なものです。
更に解剖所見によると、この寄生体本体の組成の多くの割合を、この触手と同じものが占めています。
要するに、この海鼠は、丸ごとが神経細胞の塊。乱暴な言い方をすれば、脳だけで生きている生き物、ということです」
「・・・どういうことだ?」
「国嶋君達の証言から、この寄生体は宿主の背中、首筋の当たりにしがみついていたということです。
そして、寄生体を剥いだ後の宿主の首筋には、小さく円い傷跡が残っていました。
ここからは推論ですが、寄生体はこの触手を宿主の脊椎、あるいは脳に直接に接続していると思われます。
それにより、宿主の身体感覚、あるいは精神までをも支配することが可能になります。
同時に、宿主は自分の脳以外にもう一つ、巨大な脳を手に入れることになります。
コンピュータのメモリを増設するように、情報処理能力が大幅に上昇し、宿主に本来以上の能力を与えます」
「あの、それから・・・」
若松が話を一区切りしたのを見て取って、国嶋が言葉を挟んだ。
「まだ、根拠も何も得られていないことですが・・・目撃者として、述べておきます」
「なんだね」
親父さんに促されても、国嶋は言い辛そうにしている。
それを見て、俺も国嶋が何を言おうとしているのか悟った。
「寄生された人達は、皆、その・・・たっていました」
「は?」
会場がシーンとなる。そりゃそうだろう。俺だって、知らなければ、笑い飛ばしている。
「ですから、その・・・勃起していたんです」
「・・・それは・・・どういうことだ?」
「い、いえ、ですから、理由も原因もわからないことです。ただ、私達はそれを見ましたので、一応・・・」
「私は、それについても非常に興味深いと思っております」
若松が助け舟を出した。
「その原因については、寄生体が何らかの性的刺激を宿主に与えているためだと思われます。
しかし理由の方は定かではありませんので、これもあくまで推測ですが、性的刺激は、当然、性的な行為を誘発します。
宿主にそのような行動を取らせることが、寄生体の目的だと思われます。
蝸牛に寄生し、態と鳥に狙われやすい行動を取らせ、鳥の餌にさせるという寄生生物が実在します。
その目的は、鳥の体内で繁殖し、糞として散布されるため。つまり、増殖のためです。
今回の寄生体についても同様に考えるならば、その目的は増殖、生殖のためということになります」
「人間のようにセックスをして殖えるというのかね」
「その言い方には語弊がありますね。生殖器官というものは、この生物には存在しませんから。
しかし、何せ地球上に存在する生物ではないのですから。どのような繁殖方法を採るかについては、研究の余地があります」
「博士、勘違いしてもらっては困る」
「はい?」
親父さんが不機嫌そうに、
「これは貴方の研究ではない。実際に起こっている事態、事件だ。
貴方の興味の儘研究をしてもらう余裕は無い。解決に向けて必要な事項から検討を進めてくれ」
「・・・わかってますよ」
舌打ちでもしそうなほど不服そうに、若松は頷いた。
「しかし、皆、その・・・たっていた、って話ですよね?」
「はい」
出席者の一人が尋ね、国嶋が答えた。
「つまり、寄生されてたのは男ばっかりってことですか?」
「そうですね。とは言っても、私達が見たのは新聞社の中に居た人間ばかりですが」
「そういえば、受付の中に居たのも男だったな」
紅輝の言葉に頷き、国嶋が続けて、
「少なくともあの中には、女性の姿は見受けられませんでした。本来なら、女性が居ておかしくないと思うのですが」
「男性に選択的に寄生しているのかもしれません。しかしその理由についても、未だわかりません」
「しかし、女性に無害だとするなら、対策のヒントにはなるかも知れませんね」
「女に戦地へ向かわせるというのか。馬鹿を言うな」
親父さんが言い、再び場は静かになったが、紅輝が声を上げた。
「女性蔑視ですか」
「そうではない。女が居なかったなら、そこに居たはずの女達がどこへ行ったのか、考えてみろ」
「・・・殺されている、っていうんですか」
「最悪は、な。実際のところはわからん」
場が緊張で張り詰めていく。徐々に皆、事態の深刻さを飲み込み始めているようだ。
「でも・・・」
別の一人が、おずおずといった様子で手を挙げた。
「男ばかりで、それを皆、あの・・・寄生体が性的興奮させて、繁殖、させようって言うんなら・・・それってつまり・・・」
気まずそうな雰囲気が場を満たす。中でも決まり悪そうな顔をしているのは、国嶋だった。
「うげ、きしょくわり・・・」
誰かが小さく漏らした。国嶋が顔を歪め、顎にぐっと力を入れたのが見えた。

「えーっと、皆さんここらで一服しませんか」
なるべく明るい調子で俺が声を上げ、部屋に満ちた重たい空気を裂いた。
が、案の定親父さんが嫌そうな顔をする。
「しかし、悠長に構えている時間は――」
「確かに、未知との遭遇ですからね、迅速に対処すべきでしょう。
けれど慌てて詰め込んでも皆さん理解が追いつかないのではないでしょうか。何せ、未知との遭遇なんですから。
落ち着いて冷静に検討を進めるべきだと思います。コーヒーでも飲みながらね」
俺の言葉に、親父さんは少し考えるようにしてから頷いた。
「・・・その通りだな。十分ほど休憩にしよう。博士、少し確認したいことがある」
「はいはい」
若松が呼びつけられて親父さんの傍に行き、何やら訊ねられて説明を始めた。

「ふぅ・・・」
俺は椅子に深く凭れて、溜め息を吐いた。
若松達の調べは思いの外深いところまで進んでいる。このままやらせておくのはよくないかもしれない。
さて、どうするか――
「雫木」
国嶋が席に戻ってきて、俺の前に紙コップのコーヒーを差し出した。
「お、さんきゅ」
そのまま国嶋は俺の隣に腰を下ろした。
「さっき、ありがとう」
「あ? いや、別にお前助けたわけじゃないし。俺だって気分悪かったし」
「それでも、俺は助けられたような気がするからさ。一応礼言っとく。ありがとう」
そう言って柔らかく笑う国嶋に、俺はまたドキッとした。紅輝が惚れるのもわかる気がした。
「お前、まだあいつのこと好きなのか」
「ん?」
俺は部屋の後ろの方を顎でしゃくった。そこには、俺達のことをジト目で睨んでいる紅輝がいた。わかりやすく妬いてるねぇ。
それを見て国嶋は苦笑して、
「さぁ、どうだろうね」
「誤魔化すなよ」
「自分でもよくわからないんだよね」
そう言ってコーヒーを一口飲んだ。俺も黙って一口啜った。
「あいつはまだお前が好きだぜ」
「そうかな」
「見ればわかる」
俺は溜め息と共に吐き出すように言った。
「今朝、初めてお前に会った時、あいついきなりお前に駆け寄ってハグしたろ。俺が居なけりゃキスくらいしてたかな」
「そんなこと・・・」
「普段はクールっていうか、落ち着き払って感情も表に出さないような奴なのによ」
「え、そうなの? 紅輝が?」
国嶋は意外そうに声を上げた。
「俺と居た頃は・・・いつでも明るくて、元気な奴だったよ」
「は? あいつが?」
深く頷く国嶋を見て、俺は怪訝に思った。今の紅輝からは想像もできないじゃないか。
「・・・逆かもしれないね」
「ん?」
今度は国嶋が紅輝の方を顎でしゃくった。
「あの目は俺に向けられてるのかも知れない。俺がお前のこと取るとでも思ってるのかもよ?」
「それはねーわ」
・・・残念だけどな。
「あのな、実は俺ら――」
大事なことを言い掛けたところで紅輝が立ち上がり、ゆっくりこちらに向かって歩いてきた。
俺達は話すのを止めて紅輝を見ていた。
俺達の目の前まで来て、紅輝は俺達を――俺を見下ろすようにした。
「なに? やっぱ妬いてんの?」
「やめろよ、雫木――」
「龍二」
紅輝が低い声で言い、俺達は口を噤んだ。そんなに怒るようなことかよ。
「お前、煙草は?」
「は?」
「吸わないのか?」
「あ、あぁ、ライター失くしちまってよ」
「ほら」
紅輝が差し出したジッポーを受け取る。
「おぉ、さんきゅ」
「吸いに行かないのか」
「え? あぁ、行こうと思ってた・・・一緒に行くか?」
「普段のお前なら、こんな会議の席に五分も座っていないだろう。
休憩時間なんて待たずに勝手に抜けて、一服どころか二服も三服もしてるはずだ」
「我慢してたんだろ? 流石に空気読んだんだよ。あーもー限界、五服くらいしてくらぁ」
紅輝は変わらず俺を睨みつけてくる。
その空気が伝播したように、部屋の中が徐々に静かになっていき、いつの間にかこちらに注目が集まっている。
・・・まずいな。
「・・・何だよ。何が言いたいんだ」
「別に何も。ただ、思い出したんだ」
「何を」
「あの新聞社で一服して以降、お前は煙草吸ってない」
「だから何だ。我慢してたって――」
「あの時、お前は煙草吸うために俺達から離れた。お前だけだ、あそこで一人きりになったのは――」
「だから何なんだよ! はっきり言えよ!」
思わず叫んでしまい、更にしくじったことを悟った。みんなの目つきが険しくなる。
「じゃあはっきり言う。お前、ちょっと立ってみろ」
・・・ふぅ。
「いいよ、それで気が済むんだな」
俺はゆっくり呼吸を整えてから椅子を引いて立ち上がった。
「ほら、見ろ。勃ってないだろ」
俺は腰を突き出すようにしてみせた。だが紅輝は表情を変えない。
「そんなことは聞いてない」
「シャツを脱げ」
紅輝の後を接ぐように、親父さんが言った。
「・・・は?」
「・・・そうだ。上、ちょっと脱いでみろ。それで何も無ければ、もう何も言わない」
・・・。
「雫木・・・?」
国嶋が心配そうな顔を向けてくる。
俺は、苦笑いを返した。

・・・ここまでか。

俺はスーツの上着に手を掛けて脱ぎながら、紅輝に背を向けた。
と見せかけて、丁度目の前に居た国嶋の腕を掴んだ。思い切り引き寄せる。
「なっ・・・」
再び振り返りながら、内ポケットから銃を取り出す。
その銃口を、国嶋の首筋に当てた。
殆ど同時に紅輝も銃を抜き、その銃口を、俺に向けた。
「龍二・・・」
「なんつー顔してんだよ紅輝」
喋りながら、俺は国嶋を連れたまま、ゆっくり後退る。
「心配すんな・・・どうせ、じきに皆同じようになるんだ」
紅輝は表情を変えない。
俺は足を止めない。ドアの近くまで来た。
「まずは、国嶋に“こっち”に来てもらっ――」

パン!

渇いた音がして、右手に激痛が走った。持っていた拳銃が弾け飛ぶ。
驚いたが、慌てはしない。そのまま右手を国嶋の首に回した。
「ぐぁっ・・・」
人を殺すのに武器なんて必要無い。このまま縊り殺すことだってできる。
国嶋が呻いても、紅輝の銃口は揺るがない。まっすぐ俺の方を向いている。
正確に俺の武器だけを落とす射撃の腕。国嶋を避けて俺だけを撃つことなんて造作も無いだろう。
冷や汗が背中を伝い落ちる。
紅輝の肩に力が入る。指が僅かに動く。

「駄目だっ・・・!」

喘ぎながら叫んだのは、国嶋だった。
「打たないでくれっ・・・」
その時はじめて紅輝の目が動揺し、構えた銃口が僅かに揺れた。
その機を逃さず、俺は国嶋の背中を突き飛ばし、身を翻した。

パン!

再びの銃声。紅輝の放った銃弾は、俺の後ろ髪を焼いたが、俺は止まらずに会議室を飛び出した。


研究所の存在は知っていても、実際に入ったのはこれが初めてだ。
しかし、何も考えず、というわけではなく、敢えて人気の無い方へ無い方へと走った。
紅輝が追ってきているのには気づいていた。足音は一つだけ。
やがて辿り着いたのは、廊下のどん詰まりにある薄暗い部屋。
どうやらボイラー室か何かのようで、低い機械音が響いている。
倉庫としても使われているのか、段ボールの中にキングファイルが山盛りになっている。
その部屋に飛び込んだ俺達は、灯りも点けないまま対峙した。
非常灯のグリーンだけが紅輝の顔を照らしている。

どうやら銃は持っていないらしい。国嶋に言われたことで置いてきたのだろうか。
「丸腰か」
「柔道でお前に負けたことがあったか」
言うが早いか飛びかかってきた紅輝の身体を難なくかわし、驚いている紅輝を引き倒すようにしてやった。
驚いて受け身もし損ねたのか、背中からモロに硬い床に叩きつけられ、紅輝は苦しげに喘いだ。
自分でも驚いた。こんなにあっさり勝ててしまうなんて。あの紅輝に。
へっ、と鼻で笑ってやった。
「若松の解説聞いてなかったのか? 今の俺には脳味噌が二つあるんだと」
身体能力だって、それに頭の回転だって普段の比じゃない。
「銃を持ってくるべきだったな」
話しながら、紅輝の傍に屈んだ。
「・・・さっき、本気で撃とうとしたろ」
「・・・撃つ、わけ・・・ないだろ・・・っ」
「嘘だね。分からないとでも思ってんのか?」
紅輝は答えずに口を噤んだ。こいつのことは俺が誰よりわかっている。その心算だ。
「・・・ああ。撃つ心算だった。その方が――」
「その方が俺のため、ってか?」
俺は紅輝の股間を思い切り踏みつけた。顔を歪めるが、呻き声も上げない。流石だな。
「もし・・・逆だったらどうした」
「なに・・・」
「国嶋が先に寄生されてて、人質が俺だったら・・・撃ったか」
「・・・ああ、撃っ――」
「嘘だ」
更に捻るように踏みつけた。
「ぐっ・・・」
「お前は撃たない。あいつを撃てない」
涙目で見上げてくるその顔がソソる。
俺は足を退けてやり、ほっとした様子の紅輝に顔を近づけ、口づけた。
一瞬は驚いていたようだが、習慣というのは恐ろしいものだ。
紅輝の舌は直ぐに俺を受け入れ、俺達はぐちゅぐちゅと体液を交換した・・・。

***

――目を覚ましたのは、真っ白い天井の部屋だった。
横を見ると何やら計器が規則的な音を立てており、点滴が吊るされている。
「雫木!」
耳元で叫ばれて、俺は顔を顰めた。
「うっせ・・・頭ガンガンする・・・」
「あ、ごめん・・・なかなか目ぇ覚まさないからさ」
えっと・・・。
「ここは?」
「医務室」
「あれから何分くらい経った?」
「半日くらいかな」
「は・・・」
半日・・・そんなに寝てたのか、俺・・・。
・・・え。
「やべぇ!!」
「な、何、どうした?」
「紅輝は!」
「え? 何か私用だとか言って、随分前に出て行ったけど」
「やっべぇ・・・」
自分がしでかしたとんでもないことを思い出し、冷や汗が噴き出した。
慌てて立ち上がろうとすると眩暈がして、ふらふらと国嶋に寄りかかってしまった。
「だ、大丈夫かよ・・・急に動いたら駄目だ」
酷い倦怠感もある。これは・・・後遺症、なのだろうか。
「早く・・・止めないと」
「何を?」
「紅輝」
「え?」
俺は国嶋の手を握り、
「紅輝の親父さんとこへ連れてってくれ。早く」
「一体どうしたって――」
「紅輝に・・・俺が、移した」
「え・・・」
「あの寄生体を、俺が、移した!止めないと・・・とんでもないことになる」
絶句した国嶋の肩を掴んで揺らした。
「寄生体を逃がすために、俺が・・・あいつは今、俺みたいになってるんだ」
取り返しのつかない事になる前に、紅輝を止めないと――!

研究所の存在は知っていても、実際に入ったのはこれが初めてだ。
しかし、何も考えず、というわけではなく、敢えて人気の無い方へ無い方へと走った。
紅輝が追ってきているのには気づいていた。足音は一つだけ。
やがて辿り着いたのは、地下の廊下のどん詰まりにある薄暗い部屋。
どうやらボイラー室か何かのようで、低い機械音が響いている。
倉庫としても使われているのか、段ボールの中にキングファイルが山盛りになっている。
その部屋に飛び込んだ俺達は、灯りも点けないまま対峙した。
非常灯のグリーンだけが紅輝の顔を照らしている。

どうやら銃は持っていないらしい。国嶋に言われたことで置いてきたのだろうか。
「丸腰か」
「柔道でお前に負けたことがあったか」
言うが早いか飛びかかってきた紅輝の身体を難なくかわし、驚いている紅輝を引き倒すようにしてやった。
驚いて受け身もし損ねたのか、背中からモロに硬い床に叩きつけられ、紅輝は苦しげに喘いだ。
自分でも驚いた。こんなにあっさり勝ててしまうなんて。あの紅輝に。
へっ、と鼻で笑ってやった。
「若松の解説聞いてなかったのか? 今の俺には脳味噌が二つあるんだと」
身体能力だって、それに頭の回転だって普段の比じゃない。
「銃を持ってくるべきだったな」
話しながら、紅輝の傍に屈んだ。
「・・・さっき、本気で撃とうとしたろ」
「・・・撃つ、わけ・・・ないだろ・・・っ」
「嘘だね。分からないとでも思ってんのか?」
紅輝は答えずに口を噤んだ。こいつのことは俺が誰よりわかっている。その心算だ。
「・・・ああ。撃つ心算だった。その方が――」
「その方が俺のため、ってか?」
俺は紅輝の股間を思い切り踏みつけた。顔を歪めるが、呻き声も上げない。流石だな。
「もし・・・逆だったらどうした」
「なに・・・」
「国嶋が先に寄生されてて、人質が俺だったら・・・撃ったか」
「・・・ああ、撃っ――」
「嘘だ」
更に捻るように踏みつけた。
「ぐっ・・・」
「お前は撃たない。あいつを撃てない」
涙目で見上げてくるその顔がソソる。
俺は足を退けてやり、ほっとした様子の紅輝に顔を近づけ、口づけた。
一瞬は驚いていたようだが、習慣というのは恐ろしいものだ。
紅輝の舌は直ぐに俺を受け入れ、俺達はぐちゅぐちゅと体液を交換した・・・。

***

――目を覚ましたのは、真っ白い天井の部屋だった。
横を見ると何やら計器が規則的な音を立てており、点滴が吊るされている。
「雫木!」
耳元で叫ばれて、俺は顔を顰めた。
「うっせ・・・頭ガンガンする・・・」
「あ、ごめん・・・なかなか目ぇ覚まさないからさ」
えっと・・・。
「ここは?」
「医務室」
「あれから・・・何分くらい経った?」
「720分くらいかな」
「そうか・・・それって何時間くらいだ」
「12時間だよ」
「そうか・・・って・・・おい」
半日・・・そんなに寝てたのか、俺・・・。
・・・え?
「やっべぇ!!」
「な、何、どうした?」
「紅輝は!」
「え? 何か私用だとかって、昨日の夕方に出て行って・・・そういえばそれっきり・・・」
「やっべぇ・・・」
自分がしでかしたとんでもないことを思い出し、冷や汗が噴き出した。
慌てて立ち上がろうとすると眩暈がして、ふらふらと国嶋に寄りかかってしまった。
「だ、大丈夫かよ・・・急に動いたら駄目だ」
酷い倦怠感もある。これは・・・後遺症、と呼ぶべきなのだろうか。
「早く・・・止めないと」
「何を?」
「紅輝を」
「え?」
俺は国嶋の手を握り、
「紅輝の親父さんとこへ連れてってくれ。早く」
「一体どうしたって――」
「紅輝に・・・俺が、移した」
「え・・・」
「あの寄生体を、俺が、移した!止めないと・・・とんでもないことになる」
絶句した国嶋の肩を掴んで揺らした。
「寄生体を逃がすために、俺が・・・あいつは今、俺みたいになってるんだ」
取り返しのつかない事になる前に、紅輝を止めないと――!



―――前日、倉庫でのこと―――

突然のキスにも関わらず応えてしまったのは、空恐ろしい、長年の習慣というヤツだろうか。
龍二の口内は普段より熱く潤っていて、その舌は俺の舌を引きちぎらんばかりに暴れ回ったが、俺は口を離さなかった。

数十秒もそうしていた後、唇を離され身体を解放された途端、身体の全てから力が抜け落ちていくような感覚がして、俺は床にぐしゃりと崩れた。
いやに身体が熱い。燃えるようだ。その分床の冷たさが凍みるようだ。けれど全く力が入らず、身を起こすことさえできそうにない。
「もう効いてきたのか。思ったより随分早いな」
龍二が俺を見下ろして言うが、俺はもはや視線を上げることさえも億劫だった。
「ケツ掘られたくて堪らないんだろう?俺もやってやりたいのはやまやまなんだが、何せ時間が無い。
説明する暇も惜しいが、まぁ全部すぐにわかることだから心配すんな」
龍二の声は普段に無いほど優しく、鼓膜をくすぐった。
「あれこれ予定はあったんだが、お前がバラしたせいで全部パァだ。
なのでここから逃げたいわけだが、どうやら俺には無理らしい。俺にはな」
龍二は脱力した俺の身体を抱え込むように起こし、丁度座ったまま抱き合う形になった。背中を撫でてくれる手が気持ちいい。
「だから後はお前に頼んだぜ」

ちくっ、と微かな痛みを首筋に覚えた。
同時に龍二の身体から急に力が抜けたように、俺の方へ寄りかかるように倒れてきた。
数秒、俺達は互いの身体を身体で支え合うような形で座り込んでいた。
やがて廊下から足音が聞こえてくると、俺はガバッと起き上がった。
支えを失って倒れ込む龍二の身体には目もくれず、俺は一方の壁の上の方に空いている通風孔を見つけると、それに駆け寄った。
孔を蓋しているアルミ製の柵に飛びつき、力任せに引っ張った。
寄生体のおかげで得た常人以上の腕力によって、柵はあっさり曲がり、ぐにゃりと変形した。

「紅輝!」
一番に駆け込んできたのはやはり蒼太だった。
昔から変わらずあどけない表情に、経てきた経験と時間とが重ねて刻まれたその顔は、前よりもずっと魅力的だ。
俺の胸はひとりでに高鳴り、股間が俄かに疼き出したが、寄生体の制御によって半勃起程度の状態に抑えられる。
蒼太が一番に発した言葉が『雫木』じゃなく『紅輝』だったことに、どうでもいい優越感を覚えた。
「こ・・・大丈夫か!?」
「あぁ・・・だけど、逃げられた」
俺は平然と言い、通風孔を指差した。
嘘は吐いていない。あそこから逃げた、などとは言っていない。
これから逃げるのだ。俺と一緒に。
乱れた服を直すふりをしながら、そっと首筋を襟に隠す。
遅れて入ってきた親父達が、室内を見て状況を理解した。
「建物を封鎖して捜索に当たれ。誰かに寄生しているかもしれない、必ず身体チェックをしろ」
指示を受けて全員がバタバタと部屋を出るのに紛れて、俺も出て行こうとしたところに、
「紅輝」
呼び止められて振り向くと、蒼太が龍二の傍にしゃがみ込んだままこちらを見上げていた。
「雫木を運ばないと」
「あぁ・・・誰かに声掛けてくるよ」
「え――」
小さな呟きを聞いた気がしたが、俺は足を止めずに部屋を出た。
その足で会議室に戻って上着を羽織る。
「お出かけですか」
声を掛けてきた研究員らしき青年に目をやる。
インテリじみたこの男が、裸の上に白衣を纏って乱れる姿を想像してしまい、喉が鳴った。
それも悪くないが、また今度にしよう。
「私用で少し出てきます」
そう言いおいて部屋を出る直前に思い出し、あぁ、と声を上げた。
「地下の倉庫に誰か人手をやってくれ。怪我人が動けないで居るから」
言いつけて、今度こそ俺は部屋を出た。

―――そして翌朝―――

指示に従って辿り着いたのは、もう幾度と無く来たことのある、俺にとっても馴染みの場所だった。
ドアノブに手を掛けて、当然ながら鍵がかかっていることを確かめた。
仕方なく俺は上ってきたばかりの階段を引き返す。
合い鍵を貰っておけばこんな手間はかからなかっただろう。
だが、これだけ長い付き合いの中で、俺は鍵をくれと言わなかった。あいつも、鍵を渡すとは言い出さなかった。

一階にある管理人の部屋の前に立ち、呼び鈴を鳴らした。
すると中から、予想外に若い声が返ってきた。その声の主に思い当たり、俺はほくそ笑んだ。
ドアが開く前に笑いを引っ込めて、出てきた彼に片手を挙げた。

「よぅ」
「あれ、吾妻さん・・・こんにちは。どうしたんですか?」
「あぁ、いや・・・じいさんは?」
「老人会の旅行だかなんだかで、二泊三日の温泉三昧だそうです」
彼はやれやれ、という風に肩をすくめて見せた。
彼の出で立ちは、Tシャツに黄色いナイロンパーカー、ハーパンの下に流行りのレギンスという格好だった。
日焼けした顔にほんのり脱色された短髪がよく似合う爽やか大学生の彼は、このアパートの管理人の孫だ。
「じいちゃんに何か用でした・・・あの、吾妻さん?」
彼の身体の上に視線を上下させて吟味していた俺は、声をかけられてハッと顔を上げた。
「・・・悪い、どこかへ出かけるところだったか?」
どう見ても部屋着ではないその格好を見て言うと、彼はああ、と声を上げた。
「天気もいいんで、ちょっとひと乗りしてこようかと」
そういえば自転車が趣味だと言っていたか・・・きっと太腿は棍棒のようなのだろう・・・。
「時間をとって悪いけど、あいつの部屋の鍵開けてくれないか。荷物を取りに来たんだが」
「荷物を・・・とうとう離婚ですか?」
「り・・・」
俺が言葉を詰まらせると、彼はにやにやと笑った。
「冗談ですよ」
最近の若者らしくそういった方面に寛容な彼は、俺とあいつの関係に気づいていながら、普段から何も言わない。
「龍二に届いてる荷物をとってこいって頼まれただけだ。第一、結婚なんてしていない」
したくともできない国なのだ。
「わかってます、冗談ですって。ちょっと待っててくださいね」
そう言って彼は一旦引っ込んだ。

というか・・・とうとう、って言われたか?俺達は彼からどう見られているのだろうか。
しばらくしてやってきた彼は、大きなダンボールを2つ抱えていた。
「これ、さっき雫木さんの留守に来た宅配便をたまたま見かけたんで、こっちで預かってたんですよ」
「そうか、悪かったな」
言いながら一つを受け取り、
「迷惑ついでに、部屋まで運ぶの手伝ってくれないか」
「いいですよ」
快く引き受けてくれた彼を後ろに従えて、俺はまた階段を上った。

彼に鍵を開けさせ、俺が先に中へ入った。
「これ開けるの手伝ってくれないか。中身、結構面白いものだぜ」
「へぇ、何ですか?」
居間の真ん中に箱を下ろし、俺はそのウチの一つの封に手をかけた。彼が怪訝な顔をして、
「あれ・・・これ、差出人書いてないや」
「大丈夫、相手わかってるから」
名を伏せて送ってくることになっている。というか、差出人不明の物を受け取るか、普通。結構ボケてるな。

封を破いて箱を開けると、中身は大量の大鋸屑だった。緩衝材だろう。
俺はその中に手を突っ込み、目的の感触を見つけると、ゆっくり引っ張り出した。
一見すると、黒い大振りの卵のような姿をしたそれに、彼は怪訝そうな顔をした。
彼の方へ差し出すと、黒い卵はゆっくり花を開くように身を解いた。
これは、寄生体が丸まった姿なのだ。
ねばねばと糸を引きながら開いた花を彼の方へ向ける。
わからないなりに本能的な危機を感じたのか、彼は小さく悲鳴を上げて身を翻した。
俺はすかさず彼の首根っこを掴んで引き寄せる。常人離れした今の俺の膂力から逃れられるわけはない。
丁度彼の身体の向こうに大きな姿見があり、俺達の視線が鏡越しに重なった。
不安げな目をしている彼に、一瞬だけ俺は笑いかけてやった。
手にしたそれを彼の背に近づけると、獲物を感知した寄生体が素早く触手を伸ばし、彼の太い首筋に突き立てた。
鏡の中の彼は、俺を見つめたまま、ほんの一瞬だけ顔を歪めた。
・・・だが、それはすぐに喜悦の笑みに変わり、だらしなく口を開いたまま脱力した。

「ふぅ・・・」
大きく溜め息を吐いて、彼は抵抗を止めた。その身体を後ろから抱きしめてやる。
パーカーの下、シャツの下へ手を入れ、割れた腹筋の手触りを愉しんだ。
彼は俺の手に自らの手を添えて、愛しげに撫で回す。
自ら俺の手を導いて、右手を胸板へ、そして左手を股間へと運ぶ。
そうした彼の姿も艶めく表情も、全て鏡に映し出されていて、彼は自身の姿に見惚れるように呆けている。
「・・・したいのか」
耳元で囁いてやる。・・・いつも、この部屋であいつが俺にそうしてくれるように。
「うん・・・したい」
彼の言葉を表すように、左手に触れるものがみるみる硬くなっていき、右手に触れる突起も抵抗を増す。
もう少し焦らしてやろうか・・・などと思っていると、両腕をがしっと掴まれた。
そのまま腕を引かれ、彼がくるっと踊るように体勢を入れ替えると、俺の方が鏡の前に立っていた。
鏡の中の彼がにやにやと笑う。
「吾妻さん、“受け”だよね」
「ネコって言うんだ、受け側のことを」
「へぇ、専門用語? で、吾妻さんネコでしょ? だって――」
今度は俺が後ろから抱きしめられ、身体を撫でられながら、

「いっつもやらしい声聞こえてるよ」

耳元で囁かれて、ぞくっとした。全身に鳥肌が立っている。
「したいんでしょ」
いつものように、うん、と思わず頷いてしまいそうになるが、大人としての理性で堪える。
相手はあいつじゃない、ガキだ。舐められてはいけない。
「してあげてもいいよ」
べろりと首筋を舐め上げられ、理性がまた少し傾く。こんな子供に・・・。
「いつも・・・そんな風に女を誘ってるのか」
「さぁ、どうだったかな・・・今はとにかく吾妻さんとしたいよ」
股間を撫でられ、硬くなってしまっているそこを自覚する。
寄生体が勃起を制御していないということは・・・やっちゃっていいということか?
「・・・したい」
「え? 何?」
「したい。入れてくれ。めちゃくちゃに突いて欲しくてたまんねぇ」
俺が言うと彼は可笑しそうに微笑み、俺の腰を掴んだ。ズボン越しに擦り付けるようにしてくる。
「しゃぶったり濡らしたりしなくていいんだよね」
「あぁ、必要無い」
寄生体に侵されると、宿主は『性交』に適した身体構造にされる。
ケツの中は潤滑剤無しでも平気なほど滑り、あらゆる体臭や体液に催淫作用が備わる。

ズボンを脱ごうとする彼に、
「全部脱ぐな。その格好のままがいい」
「・・・へぇ。結構変態だね、吾妻さん」
「うるさい」
「それじゃ、吾妻さんも、全部脱がないで。上はスーツのままでね」
俺もズボンが汚れてしまうと今後困るので、ズボンだけは脱ぎ、ネクタイを少し緩めた。
彼が俺の尻を掴んで拡げてくる。
「すげー初めて見たー。吾妻さん結構毛ぇ薄いんだ」
「お前は結構濃いな」
彼が取り出したものは、黒い茂みの中に反り返っていた。
それは今まで見たものの中でもかなり上位に入る、形と、大きさをしていた。
それでいてあまり太くない。きっと、入れると気持ちがいい。

堪らず、俺は自ら腰を突き出すようにして、鏡の縁を掴んだ。
「いつもその体勢でしてるの、雫木さんと」
「うるさい。早く入れ――ぁっ・・・」
「言われなくても」
思ったとおり、太くないそれはすんなりと俺の中へ入った。まぁ、多少の太さなら受け入れる自信はあるが。
「すげー・・・締まる・・・」
うっとりとした声の彼に、俺は何故か誇らしくなる。
「吾妻さんみたいのも、やりまんって言うの?」
「言わない。名器と呼べ」
「・・・どっちもどっち」
「奥まで、入れてみろ」
「うん・・・あぁ・・・あったけぇ・・・」
一番奥、一番いいところに当たり、ほんの少し身体が震える。彼はそれを見逃さなかった。
「ここかぁ・・・」
悪戯な笑みを浮かべ、彼は腰を振り始めた。
実に、的確に、その・・・うぅ・・・イイトコロに・・・ぁっ・・・当ててくる・・・。
「もっと声出していいよ。いつもみたいに」
「誰、がっ・・・」
「いつも啼いてるじゃない。雫木さんに突かれまくってさ。俺の部屋までだだ漏れだよ」
「うっ、うぅ・・・」
鏡の中で、パーカーを着たままズボンだけずらした彼が、スーツを着て下半身は裸の俺を突いている。
鏡の中の自分と近づいたり離れたりしながら、俺は彼のするがままに突かれた。

にやにやしていた彼の顔も、次第に真剣な表情になり、それを過ぎると表情がぐにゃぐにゃに蕩け出した。
「はぁ、はぁ・・・すげぇ・・・すげぇよ・・・」
焦点の合わない目で、うわ言のように、すげぇすげぇと繰り返している。
俺の方も、普段に数倍する快感がケツから上がってくるからたまらない。
だが、彼の方がなかなか達してくれない。このままじゃ・・・あっ・・・。
びゅるっ、と漏れるように、俺の方が先にいってしまった。
自分のケツがきゅっと締まるのが分かる。
「うぁっ・・・」
それにつられるように彼の方も達し、ケツの中にじわっと広がる。
力尽きたように彼が俺の腰に覆い被さってきて、俺達はそのまま床に倒れ込んだ。

絶頂に達してしばらく、背中でもぞもぞと寄生体が蠢き始めた。
始まった。宿主が最高の興奮状態に至ると、この寄生体は静かに分裂増殖する。
ぼとり、と熟した果実が落ちるように、殖えた寄生体が背中から剥がれて床に落ちた。
同じく彼の背中でも寄生体が生まれている。
俺達は半ば無意識のうちに、その寄生体を恭しく持ち上げ、ダンボールの大鋸屑の上へ静かに置いた。
息を整えながら、俺達はその寄生体達を見詰めた。
糸を引いて蠢いていたそれは、やがてくるくると丸まると、黒い卵と化した。
「・・・お前に、ひと箱やるよ」
「・・・うん」
そうだ・・・こんなところで油を売っている場合じゃなかった。
これを持って、早く――

吾妻さんにもらった「贈り物」を持って、俺はアパートの部屋を回った。
1Kの部屋が主の安アパートだから、一人暮らしの学生なんかが結構居るんだ、うちは。
その各部屋の郵便ポストへ、ひとつひとつ卵を落としていった。
俺としては、幸せをお裾分けしているに過ぎない。住人が帰ってくる時が楽しみだ――

***

龍二のアパートを出て、その足を国際会議場に向けた。
今日ここに首相が来るという話で、俺にとっては願っても無い好機だった。
組織を陥落するなら真っ先に頭を落としてしまうのが賢い方法だろう。

「やぁ、吾妻君」
俺を見つけて声を掛けてきたのは、昔世話になった大学のOBだった。
うちの大学を出ても素直に防衛に入る奴ばかりじゃなく、地方自治体で公務員をやっていたり、
しれっと民間企業に勤めていたりする人もいる。
この人は民間の警備会社に勤めていて・・・まぁよくあるパターンだ。
・・・警備会社といえば、あの制服姿が堪らないわけだが・・・スーツ姿のSPというのも、これはこれで。
昔から変わらないガタイの良さで、俺ですらやや見上げる格好になってしまうほどの身長もよし。
「ご無沙汰しています」
「どうしてこんなところに?」
「あの・・・」
俺は先輩の肩を抱くようにして、耳を近づけた。
「今日、首相が来られるって本当ですか」
「・・・どこから聞いた」
俺は肩を竦めることで答えにした。
「まぁ、お前なら耳に入ってもおかしくないか・・・あぁ、本当だよ」
よし、と内心ガッツポーズをした。
「そのことで、少しお話したいことが・・・」
意味ありげな視線を作って、俺は先輩を人気の無い控え室へと導いた。

控え室の扉を後ろ手に閉めて、先輩を部屋の奥へ促した。
「話って何だよ・・・物騒なことなのか」
こちらに背を向けたまま煙草を取り出した先輩に、静かに近づいていく。
ゆっくり、シャツのボタンを外しながら。
「えぇ、実は・・・」
自分の腹に張り付けておいた寄生体を一匹剥がして、先輩の首筋へと向ける。
「なんだ、勿体振らずに――」
先輩の言葉は途中で止まった。寄生体が、その首筋を貫いていた。咥えていた煙草が床に落ちた。
俺は先輩の身体の前にまわって、その火を踏み潰した。
「実は、先輩にお願いがありまして」
「あぁ・・・わかった」
にやりと笑った先輩の顔は、俺の知る凛々しいそれとは違って、醜く歪んでいたけれど、今のこの表場の方がずっと色っぽく見えた。
貪りつきたい欲求を抑え、軽くキスを交わすだけで留めておいて、俺と先輩はすぐにこの後の相談を始めた。
「とりあえず、部下をここへ招集しよう」
「そうですね。でも寄生体の数が足りないかもしれません」
俺のYシャツの下では十数匹の寄生体が蠢いている。
「足りない分は縛っておけばいい。後でまた殖やせばいいんだろう?」
「えぇ・・・楽しみですね」
「おいおい、誘うなよ。楽しみは後にとっておくもんだ」
そう言いながらも、先輩は俺の股間を揉みしだいてくる。
「・・・今、しますか?」
「さて、首相到着まであまり時間が無い。さっさと進めようか」
「ちぇっ・・・」
俄かに殺気だった己の股間を寄生体に頼って鎮めながら、俺は先輩に続いて控え室を出た。

***

俺達は車の中にいた。それも随分飛ばしている。
頭上にサイレンとパトランプが無ければ、一発で免停になる速度超過だ。
車を飛ばしているのは俺じゃなく、国嶋だ。
本来なら俺が運転するのがスジとは思うが、病み上がり、ということで危険と判断されたらしい。
しかし国嶋の運転も大したもので、ぶっ飛ばしながらも安全が頭にあるのだろう丁寧な運転だ。
けれど運転するその横顔には余裕のカケラも無かった。
俺が紅輝の足取りを推測できたのは、ウチのアパートに寄るだろう、というところまで。
しかし部屋は既に蛻の殻。
けれど、セックスの跡と思しき体液がリビングの床に散ったままになっていた。
そこから先の足取りはNシステムで辿り、携帯電話の微弱電波から基地局を中心にした半径数キロの範囲に絞ることができた。
その円の中に、国際会議場が含まれていた。
そこの一室を会場に行われる自治体与党議員の集会に、首相がサプライズでやってくる。
紅輝の親父さんが言った。それで俺達の行き先が決まった。

***

俺達の前には、泣き叫ぶひとりの青年が居た。
壁際へ追い詰めたそれをぐるりと囲み、俺達は喚く彼を見下ろした。

最初は俺と先輩だけで、数人ずつ控え室へ呼び出しては寄生させていった。
寄生された側が多数派になると、残りのガードを全員呼び寄せた。
俺達のようにスーツ姿の者のほか、警備員の制服を着た者もいた。
そこからは半ば乱闘となった。
けれど寄生体により強化された多数派が勝利するのは火を見るより明らかだった。
ひとりまたひとり、少数派が減らされていき、多数派に取り込まれていく様子を見て、はじめは威勢の良かった者達も徐々に士気を削がれていった。
残った数人が恐怖に慄き喚く様は見ものだった。
泣き叫ぶ顔が、寄生された途端笑みに変わり、涙に濡れた顔のまま仲間を襲う姿に興奮を覚えた。
けれどそれももう飽きたし。時間もない。

「先輩」
俺の呼びかけに頷き、先輩は泣き叫ぶ最後のひとりににじり寄った。
哀れな彼をからかうように、先輩は笑いながら彼の首に手を回すと、何を思ったか、抱き寄せて唇を奪った。
驚きに見開かれた彼の目が、唇が離れた時にはもう、垂れ下がって喜びを表していた。
彼の背中には、俺達とお揃いの寄生体がぶら下がっていた。
そいつはもぞもぞと蠢きながら、彼のスーツの下に身を隠した。
名残を惜しむように彼は先輩の腕を掴んだ。
「すみません、お手数をお掛けしました」
彼の言葉に先輩は頷き、
「構わんさ。さっさと立て」
言われた彼はすぐに立ち上がって、シャキッと背を伸ばした。
これで全員。結構時間がかかってしまった。俺達は円陣を組むように円くなった。
俺達に指揮者は居ない。必要無い。俺達は全員でひとつであり、意志疎通は完璧
であり、上も下もない。先に寄生されたものが偉いわけでもない。
だからこの場では、普段からの指揮者である先輩が場を纏めた。
先輩は腕時計にちらりと目を落とし、
「十五分後、裏口から入館予定だ」
ただそれだけで十分だった。みんな散開して、制服姿の連中は各担当ポイントへと警備に向かう。
首相を警護する予定の奴らは、先輩に続いて控え室を出て行った。
俺は・・・高みの見物をさせてもらおう。

目的の会議場を目前に捉えた。
が、検問に引っかかってしまった。国嶋も車を停めざるを得ない。
首相が来ていることを周辺に知らしめるような、大げさな検問だった。
その時、頭の片隅を、違和感が過ぎる。警備員姿の男が近づいてくる。
「国嶋」
「何だ」
国嶋はやはり苛立っている様子だ。
「・・・おい、何だよ」
国嶋に返事をしないまま、俺は助手席側のパワーウィンドウを下ろし、にこやかに、
「ご苦労様でーす」
「身分証」
随分無愛想な警備員だ。俺は胸ポケットを探りながら、左手で会議場を指した。
「今日どなたか来られてるんですか」
「さぁな。俺は仕事でやってるだけだ」
うん。素直でよろしい。俺は丸めて筒にした左手を口にあて、
「首相が来てるって噂が」
「知らんな」
「他にも大勢ゲストが来てるんでしょ」
俺はそこで一拍空けて、言った。
「宇宙からのゲストが」
初めて男の表情が変わった。ピクリと眉が上がった。
一瞬の間を見逃さず、俺は胸ポケットから抜いた手に拳を握り、男の顔面へ繰り出した。
バンチがヒットすると同時に叫んだ。
「国嶋!」
状況を察していたらしい国嶋が思い切り踏み込み、身体がシートに押し付けられた。
サイドミラーの中に追ってくる男がみるみる小さくなっていく。
「やるねぇ。以心伝心じゃん」
「ふざけてる場合か!気づいてたなら先に言えよ!」
軽口を叩く俺達の後ろで、親父さんが本部に電話していた。後援部隊を増強してくれるようだ。
けど、既に寄生が広がっている・・・あの検問に引っかかった一般人も居ただろう・・・。
みんな同じようなことを考えていたのだろう、そこからは誰も何も言わないまま、国嶋の運転する車は会議場の地下駐車場へ滑り込んだ。

突き当たりにある裏口の傍には、既に黒塗りの車が寄せられていた。
車を降り、黒塗りの運転席に駆け寄り窓を叩く。驚いた様子で窓を下ろしたのは初老の男。
「な、何ですか」
「首相はどうした!」
「え」
「いいから答えろ!」
半ば叫んで、俺は無意識に抜いていた拳銃を男に向けた。
ひっ、と小さく叫んで、男は裏口を指差した。
「た、たった今――」
最後まで聞かないうちに、俺達は裏口へ駆け込んだ。

狭い通路を抜けた先で、防火シャッターが音を立てながら閉じかけていた。火事でもないのに。
降りてくるシャッターの先に、幾人かのスーツ姿の背中と、それに囲まれて歩く小柄な背中が見えた。
俺はシャッターの下を滑り込み、壁に見つけたスイッチを殴りつけてシャッターの稼働を止めた。後ろから国嶋達が追いついてくる。
スーツ達の背中が妙に盛り上がっていたりしないことを確認してから、俺は叫んだ。
「首相!」
振り返った首相を庇うように、男達が立ちふさがる。
「バカヤロウ!俺達は防衛だ!」
だから何だというような顔で俺達を見返してくる男達の更に向こう、首相の背後にいた数人の男達が明らかに不穏な動きを見せた。
首相の肩に手を伸ばした姿は、一見首相を庇おうとしているようだったが、俺は躊躇わなかった。
そのうちひとりの肩めがけ発砲した。

パンッ

呻いて倒れ込んだ男を、首相を庇っていた男のひとりが思わず振り返った。首相が撃たれたかと思ったのだろう。
助かった。もし誰も振り返らず、問答無用で反撃されたら、俺が死んでいた。
「おい、これ――」
振り返ったSPは、唖然としながらも声を漏らした。
彼が示した先には、倒れた男の襟の辺りで寄生体が蠢いている。
「そいつらは身体を乗っ取られて操られてる!首相を渡すな!」
俺がそう言ったくらいでは、SP達は信じていなかっただろうが、それでもとにかく首相を守ろうと、自分達の方へ引き寄せて囲んだ。
俺達からも、警備の連中からも守ろうというのだ。いい判断だな。
おかげで俺達も、SP達と警備員との見分けがついた。俺は銃口を警備の連中の方へ巡らせた。
警備員のうちのひとり、リーダーと思しき年嵩の男が、肩をすくめてみせた。
「何の話だ?」
案の定、連中は白を切る心算らしい。俺は冷徹に告げる。
「後で調べればわかることだ。お前等の選択肢は二つ。俺に撃たれるか、尻尾巻いて逃げ出すか。もっとも、俺は逃がす予定はないがな」
「撃つ?」
リーダー格が、半ば笑いながら、俺を見下すような目を向けてくる。
「お前が?その手で?」
言われて、俺は銃を持つ自分の手を見た。
・・・震えていた。みっともないほど、震えていた。
動揺した俺に、リーダー格が素早く抜いた銃口が向けられる。

・・・駄目だ。
撃たれる。

パンッ

再び銃声が響き、倒れていたのはリーダー格の男だった。
パン、パン、パン、
リズミカルに数発、発砲音が響き、その数だけ目の前で人が倒れていった。

俺はいつの間にか座り込んでいた。
親父さんが銃を下ろすと、警備の連中は既に誰も立っていなかった。みな床に倒れ、血溜まりの中で寄生体だけが蠢いていた。
「う・・・」
最初に俺が撃った男が呻いた。
親父さんがそいつに近づいていき、首もとで蠢く寄生体に向けて最後の一発を撃った。
寄生体が体液を撒き散らしながら弾け飛び、同時に男も動かなくなった。
傍に屈み込んで、親父さんが首筋に手を当てる・・・親父さんはゆっくり首を振った。
「寄生体が死ぬと宿主も助からないようだ」
まるで、それを確かめるために撃った、というような言い方だった。
「大丈夫か」
国嶋が声をかけてくる。だが、その顔を見返すことも出来なかった。出来るはずがない。
みっともなくて死にそうだった。
「雫木」
繰り返し俺の肩を揺すってくる。
「雫木、紅輝が居ない」
言われて、はっと顔を上げた。そういえば、最初から紅輝はここには居なかった。
その時、裏口の方からガチャガチャという金属音と、大勢の足音が聞こえてきた。
万全の装備を整えた特集部隊が俺達の横を駆け抜けていく。
「紅輝・・・」
呟いて走り出した国嶋。俺も何とか立ち上がったが、吐き気を伴う目眩に襲われた。
それを何とか堪えながら、俺も会議場へと、よろよろと駆け込んだ。

俺がようやく国嶋に追いついたのは、正面玄関に近い吹き抜けのホールだった。
そこで国嶋と親父さんの背中を見つけた。
どさっ、と何か重たいものが床に落ちる音が響いた。
国嶋達の背中越しに前方を見ると、見知った姿がホールの真ん中に蹲っていた。
「紅輝!」
思わず叫ぶ。
紅輝は立ち上がろうとしていたが、足を痛めているのかぎこちない動きだ。
どうやらさっきの音は、吹き抜けの二階から紅輝が飛び降りた音らしかった。
背中を向けて逃げ出そうとする紅輝に向けて、あろうことか親父さんが銃を構えた。
俺の身体は考えるより先に動いていた。
「やめろ!」
親父さんの前に回りこんで、紅輝を庇った。
親父さんが不機嫌そうな、悲しそうな、曰く言い難い表情で俺を見詰めた。
その時、パシュッ、とジュースの炭酸が抜けるような甲高い、ある意味この場には間抜けな音がした。
驚いて振り返ると、紅輝が前のめりに倒れる瞬間だった。
近寄ろうと駆け出しかけた俺の腕を国嶋が掴んだ。
「離せ!紅輝が・・・!」
「大丈夫・・・心配ない」
そう言ったのは親父さんだった。だが俺は国嶋の腕を解いて駆け寄った。
紅輝は撃たれたらしい脚を抑えながら、床に臥して呻いていた。
「紅輝・・・」
「くそぉっ・・・!」
憎憎しげな目で俺を睨んでいた。今まで見たことも無い顔だった。・・・胸が締め付けられるようだった。
紅輝は次第に大人しくなり、半眼になったかと思うと、そのまま突っ伏して動かなくなった。
「・・・麻酔銃」
焦っていた自分がみっともなかった。
遅れてやって来た国嶋達と共に、俺は大人しく眠っている紅輝を見下ろした。
安らかな寝顔とは対照的に、紅輝の背中では相変わらず、寄生体が不気味に蠢いていた。

雫木が、不安げな目を俺に向けてくる。俺は何も言うことができない。
・・・ずっとそうだ。昨日から、俺は何の役にも立てていない。
雫木が褒めてくれるほどの、役に立つ人間じゃない。

紅輝が捕らえられてから半日経ち、もう日が変わろうとしていた。
そろそろ麻酔の効果が切れるはずだという話で、俺達は紅輝を寝台に拘束し、
それを取り囲むようにして立っていた。あまり楽しい光景ではない。
目が覚めたら・・・目が覚めても、紅輝はきっと、普段の紅輝ではない。俺の知る紅輝では・・・。
いや、それ以前に、俺達は長らく会っていなかったじゃないか。
そもそも、俺の中の紅輝像なんて古いもので、今の彼はとっくに変わってしまっているのではないか。
俺の、大好きだった、あの紅輝はもう居ないのではないか。
雫木も言っていた。今の紅輝は、いつもクールで物静かな奴だといっていた。
俺の知る、明朗快活でいつも元気な紅輝ではないのだ。

「う・・・」
呻いて、紅輝が重たそうに瞼を開いた。ぐるりと辺りを見回してから、その目は俺を捉えた。
「愛してるぜ、蒼太・・・」
いきなりの言葉にぎょっとしつつも、どこか嬉しく思ってしまう自分が空しい。
「すまないが、関係の無いものは出て行ってくれ」
紅輝のお父さんが言った。
部外者、と言われても俺は退席しなかった。
俺はこの場で、事件の上でも心情の上でも当事者でありたかった。
その場に残ったのは俺と雫木、吾妻さん、それから先生だけだった。
先生はモニターの前に座って観察の態勢でいる。
そのモニターから伸びた何本かのケーブルの先には電極が付いていて、紅輝の身体と頭部、そして寄生体の体へと繋がっている。
そしてそれとは別のケーブルが寄生体から伸び、それは医療用の除細動器へと繋がっている。
紅輝は目と首だけでそんな周囲の状況を見て、また笑った。
「蒼太、これ、何の冗談だよ」
その笑った顔は、いつも通りの・・・いや、俺の知るあの頃の紅輝そのままだった。
その顔に、こんな状況にも関わらず、俺の胸は切なく締め付けられた。
「冗談ではない」
吾妻さんが言った。
「お前からソレを剥がすためにしていることだ」
吾妻さんの声は冷静そのものだった。
「あんたとは話してないんだ」
紅輝はお父さんの方へ顔も向けず、にべもない。
「話したくもない」
「そうはいかない。どれだけ心配をかけたと思っ――」
「心配?心配だって?そりゃ誰の話ですかお父さん」
紅輝の目が吾妻さんを向いた。けれどその瞳を爛々と輝かせていたのは、怒りか憎しみか、とにかくあまり健全ではない感情に見えた。
「今まで生きてきて、あんたが一度だって俺の心配なんてしてくれたことがあったかよ。
あんたはいつだって自分のことが第一だった。あんたの考えはいつも正しくて、あんたの思想は完璧で、
そして妻にも息子にも同じように完璧であることを求めた。強要した。
そこに自由は無かった。俺は、俺達はあんたの理想通り生きることを義務づけられた人形だった。そして・・・」
そこで紅輝は顔を歪めた。苦しげに、悲しげに。
「そして、母さんは・・・」
瞬間、吾妻さんの顔も悲痛に歪む。俺は思わず口を開きかけて、
「こ――」
「紅輝」
雫木が先に名を呼び、俺の言葉を遮った。
「何だ、龍二」
途端に笑顔に変わったそれを雫木へと向けた。その変わりように雫木も俺も唖然とした。
「・・・やめろよ、そういうの」
「お前がそう言うならやめてやってもいいよ。そこのおっさん泣きそうな顔してるもんな。その代わり、」
紅輝はニヤついた笑みを浮かべ、
「セックスしようぜ」
「あ?」
この場には似つかわしくないいきなりの言葉に、雫木が間抜けな声を漏らした。
「なんならこれ解いてくれなくてもいいよ。縛ったまま、このまま後ろから突いてくれよ。いつもみたいにさ」
そう言って紅輝は腰を振る。尻を突き出すように、あるいは己の股間を寝台に擦り付けるように。
雫木も、何と言っていいか分からないのだろうか、紅輝の痴態を前におろおろしているばかりだ。
そのみっともない姿に、俺は思わず視線をお父さんへと向けた。それに気づいた紅輝が、
「大丈夫だよ、蒼太。この人、もう知ってるから」
「え」
実の親に、カミングアウトしていたのだろうか。
いや、それにしたって今の紅輝の様子は、父親にしてみれば見るに耐えないに違いない。
吾妻さんは唇をきつく結んで、紅輝から目を背けるようにしていた。
「ほら、お前でもいいよ、蒼太」
「な」
「とにかくセックスしたくて溜まらないんだ。誰でもいいから、ケツの中グチャグチャに――」
俺は咄嗟に紅輝の口を手で押さえていた。とても聞いていられなかった。
しかし紅輝はまたニヤリと笑うと、俺の手を、指をぺろりと舐めた。
「ひぁっ」
思わず悲鳴を上げ、手を引っ込めた。
「へぇ・・・お前、そんな声で啼くのか・・・」
紅輝が嬉しげに笑うと、俺はますます恥ずかしくなる。
紅輝に舐められたところが、じんじんと疼くように熱を帯び始め、俺を戸惑わせた。
すると雫木がこちらを振り返り、俺のその指を自分のシャツの裾で拭うようにした。疼きが収まっていく。
「寄生された奴の体液は、強烈な媚薬と同じになる」
「媚薬?」
「あぁ・・・気をつけろ」
「そうだ、それを教えてくれたのはお前だったな、龍二」
紅輝の言葉に、雫木は憎々しげにそちらを振り返った。
「・・・あぁ」
「こいつをプレゼントしてくれたのもお前だった。なぁ、龍二?」
「・・・そうだ」
「それを申し訳なく思うだろう?悪いと思ってるんだろう?だったら俺とセックスしようぜ」
またそれか。俺はいい加減眩暈がしてきた。寄生された人間はみんなこうなってしまうのだろうか。
「無駄話をしている時間は無いんだ」
お父さんが吹っ切れた様子で言い切り、後ろに控えている先生に合図をした。
「始めてくれ」
「はいよ」
軽く答えた先生がモニター脇のスイッチを捻ると、唸るモーター音が響き出した。
「ぐああぁぁぁぁ・・・!」
同時に紅輝が呻き始める。寄生体に繋いだ電極から電流が流れている。
寄生体と脳を直結された紅輝自身もダメージを受けているようだ。
苦痛に顔を歪め、額には血管が浮き出ている。
「せ、先生・・・っ」
「大丈夫だ、きちんと出力は調整している」
そうは言われても、紅輝はもう痙攣するようにがくがくと身体を揺らしている。
と、一旦電流が止められ、紅輝の身体はがくっと寝台に落ちた。
「はぁっ、はぁっ・・・てめぇ・・・!」
「紅輝・・・」
思わず駆け寄ろうとする俺を、雫木が止める。
「気をつけろって言ったろ」
「だって、紅輝が――」
「蒼太・・・助けてくれよぉ・・・」

紅輝の悲鳴が断続的に室内に響く。
寄生体が死ぬと宿主も死ぬことは既に分かっている。からと言って、無理矢理に触手を引き抜くことはリスクが大きすぎた。
X線で撮影すると、寄生体の触手は紅輝の脳幹をよじ登るようにして、先端は大脳にまで達していた。
確証は持てないが、寄生状態を維持できないほど寄生体を極限まで弱らせることで、分離させられるのではないか。
寄生体を引き剥がすために先生が下した決断がこれだった。
電流を流すことで、接続されている紅輝自身にも少なくないダメージが考えられるが、紅輝の生命力と回復力に頼るしか無い。
だが、予想に反して寄生体がしぶとかった。紅輝の方も喚いている割には、さしてダメージを受けているようには見えなかった。
「こんなこと・・・無駄だよ」
息を荒げながら、紅輝が笑う。
「この程度の電流じゃこいつら平気だよ。先に俺が死ぬかもな」
「そんな」
雫木が声を漏らす。
「そうだ、なんなら死んで見せようか?」
そう言って笑ったかと思うと、急に紅輝がおとなしくなった。目を閉じ顔を伏せる。
ピーーー、と、虚しい電子音がモニターから響く。先生が顔色を変えて、
「心停止だ!」
場が騒然となる。先生が器材のツマミを捻ると、紅輝の身体が跳ねた。
間延びした電子音は止まり、ピッ、ピッ、と規則的な音に戻る。これが正しい除細動器の使い方だ。
「ふぅ・・・あぶねー、死ぬとこだった」
事も無げに紅輝が言う。
雫木が床を強く踏み鳴らした。歯噛みしたいような気持ちなのだろう。俺も同じだ。
「身体を完全に支配されているな」
先生が冷静な声で言う。
「・・・俺が代わる」
雫木が低く強い声で言った。
「元々俺のところに居たんだ。もう一度俺に取り付けばいい」
「な、何言ってんだよ雫木!」
「何言ってんだ龍二」
紅輝と俺は殆ど同時に声を発した。紅輝だけがその後を続けた。
「お前は、振られたんだ、こいつに。お前じゃ見込みがない、ってな」
雫木の顔が悲痛に歪む。
「お前は自分が俺にこいつを移したと思ってんだろ?違う。こいつが、お前を乗り捨てて、俺を選んだんだ。だいたいー」
紅輝の顔が醜く歪む。
「こんなにイイモノを、なんでお前になんか返さなきゃならないんだよ」
「じゃあ・・・」
睨み合う二人の顔を見ていられず、俺が間に入った。
「じゃあ、俺なら?」
「ん?」
紅輝が片眉を上げて興味を示した。
「俺ならいい?俺が、代わりになるなら――」
「国嶋っ!」
雫木の叫びを、俺も紅輝も無視した。
「そうだな、お前なら、龍二と違って頭もいいし、きっと役に立つなぁ」
俺を見つめて値踏みするようにニヤニヤ笑う紅輝は、まるで見知らぬ他人のように感じられた。
「お前の身体にも興味あるしな」
「は?」
「正直、龍二とのセックスも飽きが来てたんだよ」
聞いていた雫木の胸に刺さる刃が見えるような、尖った言葉を紅輝は躊躇い無く発する。
・・・もうこれ以上は続けていられない。
俺は紅輝へとゆっくり近付いた。
「おい――」
「大丈夫」
雫木の声に短く応えて、俺は身を屈めて紅輝に顔を寄せた。
にやにやと笑うその顔を挟み込むように両手で掴むと、触れるだけの軽いキスをした。
「おま――」
「大・・・丈夫」
雫木にそう繰り返して、身体を起こした。触れた唇が燃えるように熱いのは、寄生体のせいだろうか。
紅輝を見下ろした。さっきまでとは違って、狐につままれたような顔をしている。
「この先を、セックスをしてもいいよ、紅輝となら」
「え?」
「でも――」
俺は再び紅輝から離れた。キスをしてしまったせいか、軽く眩暈がして、先生の隣に腰を下ろした。
「今そこにいるのは、紅輝じゃない。絶対に違う。だから、お前とはできない。したいのなら、さっさとそいつを離せよ」
俺は紅輝の背中にへばり付く醜いそれを指差した。
「・・・離れてくれないんだよ」
ぼそりと呟いた紅輝のその反応に、一同が意外そうな顔をした。
「離す努力をしろよ」
「どうしようもないんだよ!俺だってこんな――」
「なら、仕方ないから――」
俺は紅輝の目を見つめ、ゆっくり大きく頷いた。
「せめて死なない努力をしろよ」
紅輝は暫く黙ってこちらを見つめていたが、やがて同じようにゆっくり頷いた。
「あぁ、わかった・・・蒼ちゃん」
少し笑ったその顔は、いつかの懐かしい笑顔だった。
俺はその笑顔に応えるべく、モニター脇のツマミを捻った。
「ぐああぁぁ・・・!」
徐々に出力を上げていく・・・紅輝の悲鳴も大きくなっていく。
「国嶋」
「大丈夫」
三度、雫木に繰り返した。
「紅輝は死なない」
俺は確信していた。
紅輝はヒントをくれていた。この程度の電流じゃ、寄生体は離れない、と。ならば出力を上げれば…。
だが同時に、自分が先に死ぬかも、とも言った。だから俺は、死ぬなと言ったのだ。
紅輝はそれに頷いた。死なないと、その眼が俺に約束した。
そして紅輝は、俺とした約束を破ったことがない。だから・・・紅輝は死なない。
やがて紅輝の身体ががくがくと痙攣し始めた。見ていられない様子で雫木が顔を逸らす。吾妻さんは息子を睨むようにしていた。
「国嶋君・・・ここが人体の限界だよ」
紅輝の悲鳴の中、先生が囁いた。ダイヤルのある数値を指さしている。
ちょうどその限界まで出力を上げた時、紅輝ではなく寄生体がか細い悲鳴を上げているのに気づいた。
ネズミが鳴くような、甲高く耳障りな、それは寄生体の断末魔だった。
ツマミの示す値が先生の言う限界を超えるか超えないかというところで、寄生体からの声は聞こえなくなった。
気づくと、紅輝の首の中を貫いていたと思われる長い長い触手が抜け落ち、寄生体からだらりとぶら下がっていた。
寄生体も、紅輝も、ぴくりとも動いていなかった。
俺は慌ててツマミを戻し、紅輝に駆け寄った。
声をかけようとしたのだが、声が出なかった。それで自分の狼狽ぶりに気づいた。
「こ・・・、し、死・・・」
「・・・んで、ないよ」
掠れた小さな声が聞こえた。紅輝が微かに目を開けていた。
ほんの少し笑ったようにも見えたけど、紅輝はまたすぐに目を閉じて、それきり動かなかった。

とある町の、とある襤褸アパート。

長い日がようやく暮れようかという頃、その一室の住人が帰ってきた。
市内の市立大学に通う青年は、気怠そうにしながらもどこか軽快に、外付けの階段をあがっていく。
眠くて辛い五限目の講義をうつらうつらとしながら乗り切り、電車を乗り継いで漸く帰り着いたのだ。
だかこれから恋人と会う約束をしている。さっさと着替えて、おっとその前に勿論シャワーも浴びて、等と考えていた。
部屋の前まで来た彼は、不自然に開いた郵便受けに気づいた。何か詰まっているらしい。
鍵を開けて中に入り、荷物を三和土に下ろしてから、内側から郵便受けを開いた。
ガコン、と重たい音を立てて勢いよく開いたそこから、ソフトボール大の黒い塊が転がり出てきた。
何だろうと、思わず顔を近づけてしまった不注意が、彼の運命を大きく狂わせることになった。
塊から勢いよく紐状のものが飛び出してきたかと思うまもなく、その先端が彼の首に巻き付くように伸びた。
驚いて首にやろうとした手が、途中で止まる。
その手で目の前の塊をそっと持ち上げると、自らの肩へと導く。
塊がその身体を開いて、もぞもぞと這いながら首の後ろに到達するまで、彼はじっと動かなかった。
唯一、彼のジーンズの股間だけは別の意志が働いたかのように微かに動き、塊の動きに合わせて徐々に突っ張っていく。
定位置に収まった塊ー寄生体をシャツの襟に隠しながら、彼は立ち上がった。
ポケットに手を入れて、上向きにして、傍目には立っているのがバレないようにして、今入ってきたドアを開けて出て行く。
だが行き先は、恋人との待ち合わせ場所ではない。
着替えもシャワーも必要無い。汗臭いこの身体の方が、彼の仲間達は喜んでくれるだろう。
ゆっくり、確かな足取りで、彼は駅へと向かった。
少々遠出しなければならない。

***

とある町の、とある襤褸アパートから程近い、とある私鉄駅の改札内にある公衆トイレ。


男子トイレの一番奥の個室、便器のタンクの上に、無造作に安置されている黒い塊があった。
それは、獲物を待っていた。

そうとは知らず、慌てて駆け込んできたのは、学生服に身を包んだ子供だった。
制服がやや大きいように感じるその姿は、中学生に上がりたて、という感じがする。
個室に駆け込んでがちゃがちゃと鍵をかけ、もどかしげにベルトを外す。
「っ・・・・・・・・・っふぅ~・・・」
思わず、と言った風に口から息を吐き出して、至福の表情で用を足した。
やっと一息、というところで、少年の背後で塊がもぞもぞと蠢き出した。
獲物の熱を感知したように、少年の項に向けて頭を擡げた。
気配を察して振り返ろうとする少年の動きより一息早く、寄生体がその触手を突き刺した。

「ふぅ・・・はぁ・・・」
先ほどとは毛色の違う声が、少年の喉から断続的に漏れている。
指が汚れることなど気にも留めることなく、少年は自らの指を、自らの肛門に出し入れしていた。
その表情は蕩けきっていて、便器に寄りかかったまま、アナルオナニーに酔っていた。

外で人の気配がした。誰かがトイレに入ってきたようだ。すると、少年の目つきが変わった。
先ほどまでは獲物だった彼は、今や捕食者の一員となっていた。
そっと個室の戸を開け、トイレ内の様子を覗いた。
スーツ姿の男が、便器に向かって脚を開いていた。ちょろちょろと水の音がする。
少年は勢い良く戸を開き、スーツの背中へ飛びつくように駆け寄った。
「な、なんだ!? ・・・なんだお前!」
首を捻って少年を睨んでくる青年に構わず、用を足している不安定な姿勢のままでいた青年を羽交い絞めにすると、
そのまま個室の方へ向けてずるずると引っ張っていった。
それでも青年はしばらくわーわーと喚いていた。
・・・だが、個室の戸が閉じられてしばらくすると、赤ん坊が泣き止むように、ぴたりと静かになった。
変わりに、何やらいやらしい水音が聞こえてくる――

***

とある町の、とある襤褸アパートから程近い、とある交番。

交番では本来あってはならないことだが、今はカーテンが締め切られており、中の様子が知れなかった。

だが、耳を寄せてみれば、聞こえてくるだろう。
「うはぁ、あぁぁ・・・」
大して広くもない交番のなかで反響する、野太い男の、その声の質には似付かわしくない嬌声が。
カーテンの隙間に目を凝らせば、見えるだろう。
「くぁ、も・・・もっ、と・・・」
制服に身を包んだ男達の、その格好には似付かわしくない、淫らな光景を。

「あれ、何だろこれ」
年若い新人の警官がそんな声を上げたのが始まりだった。
交番のガラス戸を出たすぐ脇に置かれている紙袋を発見したのだ。
「落とし物です、って張り紙してあります」
「気ぃつけろよー、最近は物騒だからなー」
奥に居た年嵩の先輩警官が、茶をのみながら呑気な声を上げた。
「爆弾とかなー」
「はは、まさか」
こちらも気軽に笑い返して、新人警官が紙袋を取り上げた。
先輩警官は表に背を向けて座ったまま、席を動かず待っていた。
だが、不意に静かになったのに気付いて振り返ると、外に居たはずの後輩がいつの間にか音もなく、間近に立ってこちらを見下ろしていた。
「な・・・なんだよ、脅かすな――」
発しかけた声が止まる。彼の視線は、後輩の口元に固定されていた。
「なに・・・やってんだ、お前・・・」
くちゅ・・・ちゅぱ・・・
後輩は自らの指を口にくわえ、音を立てて舐め啜っていた。
ちゅっ、とそれを引き抜くと、まだ細い糸が口と繋がったままのそれを、目の前で唖然としていた彼の口にねじ込むように突っ込んだ。
不意の攻撃に避けること適わず、ちょっとくわえてしまった後で、彼は驚いて後輩の手を払おうとした。
だが、その手は急激に勢いを失い、後輩の手に添えられた所で動きを止めてしまった。
くちゅ・・・くちゅ・・・
(なんだ・・・)
ちゅぱ・・・くちゅ・・・
(なんだ、これ。何してんだ、俺)
困惑する彼自身を余所に、彼の口は後輩の指を味わうように吸い立てる。
「甘いでしょ。美味いでしょ、先輩」
そう・・・甘いのだ。美味いのだ。後輩の指が。そこに絡む唾液が。
からと言って、こんな行動はあまりにもおかしい。頭でそう分かっていても、身体はそれを止めようとはしない。
後輩の指が不意に引き抜かれると、彼はその喪失感に息苦しささえ覚えた。
酸素を求める魚のように喘ぎ、彼の口と後輩の指とを繋ぐ透き通った糸を手繰るように舌を伸ばした。
しかしその指がたどり着く前に後輩は指を引っ込めた。
その代わりとでも言うように、身を屈めて、彼の目の前に舌を突き出してきた。
こいつ、何を考えてるんだ――と思うよりも早く、またしても彼の身体は彼の意識を離れ、勝手に動いた。
目の前でちろちろと揺れているそれに吸いつくように、自ら舌を絡め、唇を重ね、甘い、美味い、唾液を吸った。
(俺は・・・何を・・・)
戸惑いながら、触れるほどの目の前で細められた後輩の目を見つめていた。
後輩は雛に餌を与える親鳥のように、口から唾液を溢れさせ、彼の喉に注ぎ込み続ける。
その口が、また、急に引きはがされた。
「あぁん・・・」
自分の口から出た喘ぎに、自分でも聞いたことの無いようなその淫靡な響きに、自分で驚いた。
これではまるで、自分がこの行為に飢えているようじゃないか。こいつのことを求めているようじゃないか。
「もっと欲しいっすか?」
こくん、と間髪を入れずに、彼の頭は勝手に頷いた。
「そうっすよね・・・これ見ればわかりますよ」
そう言って彼は視線を下げると、椅子に座ったままだった彼の股間をむんずと掴んだ。
握られて初めて、そこが張り詰めて頑なっていることに気づく。
(なんで・・・俺・・・)
こんな・・・これじゃあまるで、この行為に感じているみたいじゃないか。同性の後輩相手に欲情しているみたいじゃないか。
「もっと美味いものあげますよ」
そう言って後輩は彼の股間を解放し、何を考えたのか自分のズボンの股間に手を伸ばすと、そこにあるファスナーを下ろした。
何やら引っかかって苦労しつつ取り出された後輩のそれは、
シャワー室なんかで見たことがあるはずのソレは、しかし今は、これまで見たこともない姿をしていた。
普段のそれとは全くの別物のように、優男な面構えには似合わないほどに、
ある意味で美しささえ感じさせるほどグロテスクで、匂い立つような力強さで屹立していた。
そして、鼻先に突き出されたそれを彼は、椅子を蹴って床に跪き、一も二もなく咥えていた。
(変だ・・・俺・・・こんなの変だ・・・)
彼は戸惑ってはいたが、最初に比べればその混乱の度合いは随分小さくなっていた。
何より、初めから、戸惑いは感じても、一連の行為に嫌悪感を全く覚えなかった。
制服の股間からそこだけ飛び出した後輩の勃起を、口と舌とで弄んでいる異常な現状にも。
それに対して感じている戸惑いすら、徐々に、徐々に、小さくなっていく。
後輩の先端から滲み出る塩辛い何かを嚥下する度に。

その時、急にガラガラとガラス戸が開かれた。
入ってきたのは、彼より少し年上の警官だった。彼は地域巡回中だった。
自分達を見て彼は、当然だが、目を見開いて驚いていた。
助かった・・・と思った。だが同時に、どこか残念な気もして、彼は帰ってきた先輩の反応を見ていた。
・・・後輩をくわえこんだまま、横目に。
先輩は、後ろ手にガラス戸を閉めると、その脚で部屋の二面にある窓の傍へ行き、カーテンを閉めて回った。
その様子は、非日常なこの光景を目にしたにしては、落ち着きすぎていた。
「何してるんだ」
やがて全てのカーテンを締め終わった先輩は、こちらに背を向けたまま言った。
「いや、少し遊んでから、って思って」
後輩は彼に己を咥えさせたまま、無邪気な調子で言った。
「俺もくわえろよ」
先輩が、どちらの意味で“くわえろ”と言ったのか、彼には判然としなかった。
ただ、この先輩もまた助けるために現れたわけではないようだ、ということだけはなんとなくわかった。
先輩は彼の背後に回り込むと、後ろから腕を回して彼のベルトに触れ、焦らすようにゆっくりと解いていく。

ふぅーっ、ふぅーっ、と、まるで獣の呻きのようなものが間近で聞こえていた。
それが自分の鼻息だと気づくのには、少々時間がかかった。
ベルトを外した先輩の手が、下着もろともズボンを引き下ろした。
自分自身がどういう状況になっているのかは、パンツのゴムに引っかかった時の痛みと、腹を打ちつけた余韻とで、見下ろすまでもなくよくわかった。
恥ずかしさなのか、それとも別の何かなのか、彼は自分の顔が燃えそうに熱いのを感じた。
やがて先輩の冷たい手が腰に添えられ、彼は一瞬後に自分がどうなっているかを予期した。
しかしそれは、避けようも無い未来であり、避けようという気持ちさえ、もはや彼自身になかった。
「うぁ・・・」
自らの中に割り入ってくる熱いナニカを感じたが、痛みは愚か、やはり嫌悪感すら無く。
・・・熱い。太い。硬い。デカイ。
見たことも無い先輩のソレのその姿をありありと感じるほど、彼の肛門は密接にソレを包み込んだ。
そういうことを冷静に感じている一方、彼は意識が飛んでしまいそうなほどの快感をソコから味わっていた。

いつの間にだろうか、彼は腰を振って先輩のソレを咥え込んでいた。
いつの間にだろうか、彼は頭を振って後輩のソレを舐っていた。
前と後ろと、二本のソレが同時に達し、彼の中に熱を放った。
それを感じたのと同時、彼は自らの勃起からもほんの少しだけ射精した。
同時に力尽きたように、彼は冷たい交番の床に倒れ込んでしまう。
わけがわからないほどの快感に苛まれながら、彼は自分がゲイだったのだろうかと、見当違いな懸念をしていた。
「はぁ・・・ほら、もう気が済んだろ。早くやれよ」
「先輩だって楽しんでたくせに」
「まぁなぁ。こいつ、結構いい素質持ってるぜ」
会話の意味はわからなかったが、どうやら下卑た内容らしかった。

・・・と思っていた彼の意識は、一瞬後には綺麗に塗り替えられていた。
首に張り付き、自らの身体を、心を支配する寄生体に感謝すらしていた。
自分もまた、こいつらと一緒に、男を犯す歓びを味わうことができるのだ。
射精したばかりの彼自身が、ムクリと少し首を擡げた。
~~~

一回生の初冬、そろそろ年の瀬の足音も聞こえてくるような頃だったように思う。
初めて言葉をかけたのは俺からだった。
けれどそれは、
『あ・・・ごめん』
という、何ともしまりの無いものだった。
謝る俺の目を、あいつは何だかじぃっと見つめてきた。たまらず目を逸らして、肘がぶつかって落としてしまったペンケースを拾おうと屈んだ。
『はい・・・ごめん』
なおも数秒俺のことを見つめていた彼は、急にパッと明るい笑顔になり、
『いいよ、別に。吾妻だっけ』
『え、うん』
『俺は雫木』
『うん、知ってる』
『あれ、そう?』
入学当初からなんとなく知っていた。特に話をしたりすることは無かったが、なんとなく気になる存在だった。
当時はその理由がわからなかったが、今考えればわかる。
彼はいつ見てもひとりだった。俺と同じように。
『一緒にメシ食おうぜ』
『え?』
急な話に一瞬戸惑うが、俺はすぐ頷いていた。
『うん、いいよ』
『じゃ、メロンパンと牛乳買ってきて。屋上に居るから』
『うん、わかった』
俺は高価そうなペンケースを汚した詫びにと、すぐに購買へ走った。

屋上へ駆け上がると、彼は少々不機嫌そうにフェンスの傍に座っていた。
『遅ぇーな』
『ごめん、購買混んでて』
彼の隣に腰を下ろしてメロンパンを渡し、俺も温めた菓子パンの封を開いた。
『うわ、パン温める人間かよお前。信じられねぇ』
そんなに非難されるほどのことかとも思ったが、なぜかたじろいでしまった。
『だ、だって――』
寒いし、と言いかけてやめた。こんなに空気は肌寒いのに屋上で食べることを提案した彼を、非難する言い方になるような気がしたからだ。
『寒くねーよ』
俺の考えを見透かしたような言い方をした。実際寒くないのだろう彼は幾分薄着だったが、12月の屋上には俺達以外に誰も居なかった。
メロンパンと牛乳の代金は請求しなかった。
『なぁ、次の授業ノートとってる?』
『とってるよ』
『マジ?じゃ、見せろよ』

~~~

それから俺達は何かと一緒に過ごすことが多くなった。
学内では常に、本当に常に一緒にいて、講義も並んで受けたし、食事も向かい合って食べた。
二回生になると、俺は全て彼と同じ授業を選択した。彼がそうしろと言ったからだ。それ以降、それはずっと変わらなかった。
一緒に遊びに出かけることもあった。服を見に行ったり、ハンバーガーを食べたり、映画を観たり、居酒屋で晩飯を食べたりもした。
一週間のうち数日はそうやって学外でも一緒に過ごした。彼がバイトの日は別々だったが、そうでなければ毎日一緒だったかもしれない。
食べたり飲んだり買ったりしたいろいろは、全部、俺の財布から出た。それこそ、彼の着ているジャケットも、穿いているパンツも。
つまりそれは俺の家の金が、父親の金が姿を変えたものだった。
どれだけ仕送りを要求しても、父親は文句を言わずに金を振り込んだ。

~~~

『今日飲みに来ないか』
『いいよ・・・え?』
来ないか、って。
『ウチ来いよ。たまにはいいだろ』

言われた時間に言われた駅に着いたが、彼が迎えに来ているわけではなかった。来ているとも思わなかったが。
しばらく待っていると電話がかかってきた。
『着いたか?』
『うん』
『じゃ、駅からロータリーを真っ直ぐ抜けたとこにスーパーがあるから。酒と、ツマミと、何か腹に溜まるもん買ってから来い』
『わかった』
『酒、いっぱい買って来いよ』
『うん』

スーパーを出たところで、また電話がかかってきた。
『買ったか?』
『うん』
言われた通りに焼酎やビールをたくさん買い、スナックや珍味を買い、惣菜コーナーでコロッケやおにぎりを買った。
買ったものを報告すると、彼は電話の向こうで満足そうに唸った。
電話で指示を受けながら住宅街を抜け、彼のアパートに着いた時には、俺は汗だくで、
買い物袋のビニールが右手に食い込んで痛かったし、右腕はプルプルと痙攣していた。
『遅かったなー』
ドアを開けて荷物を抱えて入っても、彼が労いのことをかけてくれることはなかった。期待しなかったけれど。

特に話したいことがあったわけでもないから、話が弾むことはなく、二人でぼぉっとテレビ眺めたりしながらグラスを傾けた。
俺達は二人とも酒が強くなかったけれど、その夜、先に怪しくなったのは俺の方だった。
『ごめん・・・ちょっと・・・横になっていい?』
『あー、いいよ。床汚すなよな』
『うん・・・ごめんな』
ぐるぐる廻る世界に仰向けに倒れて、俺はあっと言う間に意識を失った。

柔らかくも弾力のある何かが頬に触れて、目を開くと、座ってこちらを見下ろしてくる彼の姿があった。
その目は苦しげに細められ、薄く開いた口からは荒い息が漏れていた。頬に触れていたのは、彼の露出した性器だった。
驚きはしたが、同時に理解してもいた。どこかで予期していたのかもしれない。
「舐めろよ」
頷いて、同意を示してから、俺はそれを口に含んだ。
そんなことをしたのは初めてだったけど、嫌悪感など無かったし、味も舌触りも思ったほど悪くなかった。
何より、俺が舌を少し動かすだけで、その度に彼の顔が微かに歪むのを見るのが楽しかった。
彼はいつだって俺をどうにでもできたけど、俺が彼をどうにかできたことはそれまで無かった。だから嬉しかった。
その顔を見ながら、俺は不意に理解した。
彼のことを見知ってからこっち、ちょっと格好いいとか思って、何というか、憧れみたいな気持ちを持ってきた。
俺と同じように、いつだってひとりで居て、俺の場合は孤独でも、彼のそれは孤高という言葉を想起させた。
そういうところに惹かれていたのだと思う。だから俺は、彼に言われたことは何でもしたし、それを嫌とも思わなかったのだ。
寧ろ嬉しかった。授業で彼の役に立つことも。彼が喜んでハンバーガーにパクつくのも。
だから、今のこの行為だって、その延長に過ぎない。
「出すぞ」
短くそう言った彼の様子は余裕がないように見え、そして実際その通り、言った途端に口の中に温かく塩辛い味が広がった。
彼は吐精した余韻に顔を上気させながら俺を見下ろしていたが、しばらくするとティッシュペーパーのボックスを俺の顔の上に突き出してきた。
だが俺は首を振って、口を大きく開いて見せた。空っぽの口の中を見て、彼が少し驚いたような顔をしたのが可笑しかった。


そんなことで、じゃあ今日から恋人同士、なんてことになるわけがないのはわかっていた。
でも、少しの進展が、変化があるとは思っていた。
確かに変化はあった。

あまり一緒に遊び歩かなくなった。その代わりに、頻繁に彼の部屋に呼ばれるようになった。
口でしているうちはまだまともだったのかもしれない。
彼の中の雄は、よりよい場所を求めて、俺の身体を順に探索していった。それが肛門を発見するのにひと月もかからなかった。
彼は俺の中に自身を埋めながらも、探求をやめなかった。
俺の性感が高まるほど、彼自身の性感も高まることを発見した。つまり、締まり、が良くなるらしい。
俺の身体は探索されると同時に否応なく開発されていった。
正直に言うと、堪らなく気持ちよかった。
知識として持ち合わせていても、身体に刻まれる快感は生まれて初めてのもので、抗いようのないほどで、俺は自らそれに流され続けた。
そういう行為に及ばせる根底の動機は、彼に対する憧れ、愛情だった。俺の側は。
でも彼の側は、きっと違った。
彼の部屋で、時には俺の部屋でどれだけ身体を重ね合っても、その間彼は少しも笑わなかった。
勿論、甘い言葉を囁きあう、なんてことも一度としてなかった。

それで満足だったと言えば嘘になる。
でも、俺は幸せだった。少なくとも、まえ、に比べれば、ずっと――

***

「ん・・・」
目が覚めて、それが夢だったと気づく。
「紅輝」
聞き慣れた声の、聞き慣れない調子に呼ばれて目を向けると、親父が不安げな目でこちらを見下ろしていた。
「・・・すみませんでした・・・ご心配を、お掛けして」
「構わない・・・無事ならいい」
バツの悪そうな顔をして、頬を掻いたりしながら、親父は目を逸らした。こんな表情を見るのは初めてだ。
「・・・ごめん、親父」
言葉を変えると、親父は俺へと顔を戻した。
「俺・・・酷いこと、いっぱい言った・・・ゴメン」
「・・・あれが、お前の本音だろう」
「そうかもしれない。でも言う心算なんて、無かったんだ」
「同じことだ。言わなくても、わかっていた・・・ずっと」
親父は首を振り、この話は止めよう、と言った。俺の方もあまり続けたい話題ではなかった。
「それより、聞かせてくれ・・・お前があれに寄生されている時の様子を」
「・・・龍二からは?」
「彼は寄生されていた時間が短かったせいか、その間の記憶については曖昧なようだ」
「確かに・・・俺の方があいつと長く一緒にいたわけだしな」
「あいつ?」
「あいつさ。あの、寄生体だよ」
俺があれに人格を持たせるような言い方をするのに、親父は驚いたようだった。
「コンピュータのメモリを増設するみたい、って誰かが言ってたけど。実感は少し違ったよ・・・。
自分よりもえらくハイスペックなマシンに、主導権を奪われたような感じ。
自分がロボット化させられてるのは分かるのに、それに違和感が無い・・・。
詩的に言うなら、もうひとりの自分が喋ってるのを、自分はその内側から見聞きしてるような感じだった」
「そしてそれが不自然とも思わない」
「そう。思えないんだ。しまいには、喋ってる自分と聞いている自分と、その境目が曖昧になって・・・。
支配されてるのか、同調してるのかわからなくて」
だからやっぱり、あれらの言葉は自分の本心からの言葉という気がしてならない。
「奴らは一体何なんだ」
親父の根本的な問いに、俺は首を振った。
「俺達人間と同じさ。住処を求めて地球にやってきて、住処にするためには数を殖やさなきゃならなくて。
そのために、この地球で最も繁殖し権力を揮う知能生物であるヒトを利用した。
傀儡にすることでヒトの抵抗も削いで、一石二鳥ってわけだ」
「奴らはどうやって殖えているんだ」
俺はつい、言い淀んだ。
「性交渉・・・だよ」
「・・・男同士で、だろう?」
「わかってるなら・・・」
「私だって、お前に、こんなことを聞きたくないが、確認しないわけにはいかないだろう」
どう説明したものか・・・俺だってはっきりわかっているわけじゃないから、実感していることを説明するしかない。
それも、なるべく恥ずかしくない言葉で。
「まず、彼らが地球に来て初めて接触したのが男・・・男達、だったから。あの張りぼてのところで会ったガキ達が居たろう?あいつらさ。
その時に、その場で試みた繁殖方法を、今も続けているわけだ。ただ・・・必ずしもその方法じゃないとダメなわけじゃないらしい。
奴らの繁殖に必要なのは精子でも卵でもない。奴らは宿主の脳内で生産される物質、脳内麻薬の類をエネルギー源にして殖える。
つまり、その・・・宿主の興奮とか快感が最高潮に達した時に、それを吸収して殖える。
その代償に、宿主にはそれに似た擬似脳内麻薬を与える。ひどく依存性の強いヤツだ。
一度それを味わったら二度と抜け出す気もしなくなるような。それで宿主も自ら奴らの思う通り動くようになる」
「男女の性交渉では駄目なのか」
「おそらく可能だよ。だけど、それではヒト自体が殖える可能性が生じるだろう?勝手に繁殖されたら困る。
けれど、女性を殺し尽くすわけにもいかない。そうしたら今度はヒトが減る。
奴らは家畜としてヒトを管理したいんだ。その証拠に、女性達は生きたまま、捕らえられている」
「どこに」
「奴らの巣、ネストだ」
「だからそれはどこに」
「親父が最初に言ったじゃないか」
張りぼてっていうのは、何かを隠すために作るんだろ?
着任後初の大きな任務が、まさか、UMAとの対決になろうとは思いもしなかった。
UMAというか、どうやら本物のエイリアンという噂だが。
周りの同期達も大体が同じような心境のようで、不満げな顔をしているが、同時にそこには緊張の色も濃く見えた。
人類史初の、フィクションではなく現実の、未知との遭遇の現場に立ち会うことを誇らしく思う――とは出発前の隊長の言葉だ。
確かにそれはその通りで、その言葉が緊張という形を成して俺達の上にのしかかっているようだ。
けれど同時に、これが現実の出来事であるという実感は希薄だった。
相手が相手なだけに仕方ないことだろう。特に、ゲーム脳を持つ世代の俺達にとっては。

「なぁ、これってやっぱさぁ――」
キャンプを離れ、班に分かれて行動を開始した途端、誰かが声を上げた。慣れ親しんだ面子ではあるし、案の定、ではあった。
「俺達、ポーンにされてんじゃねぇか?」
ポーンという言葉に一寸考え、チェスに喩えているのだと気づく。けれど、喩えも何も――
「ポーンってそもそも歩兵のことだろ。まんまじゃないか」
「そりゃそうだけど、ちょっと・・・かっこよく言ってみただけだろぉ?いちいち五月蝿いぞ、真面目クンめ」
「はいはい・・・」
面倒になって俺はひらひらと手を振った。
こんなやり取りをしている辺り、この場の緊張感の無さが顕れている。いや、単に俺達が子供なだけかも。
「つまり?何が言いたいんだ?」
聞き役の一人が促し、言い出しっぺの彼は頷いて続けた。
「つまりさ、捨て駒扱いというか、様子見に使われてるというか・・・」
語尾は段々と窄んでいき、合わせて俺達も黙り込んだ。少しの沈黙の後、誰かが溜め息を吐いた。
「自分で言うなよ・・・悲しくならないか」
「え?みんな、気づいてたの?」
誰も頷かなかった。頷きたくなかった。けれど、みんな心の中では頷いているに違いない。
「なんだよ!わかってんならなんで何も――」
「言ったって仕方ないだろ」
俺が声を上げた。
「俺達ポーンは上が決めたことを恙無く実行すればいいんだ。しなきゃいけないんだ・・・そういう世界だってことくらい、お前もわかってるだろ」
彼は答えなかったが、これまでの大小様々な訓練が、その絶対的事実を彼の心と体に刻みつけているはずだ。そういうものだ、と。

「敵性生命体」とやらの「巣」とやらの位置が判明した、という連絡を作戦本部から受けたのが今朝のこと。
それまで今回の件について何一つ知らされていなかった俺達にとっては、その情報が第一報であり、つまりは、寝耳に水、だった。
エイリアン?
寄生体?
そもそも作戦本部って?そんなのいつ出来てたんだよ?
そういう説明を後回し後回しにするのは、この国そのものの体質だろうか。現場で動く俺達にこそ一番に知らせて欲しいものだ。
文句を言っても仕方ない。言う相手もいない。わかりました、って一言いって、現場へ出るしかない。
簡単な説明を受けて、訓練中から一緒だったもの同士で班を作り、上官連中の敬礼に背中を蹴られるような気分でキャンプを出たのは深夜だった。
できるだけ隠密に行動するように、とのお達しだ。
装備は、小型拳銃と最近実用化されたばかりの小型麻酔銃がそれぞれ一人に一丁ずつ。
寄生されている一般人を殺すなとのことだ。まぁ、容赦なく殺せ、と言われてもできる気はしないけど。
勿論、俺達がこれらを実践で使うのは初めてのことだ。実用化されたと言っても、この麻酔銃の装填弾数は僅かで、支給された麻酔弾も多くない。
後は着慣れた迷彩服と、気休め程度の防弾チョッキ。エイリアンや一般人が発砲してくるわけでもないだろうに。
ハッキリ言おう。俺達はポーンですら無い。せめて、試しに投げてみた石つぶて、くらいの価値はあるだろうか。

やがて車が速度を落とし、息を殺すように静かに走り出した。
「指定のポイントが近い」
助手席に座っていたひとりが言った声には、緊張が滲んでいた。
誰も動かない車内の空気を破ろうとするかのように、賑やかしのあいつが叫んだ。
「せめて石つぶて程度の働きはしてやろうぜ」

俺達は息を潜めて、車窓から外を眺めていた。薄暗く、遠くまでは見えない。月灯りと、心許ない街灯だけが頼りだ。
車が抜けていくのは、何の変哲もないありふれた街並み。少々寂れた感じのする商店街、寝静まった住宅街、活動を止めた工場地帯の倉庫群。
ポイントに到着した俺達は素早く車を降り、装備を再確認してから、二人ずつ三班に分かれた。
俺は件の賑やかしと組んでA班だ。
そこは、どこにでもありそうな小さなグラウンドだった。野球のベースが砂に埋まりかけている。
「こんな場所に・・・?」
相棒の問いに、俺は肩を竦めた。
「この奥にあるらしいぜ」
言っている自分が未だ半信半疑のまま、俺達はグラウンド裏手にあるこんもりとした林へ分け入った。
他の連中もそれぞれ違う方向から回り込んでいるはずだ。
奥には一角開けた場所があり、そこには間抜けなほど典型的な銀色の円盤が安置されていた。
「これ、か・・・?」
「いや、これは張りぼてで、って話しだろ。・・・聞いてなかったのか?」
相棒はバツの悪そうな顔をして、先を歩き出した。

聞いていた通り、張りぼての中はガランとした空間だったが、その中央の床に、よく見なければ気づかないようにカムフラージュされたハッチがあった。
慎重に引き開けて中を覗く・・・真っ暗でろくに見えなかったが、完全に静まり返っている。人の気配がしない。
俺は一寸首を傾げて、懐中電灯の光を穴の中へと差し込んだ。やはり何も無いのを確認してから、電灯をランタン状にして中を照らした。
降り立ったそこには、だだっ広い地下空洞が広がっていた。
何もない・・・わけではなかった。確かに何もないのだが、ヒトの居た気配が、匂いが残っていた。
「なぁ・・・」
「・・・なんだ」
「その・・・栗の花・・・的な匂い、しないか?」
俺は返事をしなかった。しなくても、歴然と、例の・・・オスの臭いがここには籠もっている。
「あれ、マジなんだな・・・寄生されたらホモになるって。冗談だと思っ――」

「おい!」

急な声に驚いて振り仰ぐと、穴の上からB班の二人が顔を覗かせていた。
「どうだ、何か、あったか?」
叫ぶようにそういうひとりに向けて、俺は首を振った。でも、
「でも、ここに、居たんだ、連中は・・・今は居ない」
「逃げたのか?」
「違う・・・引っ越したんだよ・・・“手狭”になったから」



『そうか・・・』
一通りの報告を終えると、通信の向こうで隊長は暫く沈黙した。
『すぐに帰ってこい・・・と言いたいが。お前達、そのまま探索を続ける気はあるか』
「え――」
「あります!」
俺の言葉を遮るようにして、賑やかしの相棒が無線機に向かって叫んだ。
『よし、よく言った』
隊長は嬉しそうな声を上げた。
だがこちら側では、相棒が全員からの冷めた視線を浴びている。
『相当な数の人間が移動したはずだ、そう遠くへも行けまい。少しの足取りだけでも辿れればそれでいい。深追いする必要はないからな』
「はい」
頼んだぞ、という声を最後に通信は切断した。
途端にみんなはワッと彼に飛びかかった。
「おっ前、ふざけんなよ!」
「何ひとりで決めてくれてんだよ!」
「か、かっこよく決めたかったんだよ・・・」
「アホか!アホだ!」
散々怒鳴られ、片を狭くしていたが、ぽつりと一言、
「なんだよ、お前ら、怖いのかよ・・・」
う、と誰かが呻いたきり、みんな黙り込んでしまった。
怖い・・・わけではない。ただ・・・得体の知れないものを宛もなく探すという不毛極まる作業が、割に合わないと思っただけのことだ。
それでも、決まったことには逆らえないのだ。

先程の班に分かれ、とりあえずこの町の中を探索しようということになった。
小さな町だ。身を潜めるような場所も多くない。直ぐに潰せるだろう。



――C班――

俺達は工場地帯を歩いていた。適当に徘徊しては、目についた倉庫の内部を一つ一つ調べていった。
「不毛だ」
「・・・だな」
「適当に終わらせよう」
「だな!」
こういう時、俺とこいつとは気が合った。如何に力を抜くか、って時だ。
いつもマジメなあいつらとか、元気とやる気だけは満タンの彼奴とかに合わせるのは時々疲れる。

愚痴り合いながら、何個目かの古い倉庫に入り込んだ。
その途端、それまでに無いナニカを、全身が鋭く感知していた。
これも訓練の成果なのかと思うと、なぜか悲しい。
俺達は無言で顔を見合い、同時に頷いた。
「・・・逃げるか?」
「だな・・・報告しなきゃならないし」
「報告・・・何て言う?」
「何か変な気配が・・・した・・・ような・・・?」
言いかけて、俺は溜め息を吐いた。
「一応・・・目視確認ぐらいは、しないと、だな」
「だなぁ・・・」
確かに俺達は不真面目だ。だがこれでも公僕なのだ。弁えるべき分は弁える。

ゆっくり、足を進める。
懐中電灯の光線の中で埃が舞う。
ブーツが砂を擦る微かな音さえ、深夜の倉庫にはよく反響した。
窓からの月灯りがあり目が慣れてくると案外見通せる。
周囲にはスチール製の棚が林立していて、品物なのか材料なのか、はたまたゴミなのか、ポツポツと積んである。
どれも埃を被っていて、遺棄されてから長いようだ――

くちゅ――

不意に小さな水音がしたような気がして振り向いた・・・が、誰もいない。
周囲は乾き切っていて、あんな音がしそうな場所は見えないが・・・。
先を行く相棒がこちらを振り向いたが、俺は首を振った。

ねちゃ――

そうとしか表現できない粘ついた音がして、反射的に銃口を向けた。
見慣れない黒っぽい何かの塊が、ゆっくり蠢いていた。

バシュッ

考えるよりも早く、銃弾を放っていた。
塊が弾け飛んだ。動きが止まったのを見て、そっと近づく。
周囲には赤黒い液体や肉片が飛び散っていた・・・思わず吐き気を催す。
「おい・・・!」
「もう十分・・・だな?」
俺の問いに、相棒は何度も頷いた。こんな所、さっさと逃げ出すに限る。

来た時とは逆に、棚の間を足早に抜ける。
前を行く相棒が、不意に足を止めた。
「なにして――」
「しー・・・っ」
言われて口を噤むと、

くちゅ・・・
ぬちゃ・・・

どこかイヤラシサすら感じさせるようなその音。
さっきも聞いたその音が、周囲から・・・あちこちから聞こえてくる・・・。

びちゃっ

と一際大きな音がしたのと同時、
「ぐァっ!?」
相棒が呻いてうずくまった。慌てて駆け寄る。
「おい、どうし・・・」

「いや、何も」

ぐりんっと振り返り、相棒は笑って見せた。
「な・・・んだよ、脅かすなよ。ほら、さっさと出ようぜ」
「悪い悪い」
ケツを払って立ち上がる相棒に先立って、俺は歩き出した。

カチャッ

それまでとは違う金属音がして、俺は再び相棒を振り返ろうと足を止めた。
だが、振り返る前に、項の辺りにひんやりとした感触。
「う・・・動くなよ」
どこか上ずった声で相棒が言う。その声がいやに近くて驚く。
「なに・・・何の冗談だ、これ?」
「冗談じゃないよぉ・・・ひっ・・・」
酔ったような調子で、相棒の声が、呼気が首筋を撫でる。生温かい感触に鳥肌が立つ。
首にぐりぐりと押し当てられる冷たくて硬いものが、恐らく拳銃であろうことは察しがついた。
じゃあ・・・腰の辺りに押し当てられている、硬くて、熱いものは何だろう・・・?
「ぬ、脱げよ・・・ほら・・・」
「は?」
「脱げよ!」
わけのわからないことを言い出す相棒に、俺が動けず戸惑っていると、
「ぬ・・・脱がして、ほしいのかぁ・・・?」
「お前・・・頭どうかしたのか?」
「ひひ・・・」
「いいから脱げって言ってんだよ!」
相棒の腕が腰に回され、片手でガチャガチャとベルトを外そうとしてくる。
「お、おい――」
思わず声を上げると、首筋の冷たい感触が一瞬消え、

バンッ!

「っ・・・!」
至近距離での爆音に、耳がおかしくなる。
「う・・・動くなって、言ってるだろ・・・」
その言葉と銃声を聞いて、気づいた。
この防弾チョッキは、一般人からの発砲を想定したものじゃなかった。
俺達の同士討ちを懸念しての装備だったのだ。
俺は大人しくベルトを外し、ズボンを脱いだ。
「ぱ、ぱ、パンツもだよ・・・決まってるだろ・・・」
何がどう決まってるのか知らないが、俺は大人しくパンツも脱いだ。
その途端、ごつごつした感触がケツを撫でてくる。
首を捻ると、相棒がグローブを嵌めたままの手を伸ばしている。その目は血走っていて、酷く興奮している様子だった。
その下では、いつのまに脱いだのか、勃起したモノが俺の尻を狙っている。
「すぐ、入れてやる、からな・・・」
誰も頼んでねぇし!
形振り構わず逃げ出すしかないか――

プツッ

「え・・・」
微かな痛みと共に、それが俺の中に入ってきた。
・・・眩暈のしそうなほどの快感と一緒に。
「っは・・・はぁ・・・なぁ、おい・・・」
「んー? どうしたぁ?」
相棒が嬉しそうな声で言ってくる。
「はやくぅ・・・早く、入れてくれよぉ・・・」
そんな風に、俺は強請ってしまう。
「よしよし、入れてやるって・・・」
満足げに微笑む相棒の肉棒が、ぐいっと俺の中へ割り入ってきた。
「うは、ぁ――

――B班――

俺達は無人の町を歩いていた。
どこにでもある街並みだが、人気は全く無い。
深夜だから当たり前とも思えるが・・・それだけが理由、だろうか。
突然、パタパタと、軽い足音が聞こえてきた。まだ遠いが、子供のそれだとわかる。
音のする方を見やると、まだ十歳かそこらという感じの小さな子供が、曲がり角から姿を見せた。まったく無防備な様子で、泣きながら此方へ走ってくる。
「どうした、坊主」
駆け寄ってきた少年を、相棒が屈んで抱き留めた。
わんわん泣かれて参ったので、とりあえず手近にあった空き地の隅へと場所を移し、草村に身を隠した。
少年は相棒の胸に顔を擦り付けるようにしてしばらく泣きじゃくっていたが、やがて泣き止むと、
「みんなに・・・追いかけ、られて・・・っく・・・」
どうやら正気をなくした男共に追いかけられでもしたらしい。
「そうか・・・よしよし、怖かったな・・・」
相棒が頭を撫でてやっていると、少年も幾分落ち着いてきた様子だった。
「ありがと、お兄ちゃん・・・」
「い、いや別に、仕事だしな・・・」
腕の中から見上げられて、相棒は何だか照れている様子だった。
「大好き、お兄ちゃん!」
少年が急に首を伸ばしたかと思うと、

ちゅっ

相棒の頬に軽いキスをした。
相棒はといえば、顔を真っ赤にさせていたが、とりあえず大事が無くてよかった。

少年を相棒に任せ、俺はしばらく辺りを窺っていたが、いつまでもじっとしてはいられない。
二人の所へ戻り、声をかけた。
「おい、そろそろ・・・って・・・何やってんだ、お前」
思わ訊ねたが、何をしているのかは一目見れば分かった。
地面に座り込んだ少年を、相棒は覆い隠して・・・いや、のしかかっていて・・・熱烈なキスを繰り返していた。
熱に浮いた顔で唇を降らせる様は、一見愛情に溢れた画だが、相手が年端も行かない、まして少年となると話は別である。
「何やってんだよ!?」
叫んで引き剥がそうとした俺の腕を、相棒は振り返りもしないままで払った。
代わりに少年がこちらを見た・・・笑った。そして言った。
「邪魔しないでよ」
一瞬フリーズした俺の頭。
その頭に響く、わぁんと五月蝿い虫の羽音のようなノイズ。近づいてくるにつれて、それがまた子供の声だと気づく。
しかし今度は泣き声ではない。楽しそうな笑い声だ。足音の数も今度は複数。
やがて空き地へと駆け込んできたのは、やはり十歳かそこらの少年ばかり十人ほど。俺の存在になど気にもとめず、相棒の元へ。
きゃあきゃあ騒ぎながら群がっていくガキ達を、俺は何もできず呆然と眺めていた。何が起こっているのかわからない。
やがて蜘蛛の子を散らすようにガキ達がバッと離れると、地面に俯せに倒れた相棒の姿が見えた。もみくちゃにされて服が乱れていた。
「お、おい・・・大丈夫か・・・」
「あぁ・・・」
地面に手を突いてゆっくり身体を起こしていく・・・その背中に、何か・・・得体の知れないグロい物体が蠢いていた。
立ちあがった相棒は、俺を振り返り、にやぁっと笑った。
「大丈夫だよ」
背筋が寒くなる。無意識に、俺は銃を構えていた。
「え? 撃つの? 俺を?」
おちょくるように言ってくる相棒に、引き金を引けずにいると、また遠くからドタドタと足音が聞こえてきた。今度は重たい音だ。
俺達の・・・否、俺の方へ向けて、何十人という男達が走ってくる。みんなニヤニヤと、相棒と同じ顔で笑いながら。
「ひっ――」
一歩後退り、そのまま背を向けて逃げ出していた。
夜の町を駆ける。俺は本気で走り、連中はへらへら笑いながら走っているのに、距離を離せない。
曲がり角の度に、追っ手は増員されるが、俺は独りきり・・・いや、そうだ。まだ他の班の連中がいるじゃないか。
がむしゃら走っていた俺は方向を変え、車を留めてある場所を目指・・・そうとした。

「よっ」

「っ!?」
角を曲がった出会い頭に、相棒が立っていた。息を切らしているから、走って先回りしていたのだろうが、明らかに俺の方が体力を減らしていた。
改めて構えようとした銃が震え、懐に踏み込んできた相棒にあっさり叩き落とされた。
そうだ麻酔銃を・・・と腰を捻った瞬間、突き飛ばすように腕を伸ばした相棒に組み敷かれていた。
「はぁ、はぁ・・・」
「はぁ・・・っ、はぁ・・・」
お互いの熱い息が至近距離で絡み合う、という間も一瞬のこと、気がつくと熱い唇が触れていた。
途端、熱が伝染したかのようで、唇が、顔が首が身体が、あそこが。熱くなってくる。
先程幼児に熱を上げていた相棒の気持ちが、文字通り身にしみてわかった。
「イイだろ、これ?」
キスを返しながら、俺は何度も頷いた。
たくさんの足音が聞こえてくるのを、俺は相棒の首に腕を回しながら、今か今かと待ちわびる気になっていた。



――A班――

仲間が、友人達が目の前でもみくちゃにされている。
俺は、俺達は、震えながら、それをただ見ていた――

町を探索していた俺達は、その甲斐なく何という手がかりも見つけられず、予定時刻よりやや早いが、車のところへ戻ろうかと歩いていた。
遠くに人影がうずくまっているのが見えて、思わず駆け寄ろうとした俺を、相棒が止めた。
「・・・様子が変だ」
珍しく冷静な口調で言うので、俺達はとりあえず手近な物陰に身を隠した。
よく見ると、人影は一つではなく二つ、折り重なるようになって、もぞもぞと蠢いていた。
よく見ると、その人影達は見知った迷彩服を着ていたが、それでも俺達は駆け出したりしなかった。
二人は確かに、様子が変、だった。片方が、もう一方を組み伏せているようにも見えた。しかし、敷かれている方にも嫌がる様子は見えなかった。
遠慮と羞恥を抜いてもっとはっきり言えば、二人は睦事の最中のようにしか見えなかった。
「いつも真面目な、あいつが、ねぇ・・・」
「ばか、言ってんじゃねぇよ・・・」
目の前の光景の意味が理解できず、俺達はそんな風な、いつも通りの無駄口を叩いた。
やがて夥しい数の足音が近づいてきた。身を隠した俺達の目の前を、幾人もの男達が走り抜けていく。
地に倒れた二人の姿を見えなくするほどの男の身体が、夜の中に熱気と呻きと喘ぎを放っていた。
狂乱、狂騒、狂喜、狂気・・・狂っているとしか見えなかった。
男達の肉体の檻の中に見え隠れする仲間達もまた、狂っているとしか思えず、その姿は周りの男達と区別がつかなくなり、同化していくようだった。
「おい・・・」
俺はただその狂宴を見つめていた。
「おい!」
相棒が小さく叫んだ。
「何ビビってんだよ」
「別に、ビビってなんか・・・」
相棒が指さした方を見ると、俺の足がみっともなく震えていた。
「逃げるぞ」
「え・・・」
「今しかない。奴等が盛りあって気が逸れてる今しか」
「でも、」
俺は蠢く男達を、そこに居るはずの仲間達を振り返った。
「あいつらはもうだめだ」
「な・・・」
いつも熱くて仲間想いのこいつが、こんなことを言うのが意外だった。
俺のその気持ちを感じ取ったのか、相棒は苦い顔になり、
「あの中から二人を助け出せるのか?全員撃ち殺すか眠らせるかするのか?そんな無駄弾は無いだろう?
仮にあいつらがあそこから抜け出してきたって、その時のあいつらはきっと、もう・・・」
相棒は悔しそうに唇を噛み締め、地面を蹴った。
確かにこいつの言う通りだ。それはわかっているけど、やはり足が動かなかった。
すると、急に相棒が俺の手を握って、走り出した。

ドクン

(え・・・?)
心臓が一つ高鳴った。

夜の町を、手を取り合って駆け抜ける、迷彩服の男二人、という画は、どう考えてもこの場には相応しくなかった。
やがて停めてあった車に辿り着くと、相棒が運転席へ滑り込んだ。遅れて俺は助手席へ乗り込む、が、
「くそっ・・・かからねぇ・・・!?」
キィを捻る相棒の努力を笑うように、気の抜けるような音だけが響き、エンジンがかからない。
「そんな・・・なんで・・・」
「くそっ・・・」
相棒はキィを抜き、身体をこちらへ半分捻って後方を見ようと、身を乗り出してきた。ぐっと顔が近づく。

ドクン・・・

(あっ・・・)
また、だ。また胸が高鳴った。相棒の横顔を見た、その瞬間だった。
俺の戸惑いに気づいた様子で、相棒はこちらを見詰めてきた。
「なんだ、さっきから変だぞ」
「い、いや、別に・・・」
なぜだか、俺はドキマギしてしまう・・・どうしたんだ、どうしてしまったんだ、俺は?
「しゃあない・・・車捨てて逃げるか」
相棒はさっさとドアを開け、周囲を少し窺ってから外へ飛び出した。俺も慌てて後を追う。
「おい、逃げるって、どこへ――」
「とにかくここから離れる方がいいだろ。できるだけ遠くへ・・・」
曲がり角の壁に背を預け、銃を構えたまま、相棒は向こうの様子を窺っている。
俺は周囲の様子ではなく、その後ろ姿を・・・逞しく盛り上がった肩や広い背中を見詰めている。
「もう、無理だよ・・・」
そんな言葉が、口をついて出ていた。
「え?」
「あいつら、見ただろ・・・あんな、おかしくなっちゃって・・・。
C班の二人だって、もう予定時刻過ぎてんのに、帰って来ないし、どうなってるかわかりゃしねぇ。
敵の数もわからない、でも、さっき見た感じじゃ、十や二十なんて数じゃない。
ひょっとしたら、もうこの町丸ごと、駄目なのかもしれない。
俺ら、二人だけで・・・敵に囲まれたこんなところから、逃げ出せるわけなんか・・・」
「しっかりしろよ!」
相棒が、俺の肩を掴んで揺すぶってきた。
「いつでも冷静で、機転が利いて、真面目で、何事も諦めない、俺達のリーダー。それがお前だろ」
「そんな・・・そんな大層なもんじゃない・・・俺なんて・・・俺、俺は――」
どきどきと胸が高鳴っている。相棒の掴む肩が熱い。
「俺は、ずっと・・・お前に憧れてた」
「あ?」
「いつも、熱くて、一直線で、仲間想いで・・・一緒に居るだけで安らいで、楽しくて・・・」
肩を掴んでいる相棒のその手を掴み返し、ぎゅっと握った。
戸惑う相棒の顔がすぐ目の前にある。言いたいことが伝わっていない。・・・伝えたい。
堪らず、俺はその手を引っ張って、相棒のデカイ身体を抱きしめていた。
「お、おい・・・」
「ずっと憧れてた。お前が、気になってた・・・お前のことが・・・好きだった」
今まで、こんな風にまともに考えたことが無かった。その気持ちに向き合ってこなかった。
それでも、それは歴然と俺の中にあったのだ。
どうしてこんな状況でそれが溢れてしまったのかは、わからない、けれど――
「どうしたんだよ・・・」
相棒の声が震えている。
「お前――」
相棒の手が下へ回り、ぎゅっ、と・・・俺のあそこを握り締めた。そこが張り詰めていることに、俺自身初めて気づく。
「こんなに、サカっちまってよォ」
相棒の声に、嘲るような響きが含まれていて、俺は顔を上げた。
相棒は・・・醜く、笑っていた・・・え、なんで・・・?
「へへっ・・・」
戸惑う俺を余所に、相棒の手がソコを扱き上げてくる。
「あっ、はっ・・・」
「やっと毒が効いてきたなぁ」
「、ど・・・く・・・?」
「あぁ、たっぷりお前も嗅いだだろ、あの地下で。オスの匂いをさ」
敵の巣があったと思われたあの場所、確かに、酷い匂いが充満していた・・・あれが、毒?
「あれに中てられて、お前、そんな風にコーフンしちゃってんだよ」
え、そんな・・・じゃあ・・・。
「だって、お前も・・・匂いを・・・」
「あ? 俺? はは・・・まだわかんねぇの?」
相棒は俺の身体を突き飛ばすと、上着のボタンを外し、迷彩服を肩から肌蹴させて見せた。
思わず息を呑むほど、逞しい背中・・・に、グロテスクなナニカが張り付いていた。
「それ・・・そんな・・・」
「はじめっからだよ」
シャツを戻した相棒が振り返ると、ボタンを留めないままの前から割れた腹筋が見えた。
今度はベルトを外し、ファスナーをゆっくり下ろしていく。
「今朝、隊長に呼ばれてさ・・・」
「それじゃ、隊長に・・・隊長が、お前を・・・」
「違うって。俺が、最初なんだよ――



『お呼びでしょうか、隊長』
『あぁ、班の連中に伝えろ。急な話で悪いが、今晩、ある任務に就いてもらう』
『任務?』
『あぁ・・・言っても信じられないだろうが――
隊長が説明したのは、未知のエイリアンの襲来と、そいつらがどういうものであるか。
そして、そいつらの巣が一体どこにあるか、ということ。
けれど、そんなこと、俺はとっくに知っていた。教えられて、いたからだ。
『了解しました。しかし隊長、その前にどうしてもお見せしたいものが・・・』
『ん? 何だ?』
俺はシャツの裾を手で捲り、その下の肌を晒してみせた。
そこに目を遣った隊長の顔が引き攣る。
『お、まえ――』
俺の腹には、いつでも寄生させられるように、寄生体達を張り付かせて忍ばせていた。
そこから一匹を引き剥がし、隊長の方へ向けた。
素早く触手を伸ばしたそいつが、隊長の顔面に張り付く。
『む、ぐっ・・・!?』
『すぐ済みますから、大丈夫ですよ。痛みも無いし』
俺は隊長の椅子に腰を下ろし、寄生が済むのを待った。
隊長はやがて大人しくなり、俺の膝の上へペタンと腰を下ろした。
『う、うう・・・』
『どうですか、隊長』
『あぁ・・・これは・・・』
呻く体調の腰に手を掛け、ズボンのベルトを外してやる。
『イイでしょ?』
応えない隊長のケツを晒させて、穴に手を触れる。寄生体のおかげで、既にじっとりと湿っている。
『俺はさ、昨夜アパートへ帰ったら、郵便受けに入ってたんっスよ』
俺も自分の勃起を取り出し、体調のケツへあてがう。
『こんなプレゼントもらえてラッキー、ってなもんですよ。ねぇ?』
ずぶっ、と隊長の中へ己を押し進める。
『うぁっ・・・あぁ・・・』
『あら、もう感じてんスか。エロいっスねぇ、隊長』
隊長はどこか吹っ切れたのか、座ったままの俺の勃起の上で、腰を振っていた。



変だと、思っていた。隊長のさっきの指示も、通常ならあり得ないことだったのだ。
それに、こいつは確かにいつもいい加減な奴だけど、仲間を危険に晒したりはしないのだ。
全て最初から仕組まれていたこと・・・でも、じゃあ、
「俺達が、ここに居る・・・その意味は?」
「基地の中じゃまだ俺しか居なかったからさ。寄生体の数がちょっと足りなかったんだ。
お前らにも仲間になってもらって、ヤりまくって殖やそうって。考えるだけで楽しいだろう?」
俺は応えなかった。ただ、目の前に曝け出された相棒の一物を凝視していた。
「それで、基地の方は隊長に任せて出てきたんだ。そうすりゃ、お前らには荷物運びとかいろいろやってもらえるし。
今のネストも、もうすぐ一杯になりそうなんだよな。人手はたくさん欲しいけど、人が増えたら引越しだ。なんだかなぁ」
世間話でもするような調子の相棒の声を無視して、俺は這い這いをするように相棒の足元へ近寄っていた。
「・・・ほら。いいぜ?」
相棒の低い声が夜の街に響く。俺は震える手を、相棒の勃起に伸ばす・・・ぎゅっと、握った。
「あ・・・」
熱い。硬い・・・すげぇ。これが、こいつの・・・。
「憧れてたんだろ? 好きだったんだろ? ヤりたかったんだろ? 好きにしていいんだぜ」
俺はゆっくり顔を近づけ、その先端に滲んでいた雫を掬うように舐めた。
「くっ・・・あぁ、いいぜ、相棒・・・」
最初に舐めてしまえば、もう止まらなかった。一気に咥え込んで、しゃぶり尽くす。
相棒の剛直はすぐに俺の唾液でベトベトになる。俺の口からはイヌのように涎が零れ、地面に落ちている。
・・・どこかから足音が聞こえてきた。
「おぉ、いい感じにサカってるなぁ」
聞き慣れた声だった。
「すげぇ、なんか新鮮な絵だな」
「だよな、いっつも真面目くさってるこいつがよぉ」
そう言って、俺の頭をぐいぐいと目の前の勃起へ押し付けてくる、かつての仲間・・・今も、仲間・・・?
もっとも、そんなことをされなくとも、俺は既に目の前のご馳走に夢中だった。
「・・・あのさぁ、」
相棒が、気だるげに声を漏らした。
「俺、お前のこと、だいっ嫌いだったんだよな」
え――
思わず手を、口を止め、俺は顔を離した。途端に突き飛ばされ、俺はまた地面に尻餅をついた。
「いっつも真面目で、偉そうで、つまんねー奴だって思ってたんだよ」
ずきずきと胸が痛む言葉だった。
「だけどさ、今は違うぜ。お前を愛してる」
愛してる・・・?
「愛してやれるよ、誰よりも。今は俺も、お前のことが大好きだ」
だい、すき・・・?
「だから、ほら・・・」
仲間の一人が、寄生体とやらを相棒に手渡した。
相棒は、不気味に蠢くそれを、俺の方へ差し出してきた。
「来いよ、お前も」
一瞬、思考が停止する。けれど、俺の手はゆっくり、ソレへと伸びていく。
「そうだ、迷わなくていい。何にも考えるな。そうすりゃ、サイコーに気持ちよくなれるんだ。
ただそれだけのことで、俺達、ずっと一緒に居られるんだぜ」
俺の手は、寄生体を掴んだ。
ぐちゅぐちゅと気色の悪い感触のそれを、俺はゆっくり、自分の肩へ置いた。
「そうだ、それでいい」
相棒がにやりと笑う。仲間達もみな、俺を見下ろしてにやにやとしている。
触手がゆっくりと背中へ回っていく。
チクッ、と微かな痛みが・・・あった、ような気がした。
「よし。へへ・・・」
相棒が笑う。その顔は、いつも通りの屈託の無い笑みで、
「へ、へへ――」
俺も笑う。みんな笑っている。そうだ、何も考える必要なんて無かったんだな・・・。
「隊長に報告しよう」
「待てよ」
振り返りかけた相棒の、その股間に俺は再び手を伸ばした。
「生殺しじゃないか。早くハメてくれよ」
「ったく・・・しゃあねぇな」
相棒はズボンを、シャツを脱ぎ捨て、俺の身体に覆い被さってきた。
夜の暗闇の中で、その肉体が妖艶に輝いているように思えた。
「しゃあないってことないだろ。愛してくれてるんだろ?」
「あぁ・・・そうだ。愛してるよ」
ねっとりとしたキスを交わし、そのままもつれ合うように俺達は、俺は転げ落ちていった。
奴らの巣の場所を親父に告げると、興奮した様子で医務室を飛び出していった。
俺は寝台から身を起こし、病衣のまま廊下へ出た。足取りがやや覚束ない。腹がやたら減っている。
・・・龍二達に会いたい。

ふらつく頭を少しでもスッキリさせようと、俺は病衣のままシャワー室へ足を向けた。
研究所全体が慌ただしく走り回っているはずだが、幸い辺りには人の気配が無かった。
こんな格好で薄暗い廊下を歩いていると、ここはどこかの病院ではないかと思えてくる。
ここが病院で、俺が入院患者だとしたら、入院理由は間違いなく精神病だろう。
それも、男と見れば誰彼構わず発情して襲いかかるという、恐ろしくもタチの悪いビョーキだ。
寄生されている間に比べればそのビョーキは各段に大人しくなり、理性が勝っているように思う。
が、これはさっき親父にも言えなかったが、その症状は消えてなくなったわけではない。
ともすれば噴き出してしまいそうなほどの強い衝動として、俺の中に残っている。
シャワー室にたどり着き、更衣室の床に病衣を脱ぎ捨て、モルタル剥き出しの床をペタペタと歩く。冷たい床が足裏に気持ちいい。
・・・龍二は、平気なのだろうか・・・こんな風な気持ちを抑え込んで、仕事を続けているのか。
シャワーのバルブを捻り、手で確かめながら水が温かくなるのを待つ。
・・・龍二に会いたい。会って抱き締めて欲しい。
勢いよく落ちる湯の下に、俯いて髪を濡らすように、頭を突き出す。
龍二に会って、抱き締めて、そして――

「っ・・・」

湯の触れた項の辺りがズキリと痛み、同時に、忘れていたことを不意に思い出したかのように、昨日までの状態が蘇ってくる。
誰もいない、薄暗いシャワー室の床に、水勢に押しつぶされるように倒れ込む俺の身体は、
どうしようもなく熱を帯び、下半身に血液と一緒にじんわりとしたナニカが集まり始める。
頭を繰り返し殴られるような断続的な痛みの中にあっても、股間は別の生き物のように猛り、苦しむ俺の心など顧みようともしない。
脳裏にはちらちらと顔が浮かぶ。とてもよく見慣れたはずの、でもどこか懐かしいような、笑顔――
我知らず、俺はその名を呟いた――

「紅輝?」

不意にかけられた声に顔を上げようとしたが、それすら億劫で、俺は堅い床に身体を預けた。

***

ベッドが蛻の殻だったので、慌ててあちこち捜していたら、薄暗い廊下の奥から水音がした。
開いたままのシャワー室の扉から中を覗くと、床に倒れる誰かの足先だけが見えた。
慌てて駆け寄ろうとしたところで、倒れた彼が何事か呟くのが聞こえた。
小さな声で、水音の中だというのに、その言葉はシャワー室に反響して俺の耳に届いた。
・・・どうしてか、一瞬足を止めてしまってから、今度こそ駆け寄って声をかけた。
「紅輝?」
呼び掛けても顔も上げない紅輝に不安が募り、自分が濡れるのに気付かずに抱き起こしてから、慌ててバルブを締めた。
改めて紅輝の身体を確かめてぎょっとした。
その身体は火がついたように熱く、息も荒く、何より彼の中心が俺の方を向いて今にも突き刺そうとしていた。
「蒼、太・・・?」
「う、うん、俺だよ・・・大丈夫?」
紅輝は答えずに、また俯いてぶるぶると首を振った。大丈夫じゃない、ということか?
「あいつ、が・・・」
「あいつ?」
紅輝は震える手を首の後ろに回し、そこに残る痕をかきむしるように掴んだ。
「あいつが、居る・・・」
あいつ、がとりついていた其処は、火傷痕のように赤く爛れ、首筋にはまだ新しい刺し傷のように触手の侵入孔が遺されていた。
「・・・いないよ」
「いない?」
「うん、あいつは、もういない。もう死んだ」
宥めるように頭を撫でてやりながら、繰り返す。
「あいつは、俺と紅輝とで倒したじゃないか。苦しかっただろうけど、紅輝はちゃんと勝ったじゃないか」
そんなことを話しながら、俺は場違いにも昔のことを思い出していた。
昔、紅輝はよくうちに遊びに来ていた。二人でよくゲームをした。当時人気のあったアクションRPGのことを思い出した。
ラスボスがなかなか倒せなくて、何度目かのゲームオーバーの後にようやく倒した時、ハイタッチして喜び合った。
「いるよ・・・」
「いないって」
「いるんだ、あいつは、まだ・・・俺の中に・・・頭の中に・・・」
「しっかりしろよ」
思わず強い声になる。肩を揺すっても、その身体には力が無く、首ががくがくと揺れている。
「そうちゃん・・・」
「何・・・?」
「・・・・・・い」
「え? 何て?」
紅輝は顔を上げないまま、
「しよう。」
半ば予想し、四半は期待さえしていた俺の喉は、ひとりでにぐびりと上下した。
「や、紅輝・・・それは・・・」
「ごめん」
小さな謝罪の後、紅輝の逞しい身体は突如静から動へと移り、気がつけば俺は堅い床に仰向けに倒れていた。
「大丈夫・・・俺が受けだし、痛くないから」
「いや、そういうことじゃなくって」
「気持ちよくするから」
「そうでもなくて」
熱に浮かされたような表情の紅輝の言葉は、どこかふわふわとしていて、その息はめちゃくちゃ熱くて、
それを間近に受けているうちに、俺の方も、まるで酒に酔ったようにぽーっとしてしまう。
気がつくと紅輝の潤んだ目が、俺のすぐ目の前にあり、唇が――

「おい」

低いその声に反応してか、紅輝は身体をびくっと引き攣らせるように動きを止め、勢い良く身体を起こした。
二人して顔を向けると、雫木が扉の向こうに立っていた。
・・・何やら怖い目で、こちらを見ていた。なにやら、というか、なんとやら・・・。
「何してんだ」
「いや、その」
俺ではなく、病み上がりのはずの紅輝が責められているようで、紅輝が言い訳をして。
しかも、見ていると紅輝は先ほどまでより幾分元気になっているように見えて。
俺は床に倒れたまま、顔だけそちらに向けて見上げ、怒っている雫木と、おろおろしている紅輝を見比べた。
自分の立場というものが無いような・・・それでいて、それでいいような。
やがて雫木の吊り上がった目がこちらを向いたので、俺も身体を起こした。
「や、あの、紅輝が急にサカって。俺、被害者」
「ええええひでぇ、そんな」
「いや、事実だし。というか、そろそろ退いて」
「あ。」
言われて気がついたのか、紅輝は俺の上から身体を退けた。
それでも未だ勃ったままの己を無理やり手で隠そうとしていたが、その体積を隠し切れていない。
雫木がゆっくりとこちらにゆっくり歩いて来る。
「紅輝・・・」
「・・・うん」
「ひとりでシろよ」
「え?」
声を出したのは、俺だ。紅輝は少し困ったような顔をしていたが、やがて、隠していた手を退けた。
「・・・うん、わかった」
俺が驚く間も無く、紅輝は床に尻をついたまま、自らの勃起に手を添え、上下させ始めた。
「ちょ、なに――」
「いいから」
雫木に制され、腕を引かれて俺は立ち上がった。
紅輝だけが未だ座ったままで、俺達二人は紅輝の自慰する姿を見下ろす形になった。
「これ、コーフンするだろ?」
にやっと笑った雫木の手が俺の股間を掴む。そこは、先ほどの紅輝の熱と、今のこの光景とで既に硬くなっている。
「はぁ・・・はぁ・・・」
「紅輝、前だけじゃ足りないんだろ? いつもみたいにしてみろよ」
小さく頷いた紅輝は、自らの手指をべろりと舐めると、前から股間に手を伸ばし、丸見えの肛門へそれを沈めた。
「あ、ぅ・・・」
「ほら、一番奥まで入れろよ」
「う、ハァ・・・」
「どうだ? 当たったか?」
「あ、たっ・・・てるっ・・・」
「もっと出し入れしてみせろ」
「う、ん・・・ん、ん・・・」
・・・こいつら、何やってるんだ? 正気か?
「ちゃっちゃと出して、綺麗にしてから来いよな」
戸惑う俺の腕を引いて歩き出しながら、自慰を続ける紅輝に雫木は言った。
紅輝は小さく頷いて、熱に濡れた目で俺達を見送った。その間も手は動き続けていた。


「俺はあいつの主人で、あいつは俺の奴隷だった」
更衣室前の廊下に出て、ベンチに座って紅輝を待つ間、雫木は紅輝との関係について話した。馴れ初めも、今の状態も。
それは俺の想像とは随分違っていて、驚きはしたものの、なんとなく納得できるような気もしていた。
「初めは本当に、ちょっとジュース買ってこいとか、そういう些細なことだったんだ。
それがいつの間にかエスカレートして、自分でも止められなくなってた。
あいつの顔見てると、どうしてかそういう…嗜虐的な気持ちが湧いてくるんだよ。自分でも異常だと思うけど。
それにあいつ・・・痛がったり、泣いたりしても、嫌だ、って言ったこと一度も無いんだ。
本気で嫌なら拒絶するはずだろ?でもあいつは、何言っても、何させても、さっきみたいに、うんわかった、つって・・・だから俺も・・・」
雫木は言葉を切って、小さく首を振った。
「違うよな・・・そんなん言い訳だ。俺があいつを良いように弄んでた。それが事実だ」
「それが、今も続いてる・・・?」
雫木は頷いた。俺は続けて、
「それを、やめたいと思ってる?」
雫木はまた、今度は幾分力強く、頷いた。
「・・・いい加減、解放してやりたいと思ってる、けど――」
「それはさ、」
同じ懺悔を繰り返そうとする雫木の言葉を遮り、俺は言った・・・その後を続けるのには、少し勇気が要った。
「紅輝が好きだからだろ」
雫木は目を丸くして一寸俺を見つめた後、ぷっと吹き出すように笑った。
今度は目を細めて、俺の方を見て、微かに笑った。だけどその目は、俺の方を見ていなかった。
それは、愛しいものに向ける類の優しい顔だった。
続いて、はぁーっと盛大に溜め息を吐き、ベンチから身体が落ちそうなほど背中をズルズルと滑らせ、普段の調子に戻って話し始めた。
「最初はさー、本当に、からかうだけのつもりだったんだぜ?俺、そんな嫌なヤツじゃないし。だろ?」
苦笑を返して頷いた。
「でもさ、あいつとのそういうやり方が癖みたいになっちまってさ。一緒にいるのが楽しくてさ、ダメだって思ってるのにやっちゃって。
最初にシたのも、勢いっていうか、酔ってたし、その・・・だったんだけど、気付いたらあいつの、身体にハマっててさ・・・。
大学二年にして童貞だったんだぜ、俺。純情だったんだぜ?勿論ゲイなんかじゃなかったし。
なのに、あいつに会って、一緒に居て、いつの間にかすっかり男好きじゃん?」
「じゃん?って言われても」
「もうさ、俺の純情返せって感じだよ」
「紅輝のせいだ、って言いたいわけか」
「いや、そうじゃないけど・・・」
「もうさ、はっきりすれば?」
俺はわざとらしく溜め息を吐いた。少し不機嫌な声の調子をつくってみせて、
「さっきから何言ってんだかわかんないよ?」
半ば投げやりな感じで、俺は言った。
雫木は、泣きそうな、情けない顔をしていた。普段の彼ならば見せないであろう表情。その顔を作らせているのも、紅輝なのか。
「あ゛ー・・・あぁ、そうだよ」
雫木はベンチに座り直し、相変わらずの泣き顔で、眉間に皺を刻んで、姿勢を正して俺に向き直った。
「惚れたが悪いか」
俺は笑って、よしよし、とその短い頭を撫でてやった。
「お前はどうなんだよ」
「・・・え?」
来た。嫌な質問。来ると思っていたから、わざとわからない振りをした。
「え、じゃねぇよ。お前、紅輝と――」

「そうなのか?」

いきなりの問いかけに顔を上げると、髪の濡れたままの紅輝が真っ赤な顔をして俺達を見ていた。
「そうなのかー、って何が」
「だから、お前ら・・・そうなのか?」
・・・ははぁ、なるほど。
俺と雫木は同じことを考えたらしく、顔を見合わせてニヤリ。
「俺達が付き合ってんのか、って?」と雫木。
「やっぱそうなのか?」と紅輝。
「紅輝がラリってる間に俺達がくっついちゃった、って?」と俺。
「やっぱそうなのか!?」って、唾を飛ばして叫ぶ紅輝の必死さが面白かった。
「だったらどうする?」と雫木。
途端に紅輝は押し黙って、俺達の顔を順に見やって、
「だったら、それでいいんだけどさ・・・」
そんなことを言って、目を背けるものだから、俺はついカッとなって、
「よくないんだろ?」
語気が荒くなり、紅輝は驚いた様子でハッと顔を上げた。
「構わないんならそんなに焦んないだろ。よくないから顔真っ赤にしてんだろ。ハッキリしろよ、どいつもこいつもッ」
俺のその怒鳴り声は暗い廊下に反響して、けれどすぐに小さくなって、後には気まずい沈黙が残った。
それからようやく、俺は、はっきりしろ、なんて言える立場じゃないことに気付いて恥ずかしくなった。
特に紅輝に対しては。偉そうなことを言えるはずがなかったのに。
「・・・ごめん、言い過ぎた」
「いや・・・うん。いいよ」
雫木が小さく慰めてくれたけど、紅輝は・・・悲しそうな、悔しそうな、曰く言い難い顔で俺を見つめるばかりだった。


本部へ戻ると、予想していた通り、好奇と非難に満ちた視線が紅輝に降り注いだ。
「もう平気なのか?」
誰かが言ったその言葉は、紅輝を気遣ってのものではない。
こいつがここに居て大丈夫なのか、という、遠回しの批判だった。
「申し訳ありませんでした」
先ほどまでの子供のような表情とは違う、仕事をする時の顔に戻った紅輝が、深々と頭を下げた。
途端に、囂々と非難が湧き上がる。
「謝って済むことか!」
「お前のせいでどれだけ被害が広がったと思っている!」
「お前が先導して首相を狙ったんだろう!死者まで出ているんだぞ!」
「どのように責任をとる心算だ!」
浴びせられる怒号に耐えるように、紅輝は顔を伏せていた。しかし、グッと浮き上がった顎から、歯を強く食いしばっているのがわかった。
言い訳一つせず頭をさげるだけの紅輝に変わって、俺は口を開こうとした。
「あ」「あの」
雫木と声が重なり、顔を見合わせたが、結局どちらも言葉を止めてしまった。が、
「申し訳ございませんでした」
三人目の声に顔を上げると、吾妻さんが、あの吾妻さんが頭を下げていた。
いつも偉そう、というか尊大な姿勢を崩さない彼が、公然と頭を下げる姿はかなり珍しく、それが証拠に一同は目も口も大きく開いて唖然としていた。
「彼がしたことは、上司である私にも責任があります。多くの方に多大なご心配ご迷惑をおかけしたこと、
どのような形でも責任をとらせていただきます」
いや、とか、そんな、とか恐縮しだす連中が現れ始めたところで、
「ですが、」
と吾妻さんは続けて、
「彼は私の大切な部下です。あなた方から、お前、などと呼ばれ罵られる謂われはございません。今後お気をつけいただきたい」
再び唖然となる一同。
ぷっ、と小さな音が聞こえたと思ったら、雫木が吹き出したらしかった。
「よろしいかな?」
場がざわざわし始めたところで吾妻さんは着席し、俺達も促されて席についた。
「では始めよう。順に報告を」
吾妻さんが指名し、報告連絡事項の発表が始まった。場は既に会議の空気を取り戻していた。

国生研からは、紅輝に寄生していた寄生体の解剖所見が伝えられた。
今回、分離に成功し、紅輝が死なずに居てくれたのは、正直言って奇跡的なことだった。
寄生体は宿主の脳の深いところと結合する。あんな方法では、宿主へのダメージは避けられない。
もう一度同じことをやれと言われても、恐らく不可能だろう。
「その報告はつまり、寄生された人間を救う根本的な方法は未だ見つけられていません、という意味かな」
吾妻さんが言い、発表者(俺の先輩だ)は、顔を赤くして俯いた。

次に被害状況について発表があった。
既に被害はあの町だけに留まっていない。それは俺達も知っていることだった。
具体的に伝えられたのは国際会議場周辺で目撃されたことだけだった。
敵は秘密裏に活動しながら仲間を増やしている可能性が高く、その現在数は未知数――
「要するに、たくさん居ると思います、ということだな?」
また、発表者は赤面することになった。彼は確か警察庁のナントカさんって偉い人だったはずだ。
その時、紅輝が静かに挙手した。
「発言しても構わないでしょうか」
「構わん」
周囲の白い目を気にしながら、紅輝は立ち上がった。
「具体的な状況は私にもわかっていませんが、現在寄生された人間は数百、ひょっとすると千の桁になるかもしれません」
「根拠は?」
「・・・この目で見ましたから」
紅輝の言葉に、静かな緊張が部屋に広がる。
「寄生されていた間に、彼らの巣に私も帰りました。そこには数え切れないほどの男達がひしめき合っていて、女達は捕らえられ、横たえられていました。
殆どがあの町の住人でしたが、そうでない、外の人間もいました。
それに・・・その場には来ていませんでしたが、私がこの手で、寄生させた人間も居ます。
彼らは巣には戻らず、外で活動しているはずです」
「具体的には、わからないのか」
「・・・私が寄生させたのは、友人の自宅近くに住む人間が中心でした。そこへは、巣から大量の寄生体が送られてきていました。
それを使って、私は――」
「俺です」
突然雫木が椅子を蹴って立ち上がった。
「俺が寄生されてる時に、俺の家に寄生体を送らせました。紅輝はそれを使って――」
紅輝が目だけで制して、雫木は言葉を切った。
「その地域について、後で教えてください。重点警備に切り替えます」
「わかりました。ただ、既に広がっている可能性が高いです。警備の際にも十分気をつけるようお伝えください」
先ほどの発表者と頷き合って、紅輝は腰を下ろした。

「次は――」
吾妻さんが言いかけたところで、会議室に一人の男が入ってきた。後ろの方に座っていた男に何事か耳打ちしている。
「会議の途中ですが、緊急の報告が入りました」
耳打ちをされた男が手を挙げ、注目が集まる。
「現地部隊からの通信です」
会議室前方のスクリーンが明るくなり、映像が映し出される。
「隊長、始めてくれ」
現地キャンプと思しき場所が映し出される。中央には上官と思しき男が立ち、その奥の方に数名の隊員がカメラを向いて立っていた。

隊長と呼ばれた画面中央の男が頷き、現地作戦の進行状況を話し始めた。
報告によると、先行部隊が現地で例の巣に潜入し、多数の被害者を確認したほか、子供を中心に数名の被害者を保護・拘束することに成功したという。
応援部隊もキャンプに合流し、装備も軍基地よりの支援で拡充されつつある。明朝を待って、更に大規模な作戦に移る。

「まずまずの成果だ」
『ありがとうございます』
報告を受けた男と、隊長が画面越しに頷き合う。
「おかしい」
紅輝の呟きが聞こえ、俺は顔を向けた。吾妻さんもこちらを見た。
紅輝が手を挙げた。
「何だ」
「私が巣に行ったのは、2日も前のことです。その時点で既に巣から人が溢れそうでした。
彼らは巣を変えることを検討していましたから、時間経過から考えても、今もあの場所に巣があるとは思えないのですが」
「つまり・・・」
「巣は引っ越していて、あの場所にはないと思います」
虚偽の報告ではないか、ということか。
場には奇妙な空気が流れる。
「あの・・・」
今度は、雫木が手を挙げた。
「あの、奥に居る奴、知り合いです」
「なに?」
雫木が指差したのは、画面奥の一番左に立ってこちらを見ている男だった。
「同じアパートに住んでいる自衛隊員です。そのアパートっていうのは、つまり、」
「私が寄生体を拡げてしまったアパートです」
彼らが虚偽の報告をする必要など本来は無いはずだ。このシーンで嘘を吐くとすれば、それは・・・。
「隊長」
『なんでしょうか』
「すまないが、上着を脱いで、背中を見せてくれないか」
吾妻さんが言って、場がどよめく。隊長は表情を変えない。
『それは、どういう――』
「理由は聞かなくていい。申し訳ないが、頼む」
その時、画面の奥の方に居た、例の雫木の知り合いという隊員が動きを見せた。
画面外に移動し、姿が見えなくなったが、隊長の目の動きで彼がカメラの手前側へ来たことがわかる。
その彼に向けて、隊長が小さく頷いたように見えた。
『わかりました』
隊長は答えて、上着のボタンに手を掛けると、ゆっくり外し始めた。
焦らすような動きで、カメラに背を向け――ようとしたところで、突然画面に激しいノイズが奔った。
「どうした」
『通信不具合のようです』
相変わらず冷静な声で隊長が言う。
『申し訳ありませんが、いったん通信を切らせていただきます』
「おい――」
こちらが言うより早く、通信が向こうから切断されてしまった。さっきのは明らかに、人為的な不具合だろう。
報告を受けていた男の顔からは、先ほどまでの自身ありげな表情は消え、顔面蒼白となっている。
「どういう事態だと判断するかね」
吾妻さんが、誰にともなく問いかけた。今度は俺が、手を挙げた。
「現地舞台は、既に敵の手中にある・・・いえ、敵になった、と考えるべきです」
「そんな――」
「楽観視しても意味がありません。事態を客観的に捉えれば、そういうことになります」
紅輝が俺の後を継いでそう言うと、彼も口を噤まざるを得ない様子だった。
「後発部隊の合流は」
「・・・既に済んでいるはずです」
吾妻さんが小さく舌打ちをした。
「作戦の練り直しだ。これ以上の増援は無意味どころか、敵戦力を増強することにしかならないようだ」
俺達のために、吾妻さんがホテルを用意してくれていた。
俺は自宅も近いし、必要無いと言ったのだが、紅輝達も勧めるので、結局ホテル泊となった。
のは、よかったのだが。
なぜ。なぜツイン×2なのか。
「そりゃ安いからだろ」
「だったら家に帰ったのに。けほっ・・・なんか俺、風邪気味だし」
「まぁまぁ。わざわざ用意してくれたんだし」
雫木が気楽な調子で言ってくる。
「それともあれか?部屋割はどうなるんだろう、とか中学生みたいなこと考えてるのか」
「べ、っつに――」
図星だが否定する。
「蒼太が一人部屋でいいよ、無理に引き止めたんだし。遠慮しないで」
「そうじゃなしに――」
「じゃああれか?紅輝と相部屋がいいか。あ、それとも俺か?」
「じゃなくて!」
「じゃあ三人部屋にするか?ひとりは雑魚寝だけど」
「お、紅輝は3P希望か!」
「話聞けよお前ら!」

結局その話は収束せず、一部屋に荷物を放り込んで、もう一部屋にコンビニで買った酒を持ち込んでの酒盛りとなった。なんでだ。
「最初に潰れた奴が向こうの部屋な」
雫木はなんだか楽しそうだった。
かく言う俺も何だか少し楽しかった。
「学生みたいだよな、こういうの」
俺が言うと、二人とも曖昧に頷いた。
「俺らの大学時代は寂しいもんだったからなぁ」
雫木が言い、紅輝も苦笑いした。
「ところで、飲む前に確認したいことがある」
話題を変えようとするように雫木が言った。
そのまま背を向け、ガバッとシャツの肩口をはだけさせた。逞しい背中が見える。寄生体の付けた痕が赤く残っている。
「俺はシロだからな」
その言葉で、ようやく意図がわかった。
俺も背を向け、シャツを脱いで背中を見せた。
最後に紅輝が背中を晒した。さっきも見た傷痕だったが、それは雫木のものよりずっと生々しく、赤黒く変色していた。
「みんなシロだな」
「当たり前だろ・・・って言えないよな」
紅輝が申しわけなさそうに言う。
「嫌なもんだよな。身近な人間を信じられないってのは」
「言っとくけど、俺は騙された側で、お前らは騙した側だからな」
「言うねぇ、なかなか」
シャツを直しながら雫木が笑う。
「晴れてみんなシロってことで、乾杯するか」
笑いながら、雫木が缶ビールのプルトップを立てる。
「何に?」
聞き返しながら紅輝もプシュッと。
「俺は、国嶋との出会いに」
「あ、じゃあ俺は、蒼太との再会に」
二人して言ってから、お前は?って感じに顔を向けてくる。
「俺は・・・」
一瞬迷ってから、思いついて口に出す。
「エイリアンとの出会いに」
で、プシュッ。
「うげー」
「あー、ずりぃ」
二人して苦い顔をして声を上げている。その顔を見て俺は笑った。


大した話はしなかった。特に、今回の一件については一切触れなかった。それでいい気がした。
緊張も不安も、どうしたって消えないけど、少しでも気が紛れたようだった。
一番に潰れたのは紅輝だった。
「元々強くないしな、こいつ」
「そうなんだ・・・まぁ、疲れてただろうし」
隣の部屋へも行かず、ベッド一つ占領して寝息を立てている紅輝を眺めながら、俺達はウイスキーに移っていた。
「じゃあ、ってことで、今のうちにイッパツやっとくか?」
雫木がニヤリと笑う。本気でないのはわかっているので、俺も笑いながら首を振る。
「じゃあ、ってことで・・・今のうちに、訊いてもいいか」
雫木が、今度は笑わずに言う。
「何を?」
「お前とこいつのこと。さっきは途中だったろ」
あぁ、またきた、嫌な質問。でも今度は言ってもいいかと思えていた。酔っているから・・・かな。
「俺と紅輝の関係?」
「そうだ」
雫木は真面目な顔で身を乗り出してきた。
「そうだな・・・ひと言で言うなら、知り合いでも友達でも親友でも恋人でも他人でもない間柄、かな」
「・・・は?」
案の定、雫木が顔をしかめたので、俺は笑ってしまった。

***

狸寝入りをしていたわけじゃない。うつらうつらしていただけだ。
しかし二人が話し始めた辺りで、その話題に一気に頭が覚醒した。そこから先は・・・うん。狸寝入りだ。

「どういう意味だ?」
「中一の時だ。こいつが、俺の学校に転校してきた」
そう。ありがちな、親の都合で。
「先生に名前呼ばれて入ってきて、こいつが教卓の横に立ったんだ」
蒼太の声は、懐かしむような調子を含んでいた。つられて、俺も懐かしくなる。
「先生の名前とか、何組だったとか、それが何月のことだったかも憶えてないんだ。
だけど・・・緊張しながら笑ってたこいつの顔だけは、今でも、目に焼きついてる」
時季外れの転校で、周囲に馴染めるだろうかとか、ただでさえ容量の悪い俺は確かに不安だった。
みんな興味津々って顔で、俺のことを見詰めていた。だけど・・・蒼太だけはどこか違ってた。
同じようにじっと見られてるんだけど、好奇心とかそういうんじゃなくて・・・なんか・・・。
「一目惚れだったと思う」
蒼太が言い、俺は思わず身を捩りそうになったが、堪えた。
「ああいうのって、理由なんか無いんだな、本当に。いつも、いつの間にか、目で追ってた」
その視線を感じることは度々あった。けれど、
「でも、俺達は友達って呼べるような関係じゃなかった」
蒼太が俺に声をかけてくるようなこともなかったし、俺は俺で、いつの間にかできてたグループの連中と付き合ってた。
「俺は、当時はまだガキで、自分がそういう嗜好持ってるって認められなかったし。
認めてないのに自覚しちゃってたから、尚のこと紅輝に声なんてかけられなかった。
もし紅輝と仲良くなれたとしたって、それは、不純っていうか、自分の気持ちが止まらなくなる気がしてた」
そう、だったのか・・・蒼太がそんな風に考えていたなんて、知らなかった。
俺は薄目を開けてみた。
化粧台の上の壁にかけられた大きな鏡に、向かい合ってベッドの上に胡坐をかいている二人が映っていた。
「それでも、不思議なことに、それからの三年間、俺達はずっと一緒のクラスだったんだ」
「ラッキー、ってか?」
「・・・そうだな。俺は素直に嬉しかったよ。紅輝のこと見ていられる時間が、それだけ長くなるから。・・・それでよかった」
「聞いてるだけでじれったいな」
顔を顰めた龍二に、蒼太が笑う。
「確かに。俺も、そうだった・・・気づいたら、紅輝と同じ高校を受験してた」
そう。その話を人伝に聞いた時は、ちょっと不思議な気がした。
蒼太のレベルで受けるようなところじゃなかった。もっと上を狙えたのに、って。
「気づいたら、ってお前なぁ」
「うるさいな・・・で、受かってみたら、そこでも同じクラスでさ。なんか笑っちゃった」
始業式の日に、同じクラスに国嶋蒼太の名前を見つけて、俺もちょっと笑ったんだ。それで・・・。
「紅輝が、声、かけてくれたんだ・・・三年も一緒に居たけど、あれが殆ど初めてだったと思う」
知り合いが居て嬉しかったっていうのもあるし、俺からしても、蒼太っていう人間が気になっていたし。
「それから、少しずつ喋るようになって、気づいたら一緒に居るようになって。そしたらもう・・・駄目だった」
蒼太が笑った。笑ってグラスを煽った。
「思春期っていうのも、本当にあるんだな。予想通り、俺、もう、自分で自分が止められなかった。
どんどん、どんどん、こいつのこと好きになって・・・気が変になりそうだったよ」
俺は・・・ただ、蒼太と居るのが楽しいと、思っていた。
好きだとか、そういう気持ちではなかったけど、一番の友達だと思えるくらいの時間を一緒に過ごしていた。
「ある日・・・両親が留守にした夜に、紅輝が遊びに来た。俺が誘ったんだ。
こっそり買った酒を、生まれて初めて飲んで、夜通しゲームして、いい加減眠ろうかって時に・・・」
きっとあの夜が、蒼太と俺の、全ての始まりだった。
「自分でも、どうしてあんなこと言ったのかわからないよ。でも、俺は言ったんだ・・・一緒に寝ようか、って」
それを聞いて、俺は、そりゃちょっとだけ驚いたけど、でも、
「いいよ、ってこいつが言ってさ。俺のベッドで、並んで寝た」
「シたのか?」
龍二らしい言い方に、蒼太が笑う。
「シてない。できなかった。ただ、手を繋いで、一緒に寝ただけ。
ただそれだけだったけど、それでもう全部、その繋いだ手から、紅輝に伝わったような気がした」
全部ってことはないけど、蒼太がどういう気持ちでいるのか、それは確かに伝わってきた。
俺のことを大切に思ってくれている、その気持ちは疑うべくも無かった。
「それから、俺達の関係が変わることはなかったけど、いっそう長い時間を一緒に過ごすようになった。
紅輝が泊まりに来ることも、俺が紅輝ん家に泊まることもあって、そういう時、一緒に寝ることもあった。
俺は、それで充分だった・・・って、思えていたなら、よかったんだけど」
そこで蒼太は言い淀んだ。
「・・・好きだったんだな、ずっと・・・最初に会ったときからずっと好きで、どんどん好きになって。
その気持ちだけが大きくなって、でも・・・やっぱり、ただそれだけ、だった」
蒼太はウイスキーのボトルを傾け、最後の一雫をグラスに注いだ。でもそれには口を付けずに続けた。
「言えないまま気持ちだけ大きくなって、身体もでかくなって、人並みに性欲とか身についちゃって。
紅輝が好きで、でも伝えられなくて、悶々として・・・どうにかなりそうだった、ていうか、実際どうにかなってたんだろうな。
・・・ここからは紅輝も知らない話だよ」
そう言いおいて、蒼太は一拍空けた。
「ある日、部活のOB会か何かで、大学生の先輩達が来てさ。気の知れた居酒屋でこっそり飲み会みたいなことしたんだ。
その帰り際に、先輩達に無理やり誘われて、行きたくもないのにカラオケボックスへ連れ込まれて。
適当に抜けて帰ろうって思ってたんだけど、ひとりの先輩が妙な話振ってきたんだ。
俺がゲイだって噂になってるって。本当のところはどうなんだって。
真っ向から否定すればよかったんだけど、紅輝の顔が浮かんじゃってさ。直に卒業だし、別にいいかって思って、正直に言ったんだ。
したら、その先輩が急にのしかかって来た。打ち合わせしてたみたいに、他の奴らも押さえにかかってきた」
蒼太は、忌々しげに口を歪めていた。
「何されるのかわかったし、勿論必死で抵抗した。でも・・・先輩が言ったんだ。
『好きだ』って。
在校中からずっと好きだった、ってさ。
それが本気だったのかどうかは今でもわからないけど、それを耳元で囁かれた途端に――」
歪められていた顔には、どこか恍惚とした笑みが浮かんでいた。
「それまでの嫌悪感とか、痛みとか全部消えて・・・気持ちよく、なったんだ。何されても、どこ触られても、感じるようになったんだよ。
自分でもびっくりした。けど、キモチイイのが止められなくて、気づいたら・・・そのまま、先輩達にやられてた。
その後も、何回かその人達に抱かれたよ。その度に、好きだ、愛してる、って囁かれて。
それから噂になったらしくてさ・・・好きだ、ってただそれだけ言えば掘らせてくれる孔がある、って。
色んな人、学校の外の人にも身体を預けた・・・だんだん、それにハマってる自分には気づいていたけど、やめられなかった。
それでも、相変わらず、紅輝にだけは、手を繋ぐ以上のことはできなかった」
蒼太のその話は、少なからず俺を驚かせた。だって、あの頃の蒼太は、寧ろだんだん明るくなっていくような気さえしていた。
そんな生活をしているなんて、少しも気がつかなかった。俺が鈍かったのか?
「終いには、殆ど二重生活みたいになってた。昼間は普通に学校へ行って紅輝と過ごして。
放課後になると誰かに抱かれて、それでも足りずに、そーゆーコトするようなトコに出入りして、ゲイバーでバイトして。
距離を置いたのは、俺の方からだった。自分がいつの間にか、紅輝の傍に居られるような人間じゃなくなってた。
それどころか、いつか紅輝まで巻き添えにして転げ落ちてしまうような気がした。それは、何より恐ろしいことだった。
手を繋ぐのが、怖くなってた・・・だから・・・」
ある日、急に。本当に突然、蒼太が俺に素っ気ない態度をとるようになった。冷たい、と言ってもいいくらいで、周りからは喧嘩でもしたのかと心配された。
俺には身に覚えが無くて、ただ戸惑って、寂しくて、悲しかった・・・その時にも、俺は何も気づけなかったんだ。
もし・・・気づいていたら。
「もし、あの時・・・もっとシンプルに、素直になれてたら、って・・・そんな風にも思った。
でもそれはずっと後のことで、俺達は卒業してバラバラになって、疎遠になった。そうさせたのは、俺自身だ。
おまけに、そんな風に後悔してるクセに、夜遊びの癖は未だに抜けないんだよ。
雫木が褒めてくれるほどの人間じゃない。頭が悪くて、大馬鹿で、夜になれば誰彼構わず媚びまくって、上に乗っける淫乱なんだ」
それは懺悔でも、自嘲でも、反省でもなく、単に事実を述べるような言い方だった。
「あのさ、」
随分久しぶりに龍二が口を開いた。その顔は不機嫌に歪んでいる。
「ごめん、嫌な話したな」
「じゃなくてさ」
蒼太が謝るとますます機嫌悪そうに吐き捨てた。
「さっき言われたこと、そのまんま返すけど。お前、何言ってんだか、わけわかんねーよ?」
「え?」
キョトンとしている蒼太に、わざとらしいほど大仰に溜め息を吐いて、
「結局さ、好きだった、って話なんだろ?」
そう言って龍二が俺を指さしたので、慌てて目を閉じた。
「・・・うん」
「こいつも、お前が好きだったんだよ」
「・・・なんでお前が断言するんだよ」
「こいつのこと一番理解してるのは俺だからだよ」
更に断言する龍二に、蒼太は面食らった様子だった。俺は、なにやら胸が熱くなる思いがした。
「で、お前は言ってほしかったんだろ。他の奴からじゃなくて、紅輝から。それも、こいつの方も同じだったと思う」
「そうかな」
「そうなんだよ。なのに言わなかったから、そんな目に遭う羽目になったんだ。バカだお前は。お前らは」
「・・・そうだな」
「だけど、」
龍二は一瞬言葉を切って、
「さっきお前が言った通り、こいつは、今は俺が好きなんだ」
「それも言い切るんだ?」
「だ、だから、お前が言ったんだろっ。だから・・・全部、もう、過ぎたことなんだよ。いい加減捨て去れよ。
お前が張り合ったって、こいつのことは渡さない。だからお前も、さっさと過去のことにして、ちゃんと始めろよ。じゃなきゃ勿体無いよ。
・・・自分のこと、もっと大事にしろよ」
龍二はまだ何か言葉を探している様子だったが、その先を遮るように、蒼太はグラスを手に取り残りを煽った。
「俺、怒られたのかな?慰められたのかな?」
「怒ってんだ」
「そっか・・・ありがとう」
「・・・変な奴だ」
龍二も照れた様子で、残りのウイスキーを飲み干した。
「危なく惚れそうだったよ」
「お、いいぜ?こいつは渡さねぇけど、俺は相手してやらないこともない」
「はは、なんだそれ」
不意に蒼太は立ち上がった。
「寝るのか?」
「いや、酒買ってくる」
「おいおい、まだ飲むのかよ」
「いいだろ・・・付き合えよ」
蒼太は笑っていたけど、どこか寂しそうだった。
「じゃあ俺も行く」
「いや・・・けほっ・・・ちょっと頭冷やしたいし」
「・・・わかった」
「すぐ戻るから」


ひとり残った龍二は、タバコをくわえて火をつけてから、
「で・・・いつまで寝たふりしてやがるんだコノヤロウ」
煙を俺の顔目掛けて吐きかけてきた。
「げほっ、げほっ・・・っえ、な、気づいてた・・・?」
「いーぃこと教えといてやる」
横になったままの俺の身体に馬乗りになって、
「お前は寝てる時に、寝息一つ立てないし、身じろぎ一つしないんだ。死んでんじゃねぇか、ってくらいにな。
いかにも寝てそうな演技が逆効果だったなバカヤロウ」
ぐりぐりと腰の辺りを圧してくるので、俺は呻きながら見を捩った。
そのまま、俺の髪の毛を掴んで頭を持ち上げ、顔を覗き込んでくる。
「ぃ、って・・・」
「・・・。」
まだ何か折檻されるのかと思っていたが、龍二は顔を近づけてきて、キスされた。
「・・・どうせ、全部聞いてたんだろ」
「あ・・・うん」
龍二はバツの悪そうな顔をして、俺をちょっと睨むようにした。
「まぁ別に・・・いいけど、よ」
「え?・・・言ってくれないのか?」
「は? な、何を、だよ・・・」
「そりゃ、すk――」
「言えるかよ今更っ。小っ恥ずかしい!」
照れている様子の龍二を見て、俺はどうしてもニヤニヤしてしまう。

コンコン

唐突にドアがノックされ、俺達は同時に顔を向けた。
「雫木~、悪い、隣の部屋に財布忘れたんだ。鍵くれないか」
蒼太の声がして、妙に緊張していた俺達はほっと息を吐いた。
龍二がサイドテーブルの上に放り出してあった鍵を掴み、ドアの方へと向かった。
「あ、悪い」
「いいよ。ついでに俺も着替えとか持ってくわ。お前、そっちで寝るだろ」
「あぁ・・・うん」
龍二はどうやら、俺とこっちの部屋で寝る心算らしい。
俺は、少し期待をしつつ、ベッドに横になったまま龍二が戻ってくるのを待っていた。
だが、随分時間が経っても、二人は戻ってくる気配が無かった。
俺は身体を起こして、廊下に出て隣の部屋の前まで行ってみた。
ドアが薄く開いたままになっていて、中から何やら物音が、声が聞こえてくる。

――ん・・・あ、あぁ・・・

・・・喘ぎ・・・声? しかも、聞いたことがある・・・。
俺はドアを蹴り開けるようにして、部屋に飛び込んだ。
ベッドの上では、蒼太に組み伏せられるようにして、龍二が仰向けに倒れていた。
想像していたのとは上下の立場が逆なような気がしたが、そんなことはどうでもよかった。
問題は、あからさまに発情したような紅い顔でいる二人の様子だった。
「邪魔しないでよ・・・紅輝」
蒼太が言い、俺は言葉に詰まった。
「別に、いいだろ・・・減るものじゃなし。今夜だけで、いいから」
「どうしたんだよ・・・らしくないよ」
俺が言うと、蒼太は笑った。
「だから、俺は、お前が思ってるような、人間じゃない、って・・・」
まるで俺がここに居ないかのように、蒼太は龍二に顔を近づけ、その首筋に口をつける。
龍二の方はされるがまま、蒼太に攻められるままに声を漏らしている。
・・・おかしい。いくらなんでも。
蒼太に嬲られている龍二の目は、明らかにイッていた。
俺は無意識に手にしていたらしい銃を構え・・・蒼太へと向けた。
「龍二から離れろ」
「はは・・・やめろよ、紅輝。何の冗談だよ」
笑う蒼太の首筋からは、見覚えのあるグロテスクな触手がちろちろと覗いている。もはや隠す心算も無いらしい。
「冗談なんかじゃない」
「そう? でも・・・それ、普通の銃だよね。例の麻酔銃じゃない。それで俺を撃つ?」
「・・・撃つ」
「嘘だね」
蒼太は断言して、龍二の身体の上から退いた。
「無理だ。撃てないよ。たとえ、俺よりこいつのことを愛していても、紅輝は優しい。俺を殺せない」
蒼太はゆっくり歩いて、俺の方へやってきた。俺は銃口で追うが、
「動かないで。じゃないと、俺、死ぬよ? わかってるよな、紅輝には」
・・・そう、宿主の身体は完全に支配されている。心臓を止めることも、ヤツ次第。
「俺、巣へ帰らないといけないから」
蒼太はそのまま俺の横を抜けていこうとする。すれ違い様に、俺の肩をポンと叩いてきた。
「・・・助けに来てくれるよな・・・お前なら」
「蒼太・・・」
ニィッと笑った蒼太が、俺の頬に口付けをした。
「待ってるからな」
蒼太はそのまま走り出し、俺は・・・追わなかった。
龍二の傍に寄ると、荒い息のまま、
「悪い・・・紅輝・・・っ」
俺は首を振り、不意に脚から力が抜け、ベッドに伏せるように倒れた。
蒼太・・・。
18.

ショックは大きかったが、正直に言って、悲しみよりも怒りの方が大きかった。
自分達に対する怒りが。なんというか、
「いい加減にして欲しいものだ」
まったくだ。言ったのは親父さんだったが、俺達も同じ気持ちだった。
「お前達・・・三人揃って、入れ替わり立ち替わり・・・」
「申し訳ありません」
言われなくともわかっている。俺達は結局、全員の足を引っ張っているような気がする。
だから、
「後始末は自分達でします」
「・・・どういう意味だ・・・まさか、」
「奴らのことを最も理解しているのは俺達です」
「だから何だと言うんだ。危険過ぎる。許可できない」
親父さんは珍しく感情を顕わにして怒鳴った。
これに対して、息子はあくまで冷静に、
「許可いただけないならそれでも構いません」
「何だと」
「クビを切られようと、装備なしでも、私は行きます」
「勿論俺も行きます。一人で行かせるよりは安心でしょう」
「お前ら・・・」
親父さんの声が震えていたのは、怒りのせいだろうが、やがて諦めたように溜め息を吐いた。
「装備なしで何ができると言うんだ・・・」
結局親父さんは俺達が潜入作戦を決行する許可をくれた。



夜の闇に紛れてヘリを飛ばし、例の町に直接降り立った。
辺りはしんと静まり返っており、人の気配は――

「おい」

いきなり声をかけられて、俺達は肝を冷やした。
振り返ると、迷彩服に身を包んだ男が二人、銃を片手にこちらを見ていた。
だがその銃口がこちらに向けられているわけでもなく、男達はだらりと手を下ろしていた。
「そろそろ交代の時間か」
男の一人がそう言った。どうやら、俺達を仲間と勘違いしているらしい。
これを見越して、俺達も同じ迷彩服を着込んできたのだ。狙い通り上手く行ったようだ。
戸惑っている紅輝を余所に、俺の口からは咄嗟に言葉が飛び出す。
「おー、そうそう。そうなんだけどよ・・・」
俺は男の一人の肩に腕を回し、その耳に向けて囁いた。
「その前に、どっかでイッパツやらないか」
「お?」
言われた男の方も頬を緩めた。
「だったら巣に戻ってやろうぜ」
「何言ってんだ、外でやる方が燃えるじゃねーか」
「そうだなぁ、それもいいなぁ・・・」
男が乗り気になってきたところで、俺は紅輝に目配せした。
う、と紅輝は一瞬だけ嫌そうな顔をしたが、すぐに理解してくれた様子で、
「な、なぁ、じゃあ俺達も、どうだ・・・?」
と、どもりながらもう一人の男に声をかけている。男の目が不審げに歪む前に、俺は、
「いいねぇ!野外で4Pってやったことねぇよ。なぁ?」
場を誤魔化すように大きな声を出して、男達の肩を抱いたまま路地裏へと引っ張っていった。
すると、男の一人が、
「わざわざ隠れてやらなくてもいいんじゃないか? どうせ皆“同じ”なんだし」
「まぁそうだけどよ。邪魔されたくねぇだろ?」
俺達は半ば強引に男達を路地裏へと引っ張って行った。
そのまま後ろから殴り倒して、連中の着ていた服を脱がせて縄代わりに縛り上げた。
気を失っている二人を尻目に、俺達はようやく一息つくことができた。
「一服していいか」
「あぁ」
「ってかオマエな・・・演技がヘタ過ぎる」
「えぇっ、そう?」
「俺に媚びる時みたいに色っぽくやればいいんだ」
「こ・・・誰がいつ媚びたっ」
まぁ馬鹿はこれくらいにして。

俺達は、警備の連中の動きから敵の巣らしき場所の見当をつけた。
そこはどうやら市民病院のようだった。巨大な建物に、立派なガラスのファサード。小さな町だが金はあるようだ。
スロープを上がった先にあるエントランスは、この建物には不似合いな光景があった。
赤黒いグロテスクな、巨大な粘膜状の何かが、建物入り口を塞ぐように広がっていた。
時々市民と思しき人間が、その入り口に入っていく。その度に、粘膜は迎え入れるようにぱっくりと口を開けるのだ。
しかし見えるのはやはり男ばかり・・・。
「あの中はどういう光景が拡がってるのかねぇ」
「俺は、見たことがあるよ」
そうだった。こいつは、巣に入ったことがあるのだ。
「だから、俺が行く」
「・・・は?」
何を言ってるんだ、こいつは。
「二人で行くんだろ。そのために来たんだろうが」
しかし紅輝は首を振った。
「二人して乗り込んで、まとめてやられたらアウトだ。まず俺が行くよ」
「ざっけんな。だったら俺が行く」
「さっきも言ったろ。巣の中をわかってるのは俺だよ。お前より俺の方が向いてると思わないか」
そう言われて、俺は黙ってしまった。
射撃の腕や、頭のキレを考えても、紅輝の方が適任に思えたからだ。
だがそれはあくまで客観的視点に立てばの話で、個人的には頷けなかった。
「十分置きに連絡する。万が一連絡が途絶えたら、本部に連絡してくれ」
紅輝はもう、自分が行く心算で居る。俺はしぶしぶ、頷かざるを得なかった。

いくつか確認事項を済ませた上で、俺は紅輝を見送ることになった。
紅輝がゆっくり入り口に近づくと、紅輝を待っていたかのように、粘膜の壁がゆっくりと裂けた。
一度俺の方を振り返ってから、紅輝はその中へ入り、またすぐに粘膜が閉じて・・・紅輝の姿は見えなくなった。

***

巣の中は、以前に見たものとは少し違っていた。
引っ越しただけあって、規模が段違いだ。病院の建物中に、奴らの粘膜と粘糸が張り付いている。
数え切れないほどの男達が、時に着衣のまま、時に裸で、思い思いの体勢で、そこかしこで交わりあっている。
それに見覚えがある俺は、どこからか入り込んでくる雑念を振り払おうと首を強く二度三度と振った。
幸い俺が部外者であることは気づかれていないらしく、俺は男達の間を抜けるようにゆっくり奥へ進んだ。

やがて、中枢と思しき場所へ辿りついた。
粘膜が特に密集した部分が太い柱のようになって、床から天井へと繋がっている。
その周囲には、数十の男達が、柱に背を向けて裸で立っていた。
男達の背中、寄生体が取り付いた部分からは細長い触手が伸びており、その先が柱の上の方へ繋がっている。
ここは、男達から定期的に精気を、生命力を吸い出す場所だ。

奴らは、個々に繁殖しているが、全員が前のヤツのコピー=クローンなのだ。
種としての劣化を防ぐために、複製でしかない通常の繁殖だけではなく、遺伝子の交雑が必要なのだ。
そのために、奴らは複製とは別の繁殖方法を考え出した。
男達から精力と、遺伝子情報を取り出し、それを自分達の複製に組み込む。
そうして遺伝子にバリエーションを持たせながら、なおかつ優秀な遺伝子を取り込むことで、種として優秀な個体を生み出していく。
人間が取り組む生命工学にも通じるものがあるかもしれない。

触手に繋がれている男達は、皆一様に恍惚の表情を浮かべている。
かつてそこに居たこともある俺には、それがどうにも羨ましく思えてしまう。
俺もこうして、中枢に繋がれて、遺伝子を差し出していたのだ。

――おいで・・・

誰かの呼ぶ声が、聞こえるような気がした。
それはヤツの声で、でも俺の声で、とても優しく、心地よく・・・。

――さぁ、こっちへ・・・

声に導かれるように、俺は歩を進めていた。
柱に背を向けて、周りの男達と同じように、柱を囲むように立つ。
後ろからゆっくりと触手の伸びてくる気配がわかる。それが足元から這い上がってくる。

――紅輝・・・!

「っ・・・!」
俺のことを怒鳴る声が聞こえた気がして、俺はハッと顔を上げた。
柱から離れて振り返る。名残惜しそうな一本の触手が、するすると引き返していくところだった。
・・・今聞こえた声は・・・蒼太の声だった。俺に向かって銃を構える、蒼太の姿が浮かんだ。
ふっ、と俺はひとり笑った。
咄嗟に浮かんだ顔が蒼太だと言ったら、龍二はきっと真っ赤になって怒るだろう。
・・・こんなことしている場合じゃない。
周囲に蒼太の姿はなかった。交わっている男達の中にも見られない。
俺は更に奥を目指し、歩みを進めた――

***

十分経っても、紅輝からの連絡はなかった。
「・・・ちっ」
更に五分後、俺は痺れを切らして、自分から電話をかけた。

――オカケニナッタデンワハ、デンパガトドカナイトコロニアルカ、デンゲンガハイッテイナイタメ・・・

って、ここ、病院じゃねぇか。電波を遮断する装置や何かがあってもおかしくない。
なんで気づかないんだよ、あいつも、俺も。
・・・いや、あいつまさか、これを予想した上で、自分が行くって言ったんじゃないか?
「チッ!」
再び舌打ちをして、俺は別の番号へ電話をかける。
紅輝と打ち合わせしていた通り、本部へ連絡を入れて、三十分後、病院屋上へヘリを下ろしてもらう手配をする。
そうして俺も、紅輝の姿を探して、気色の悪い病院の中へと飛び込んだ。

中はひどくグロテスクで、まるでSF映画に出てくるエイリアンの巣のようで・・・っていうか、そのものか。
裸の男達があちらこちらでまぐわいあっており、汗の臭いと、アレの臭いと、他に何か甘い香りが充満していた。
俺はその男達の間を抜け、只管奥を目指した。
病院という建物の構造自体が複雑である上に、妙な粘膜や糸があちこちからぶら下がっていて視界も悪い。
紅輝に少しでも巣の構造についてレクチャーを受けておくべきだったか。
「はぁ・・・はぁ・・・」
歩き辛い通路を進んでいると、あっと言う間に息が上がってきた。
換気がされていないのか、なんだかひどく息苦しい。頭がくらくらしてきた。

――おいで・・・

「・・・あ?」
誰かの声が聞こえたような気がして、俺は振り返った。
振り返った先に、粘膜や糸の一際密集した場所があった。粘膜が柱のように天井まで繋がっていて、男達がその周囲を囲むように立っている。
俺の足はふらふらとそちらへ向いた。
男達は恍惚の表情で、グロい触手で柱に繋がれている。

――さぁ・・・おいで・・・

俺がその男達の輪に混ざろうとした、その時、

――雫木・・・!

「っ・・・え・・・?」
国嶋の呼ぶ声が聞こえたような気がして、俺は顔を上げた。
自分の股間が大きくなっていることに気がついた。息が上がっているのも、普段なら考えられないことだ。
これは・・・この雰囲気と、臭いのせいだろうか。
「・・・へっ」
ピンチに聞こえた声が国嶋のものだったって言ったら、紅輝は少しくらい妬いてくれるのだろうか――

ぐちょっ・・・

え・・・?
肩口にべちょりと何かが張り付いた。
振り返ると、にやけたツラの男が、俺の肩にしな垂れかかっていた。
「お前――」
その顔に、見覚えがあった。
同じアパートに住んでいて、自衛官で、昨夜のあのスクリーンに映っていた――
「待ってたよ・・・」
不敵に笑うそいつを振り解いて、俺はがむしゃらに走った。
臭いに中てられていて気がつかなかったが、いつの間にか周囲の男達の目が俺を捉えていた。
俺が仲間ではないということがバレてしまったらしい。つまり、敵に囲まれてしまったのだ。
こうなってはとにかくこの場から逃げ出すしか――
「うぉっ!?」
誰かに足をつかまれて、俺は無様に転倒した。床に広がっていた粘膜のおかげでダメージは無かったが、代わりにぐちょぐちょとした不快感が身体を包む。
・・・と思っていたら。
「な・・・ハァ、うっ・・・」
一気に身体が火照り始めた。この粘膜に触れてしまったのが不味かったらしい。
俺は熱い身体を引き摺りながらなんとか立ち上がり、逃げ道を探して彷徨う。
だが何所を見ても男達が道を塞ぎ、俺を逃がすまいとしてくる。
「はぁっ、はぁっ・・・くそっ・・・なんだよ、てめぇら・・・!」
俺は必死で男達を掻き分けて進むのに、男達はみな余裕を顔に浮かべて笑っている。
徐々に視界がぼやけてくる。自らの熱に焼かれるように、頭がくらくらして、足元が不安定になる。
不意に開けた場所には、周りより一段低くなった場所があり、そこは池か沼のようになっていた。
だがそこに溜まっているのは水ではなく、数え切れないほどの寄生体と、そいつらが分泌するのか、どろっとした粘液とが混ざり合った沼だった。
逃げ場を失い、疲労と共に前のめりに倒れ込みそうになった身体を、後ろから羽交い絞めにされた。耳元に熱い息がかかる。
「はな、せ・・・っ」
「素直になれよ」
前に回された誰かの手が、俺の股間を握り締める。
「うっ・・・」
「ほら、ここ、こんなじゃないか」
男達に無理やり後ろを向かされると、目の前に迷彩服を着たヤツの姿があった。
可笑しそうに笑いながら、己の股間を、俺のそこにこすり付けてくる。
「おれ、は・・・っ」
歯を食いしばりながら、俺はなんとかそいつの腕を解こうともがく。
「俺は・・・二度と、あいつを・・・裏切らないっ・・・」
だが言葉と裏腹に、身体が昂ぶっていくのがわかる。
それを見透かすように、ヤツは俺に顔を近づけて笑いを絶やさない。
「裏切ることになんてならないさ」
「なに・・・?」
「そいつも、同じにしてやればいいんだ」
俺はそいつの言葉を否定するように、強く何度も首を振る。
「お前がやるんだよ」
「い、や・・・ッ!?」
ずっと抱き寄せられていたのを、急に突き飛ばされて、俺の身体はふわっと後ろへ浮くように倒れ込んだ。
その先には、あの寄生体の沼がある・・・
「紅輝・・・っ・・・!

どぷんっ。

自分の身体が音を立てて沼に沈む。
滑る粘液の中で悶えながら、俺は全身を弛緩させた。
ありとあらゆる部位を寄生体とその触手が這い回ってくる。シャツの中にも入り込んできた。
あちこちを撫でられ、刺され、それら全てが耐え難い快感を生んだ。
やがて顔を水面に出せた時・・・俺は自然と笑っていた。

***

誰かに呼ばれたような気がして振り返った。
だがその先には、誰かに群がるようにしてコトに及んでいる男達が見えるだけだった。
俺はそこから目を逸らし、再び建物の奥を目指した。

やがて辿り着いた場所には、連中に捕らえられたと思しき女達が横たわっていた。
記憶にある映像よりも、数がずっと増えている。やはり寄生体の侵攻は恐ろしい速さで進んでいる。
その女達の間を抜けるように、俺は更に奥を目指した。
蒼太の姿を探して・・・というのは理由の一つであるが、本当は・・・逃げているのだ。
建物に充満した男達の臭い、蠢く裸体。今の俺には刺激が強過ぎて、ともすれば意識を持っていかれそうになる。
そうなったら、もう・・・こっちへ戻っては来られないような気がする。
そういうわけには行かないのだ。蒼太が待っている。龍二も待っている。
それでも勃起する俺自身だけは隠すことができず、俺はズボンの前を突っ張らせながら歩いた。
けれどその姿は逆に俺を周囲に溶け込ませてくれているようだった。

一階の一番奥に、休憩室と思しき小部屋があった。
飾りガラスの小窓を覗いて中に誰も居ないのを確かめてから、俺はドアを開けて中に入った。少し休みたかった。だが、
「う・・・」
小さな呻き声を聞き、思わず銃を向ける。
しかし、小部屋の隅に横たわっていたのは、捜し求めていた姿だった。
「蒼太ッ!」
蒼太は紅い顔をして、うっすらと目を開けて俺の方を確かに見た。
「・・・こうくん・・・?」
寝惚けたような顔の蒼太に、油断せず麻酔銃を向けながら、その首筋を確認する。
だが、傷跡はあるものの、寄生体はそこに居なかった。俺は銃を下ろし、ホッと肩を撫で下ろした。
「どうして・・・ここに・・・?」
「お前を助けに来たに決まってるだろ」
溜め息を吐いてから、俺は蒼太の傍に腰を下ろし、その額に手を当てた。
「お前、熱があるぞ」
「うん・・・風邪、こじらせたみたいでさ」
だるそうな身体に腕を添えてやり、起き上がるのを手伝ってやった。
「でも、そのおかげで・・・俺は、解放されたみたいだ」
「ん?」
蒼太は歩きながら話すと言い、俺の肩に手を回して立ち上がった。

「たぶん、ウイルス性の軽い脳炎だと思うんだよ」
「脳炎・・・って、動いて大丈夫なのか・・・?」
顔を覗き込みながら訊ねると、蒼太は苦笑した。
「大丈夫じゃないけど、じっとしてるわけにはいかないだろ。どのみち、ここに居たら危険なのは変わらない」
「そうだけど・・・無理するなよ」
蒼太は照れたように笑って、小さく頷いた。
「で、恐らく、なんだけど・・・」
はぁはぁと苦しげな息を吐いて、歩きながら蒼太は続けた。
「奴ら、解剖してわかった通り、殆ど脳味噌の塊のようなものなんだ。今俺の身体に居るウイルスが、連中にとっては命に関わるんだよ」
「だから解放されて隔離されてた?」
「そう。だから・・・」
「お前のウイルスばら撒けばいいんだな?」
俺が言うと、蒼太はひくっと顔を引きつらせて笑った。
「その言い方はかなり気になるけど・・・まぁ、そういうことだよ。ただ、あくまで可能性の話だから」
まぁやってみる価値はある。本部も今は打開策の一つも見つけられずに居るんだから、この話をすればきっと親父も喜んでくれる。
「じゃあとにかく、お前を無事に連れ出さないといけないんだな」
「うん・・・よろしく頼むよ」
蒼太は歩くほど辛そうにしながら、その目はしっかりと前を見据えていた。

ここへ潜入してから、三十分以上が経っている。龍二は外で心配しているだろうか。
本部へ連絡をしてくれているなら、打ち合わせた通り、迎えのヘリが建物屋上へと向かってくれているはずだ。
俺達は階段を上がり、一階から吹き抜けになった二階廊下を歩いた。
階下には男達の絡み合う光景が広がっている。
俺はちょっと蒼太の顔を覗き込む。蒼太はなんだか気まずそうな顔をしている。たぶん、俺も。
この雰囲気の中で、蒼太と二人、身体を密着させて歩いていることが奇妙に思えた。
「・・・なぁ」
蒼太の方から声をかけてきたので、俺は少し身構えた。
「なんだ」
「いや・・・二日前、久しぶりに会ってから、紅輝とはまだゆっくり話せてないなって思って」
「あぁ、うん・・・そうだな」
俺は頷いただけで、蒼太からの次の言葉を待った。
「・・・助けに来てくれて、嬉しかったんだ」
「当たり前だろ」
「そう?」
蒼太はからかうような目を俺に向けて、
「本当は、俺のことなんて別に気にしてないんだろ。お前には雫木っていうパートナーが居るんだし」
「そんなのは・・・それとこれとは、別の話だろっ」
蒼太が本気で言っているわけではないとわかっていたが、つい言い返してしまう。
「好きなんだよな、あいつのこと」
あぁそういう話がしたいのかと、少し納得しながら、どうしてこの場面でそんな話、とも思った。
それでも、脂汗を浮かべながら笑う蒼太に、俺は真面目に返すことにした。
「好きだよ」
蒼太はぐっと何かを飲み込むような顔をしたが、俺は続けた。
「あいつのことは好きだ。けど、蒼太のことも――」
「好き、とか言うなよ」
俺は笑って首を振った。
「大事な友達だと思ってる」
「・・・そうか」
蒼太はしばらく黙っていたが、やがてふぅっと息を吐いた。
「ありがとう。でも・・・痛いなぁ・・・」
「え? どこか打った?」
「じゃなくて」
蒼太は自分の胸をドンドンと拳で叩いた。それから、不意に立ち止まって、
「俺、紅輝のこと好きだったんだよ。あの頃」
「・・・知ってる」
「やっぱり?」
っていうか、昨夜、狸寝入りしていたのだが。それは内緒にしておこう。
「俺も・・・いや、俺は・・・」
「わかってる」
俺の言葉を遮るようにして、蒼太は強く言い切った。
「雫木は、お前も俺が好きだったんだろーなんて言ったけど。違うよな。わかってたよ」
確かに俺は蒼太のことが好きだった。それは間違い無い。
けどその気持ちは、今龍二に向けているようなそれとは、違う。
蒼太はまた歩き出し、俺は手を添えようとしたが、蒼太に振り払われた。
「もう、別にいいんだ。ただ、それだけ、聞いておきたかったんだよ」
ふらふらとした足取りで進むのに、蒼太の背中からは強い気持ちが感じられた。

バンッ!

突然の破裂音がして、蒼太の身体が揺らいだ。
「え・・・」
一瞬頭が真っ白になりかけるが、身体には動きが染み付いていた。
俺はすぐさま蒼太の傍に駆け寄り、倒れる身体を受け止めつつ、銃弾が飛んできたと思しき方向へ身体を向け、盾となった。
吹き抜けの階下から、手摺りの隙間を抜いて撃たれたようだ。
「そうちゃん!」
「だ・・・い、じょうぶ・・・脚、掠っただけだから」
確かに蒼太の脚から、夥しい出血があった。掠った、というレベルではないかもしれない。
だが、こんなところで悠長に傷を確かめている余裕は無い。
「一体誰が・・・」
俺が階下へ顔を向けようとするのを、蒼太が腕を掴んで引き止めた。
「駄目だ」
「え?」
「見ちゃ駄目だ・・・!」
蒼太の言っている意味がわからず、困惑していると、二階まで届く声が響いた。

「紅輝ィッ!!」

その声に、今度こそ頭が真っ白になった。
それでも、顔を向けずには居られなかった。俺はゆっくり、手摺りに近寄り、階下を覗き込んだ。
「そんなところで何やってんだよ、紅輝」
「龍二・・・?」
下からこちらを見上げているのは、間違いなく、龍二だった。いつも通りに笑いながら、俺のことをまっすぐに見詰めてくる。
その手には、彼の銃が握られている。
「外したか・・・? やっぱ、お前みたいに上手くいかねぇな」
「・・・お前が撃ったのか」
「あぁ、撃った」
龍二の全身には、あの寄生体がびっしりと張り付いていた。
服の上にも、首筋にも、顔の半分にまで、至る所を寄生体が鷲掴みにしていた。
その下の顔は、ずっと笑ったままなのだ。
「だってよ、お前らくっついて歩いてるの見つけちゃったからさ。ムカついたから殺そうと思って」
龍二の言葉の半分も頭に入ってこない。
「だってさ、お前は、俺のもんだろ。今更しゃしゃり出てきて近づきやがって、うざいんだよ、そいつ」
自分の身体がぐらっと揺れ、思わず手摺りを掴んだ。事態が把握できない。この状況に頭がついていかない。
だが、俺の腕は自然と持ち上がっていた。
龍二に、銃を向ける。
「え・・・撃つのか?」
さも意外そうに、龍二は目を丸くした。
普段と変わらないその顔に向ける手が、震える。
「撃てないだろ?」
「撃っちゃ、駄目だ・・・」
このやり取り、二度目だ。あの時は、撃てなかった。だけど、今度は――
でも・・・龍二はきっと、俺を助けに、ここへ入ってきたのだ。それで、奴らに狙われたのだろう。
そんな龍二を、俺は・・・撃つのか・・・?
「大好きなんだ、紅輝」
「っ・・・!」
この・・・この、場面で・・・この状況で・・・?
一番聞きたかった言葉なのに、少しも、喜べない・・・。
銃の震えが止まらなくなり、俺は手を下ろした。

バンッ!

「ぐぁっ!」
俺のその手を狙い、龍二が再び銃弾を放った。それは珍しく見事に命中し、俺の右手からは血が噴き出した。
「やった、当たった。ラッキー」
龍二はあくまで楽しそうに言う。
俺は身を屈めながら、再び蒼太に駆け寄った。
「・・・逃げる。歩けるか?」
「うん・・・いや、ごめん・・・ちょっと、無理そう」
蒼太は悔しそうに、己の脚を握り締めた。
俺は蒼太の前に背中を向け、
「背負ってやるから、早くしろ」
「でも、お前だって――」
「いいから!」
俺はイライラしていた。自分の不甲斐なさに。
龍二がどういう行動をするかなんて、予想できていたのに。
俺が戻らなければ、自分が乗り込んでくるに決まっているのに。

「逃げんなよ、紅輝!」

階下から叫んでくる龍二を無視して、俺は蒼太をおんぶすると、とにかく奥を目指した。

「逃げても無駄だ! すぐ追いつく!」

病院という複雑な建物が今は鬱陶しかった。ただ屋上へ上がりたいだけなのに、すんなり進めないのだ。

「追いついたら、いつもみたいに犯してやるから! そしたら二人で、そいつのこと殺そうぜ!」

くそっ、くそっ、くそっ・・・何度も繰り返し小さく毒吐く声が聞こえた。
それが自分の口から出ている声だと気づくのには時間がかかった。

俺達は屋上を目指して駆けた。駆けたと言っても、殆ど這っているような速さでしか進めなかった。
男達の熱気のせいか、空調が効いていないのか、建物の中はどこも蒸すような暑さだった。
さっきから、蒼太は一言も口を利かない。話すほどの力も無いのかもしれない。
俺達は二人共、黙々とただ足を前へ進めた。
そうしている間に、度々頭に浮かんでくる光景がある。
先ほどの、龍二の言葉が頭から離れない。
もし・・・もしまた、龍二に襲われて・・・侵されたら・・・。
そう想像するだけで、俺の股間が、僅かに反応する。
もし、俺もまた、龍二と同じようになってしまったら・・・俺はきっと、あいつの言っていた通りになってしまうだろう。
俺はきっと、この手でまた、今度は蒼太を襲う・・・だろうか。
だって、寄生体から解放された後ですら、俺は自分の欲望に負けて蒼太を襲おうとした。
俺のことを心配してくれる蒼太を、無理やりに襲ったじゃないか。
俺は弱い。自分の気持ちを抑えきれない。
「こう、き・・・?」
俺はいつの間にか足を止めていたらしい。前に居る蒼太が振り返ってこちらを見上げていた。
俺はゆっくり蒼太に近づき、その腕を掴んだ。
「どうした・・・?」
答えずに、俺は蒼太の身体を引き寄せた。顔を近づけ、唇を合わせる。
目の前で、蒼太の目が大きく見開かれる。首を振って離れようとするのを、俺は掴んで決して逃がさなかった。
しばらくもがいていた蒼太は、やがて大人しくなり、俺の腰に手を回してきた。
今度は俺の方が驚いて、顔を離した。蒼太は少し悲しそうな顔で笑い、俺を見上げる。
いつか見たような、頼りない笑顔だった。
蒼太はゆっくり俺の股間に手を伸ばすと、硬く張り詰めているそこを撫でた。
「俺・・・お前らに、殺されるよりは・・・お前らと一緒になる方がいいよ」
「え・・・」
「その方が、楽しそうだろ・・・もう、いいよ、別に・・・」
蒼太はゆっくり身を屈めると、俺の股間に頬を摺り寄せるようにしてきた。
「最初からさ、別に、誰かを助けたいとかいうわけじゃなかったし。ただ仕事で、首突っ込んだだけで・・・だから・・・」
蒼太は俺のズボンのファスナーに手を伸ばす。
「もういいじゃん・・・俺、別に、ここで連中と乱交してたって構わないんだ。お前らが相手ならな――」
俺は蒼太の手を掴んで止めさせた。
「ごめん・・・ごめん、蒼太・・・」
「なんでやめるんだよ。お前も、こうしたかったんだろ?」
「違う・・・」
違う、俺は、こんなことを望んでない・・・よな・・・?
「やめよう、早く・・・逃げないと・・・」
蒼太の腕を引っ張って立ち上がらせる。
「いやだ・・・」
蒼太は駄々を捏ねる子供のように、首を振り、俺の腕を解いた。
「いやだ、もう、いい・・・俺は、もういい・・・!」
「蒼太――」
蒼太は完全に錯乱してしまっていた。
「雫木が、どうして、あんな・・・こんなところ、来なければよかったんだ、最初から・・・」
「蒼太っ」
一向に立ち上がろうとしない蒼太を、引き摺るようにして進もうとした時、

「見ぃ―つけた」

俺はハッと顔を上げる。
廊下の向こうに、龍二が立っていた。俺達の方を見て、笑っている。
「何してんだよ、まだこんなとこに居たのか? ・・・なんだそいつ、どうしちまったんだ?」
蒼太を見て、心底可笑しそうに笑う。
「ハハッ、とうとう壊れちまったか? いい気味だ、なぁ紅輝?」
俺は蒼太を引き摺りながら廊下を進む。蒼太はとうとう泣きじゃくり始めた。
「どこ行くんだよ。こっち来いよ、なぁ、紅輝」
廊下の角を曲がったところで、俺もへたり込んでしまった。
立てた膝の間に顔を埋めるようにしている蒼太。息を荒げて動けない俺。
俺は、銃を取り出した。角の向こうから近づいてくる足音に備えて、構えた。
「はぁ、はぁ・・・」
足音が、すぐそこまで来ている・・・。真っ赤に濡れた手が痛む、震える。
今度こそ、撃つ・・・撃てる・・・。
「紅輝~」
いつもの声。いつもの足音。龍二を、俺は、

撃て、る・・・?

一瞬躊躇ってしまった瞬間、龍二の姿が角から躍り出た。
その手に構えた銃を、俺達へ向けている。

駄目だ、撃てない・・・間に合わない・・・。
俺が諦めかけた瞬間、バシュッ、と乾いた音が響いた。・・・後方から。
「ぐっ・・・」
龍二が小さく呻き、足を押さえて蹲った。
蒼太が撃ったのだ・・・麻酔銃を。
「お前、いつの間に・・・」
「さっきお前を誘った時さ」
「さそっ・・・ええ?」
蒼太はけろっとした顔で、俺に銃を返してきた。
「お前は絶対撃てないと思った。俺だって撃ちたくない。だけどこれなら、少し寝てもらうだけだ」
「だけどお前、あんなに・・・」
「こいつの足音が聞こえてきていたから、あぁいう形をとったんだ。
走って逃げているところに来られたら、いきなり撃たれるかもしれなかったから。作戦成功――」
「舐めるなよ」
龍二の、低い声が響いた。俺達は揃って振り返る。
龍二は、足を引き摺るようにしながらも立ち上がろうとしていた。
「なんで・・・」
「何度も同じ手にやられるようなヘマを“俺達”がすると思うなよ」
それから龍二は腕を開いて自らの身体に張り付いた連中を示すようにして、
「今の俺にはこれだけの数の脳ミソがあるんだぜ。身体能力もめちゃくちゃ上がってるし、身体機能の制御も自由自在だ」
龍二は誇らしげに言い切り、まだ少し辛そうにはしながらも、立ち上がってこちらに向き直った。
「くそ・・・」
蒼太は小さく吐き出し、龍二に向かって突進した。思い切り突き飛ばして転ばせてから、すぐにこちらへ戻ってきて俺の手を引いた。
半ば放心状態のまま、今度は俺が引きずられるようにして廊下の角を曲がった。
丁度そこにはエレベーターがあり、蒼太は殴るように上向きのボタンを押した。
「蒼太・・・脚は、大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないよ、全然。でもそれどころじゃない」
蒼太はエレベーターのドアにもたれ掛かるようにして、なんとか立っているといった様子だ。
俺達の来た後にはズルズルと血の跡が続いていた。
出血の量を考えると、あまり余裕が無いのは間違いないのに、蒼太はそれでも笑っている。
「俺も、ヤツに取りつかれて、ここへ来て、いくらかは楽しんだんだよ?
ヤツらは、本当に、俺達と何にも変わらないんだ。俺達、人間と同じで、ただ生きるために自分達に必要なことをやっているだけ。
それに・・・俺達、マイノリティと同じなんだよ。ただ、俺達とは違った方法を取らないと生きていけないって、それだけのことなのに。
こんな風に恨まれたり、殺されたりしている。連中だってその理不尽に耐えてるんだよ」
なぜこんなことを言い出したのかわからなかったが、蒼太は虚ろな目で中空を見つめながら続けた。
「取りつかれた俺達が、セックスで絶頂を感じている時、やつらも同じように快感を得ているんだ。
今では、やつらの方こそ、その感覚に夢中になってしまっているのかもしれない。下に居た女達を見た?」
俺が頷くと蒼太も頷き返して続けた。
「連中はもう女達に食事を与えるのもやめてしまったよ。そんなことどうでもいい、って感じでね。
このままいけば、やつらはいつか当初の目的も、行為の意味も忘れて、ただ快楽だけを貪るように・・・ああ、なんだ」
蒼太は吹き出すように笑って、
「俺と同じじゃん」
「そんな――」
俺の言葉を遮り、蒼太は首を振った。
「そうして、放っておけばいつか自滅するんだろうな」
それは、やつらのことを言っているのか、自分のことを言っているのか。

ようやくエレベーターが到着し、ドアが開くのと同時に銃弾が飛んできた。
逃げるように箱へ飛び込み、Rのボタンと、閉のボタンを連打する。
足音が辿り着く前にドアが閉まり、箱が上昇を始めた。俺達は同時に溜め息を吐き、揃って壁に凭れた。
「さっき・・・来なければ良かった、なんて言ったけど、」
蒼太の話はまだ続いているようだった。
「でも、お前らに会えたのは・・・紅輝にまた会えたのは、本当に良かったと思ってるんだ」
「うん・・・」
「俺、もう、やめるよ・・・あんなこと」
蒼太が何について言っているのかは何となくわかった。俺は何も言わない方がいいのかもしれなかった。けど、何か言わずにはいられなかった。
「その・・・病気にならなければ、別にいいんじゃないかな・・・」
って何を言ってるんだ俺は。案の定蒼太は睨むようにしてこちらを見ている。
「紅輝・・・」
「いや、そうじゃなくて」
「あの時、聞いてたのか?」
「・・・え。」
「まさか・・・寝たフリしてた、とか」
ジト目で見つめてくる蒼太に、俺は言い訳を考えたがシドロモドロになり、結局あうあうと呻くだけになってしまった。
そんな風な俺を見て、蒼太は笑って、
「別にいいって。だって、紅輝だし」
「いや・・・ごめん」
エレベーターが最上階に止まりドアが開いた。周囲に人の気配が無いのを確かめてから、俺はエレベーターの操作盤へ銃を向け、躊躇い無く撃った。エレベーターはけたたましい警告音とともに動きを止めた。
「すぐに追ってくるよ」
脇にある階段室に目を遣りながら蒼太が言った。
「これで屋上のドアが締まってたら笑えるよね」
俺は蒼太の笑えない冗談にぞっとして、屋上へ続くドアに駆け寄った。
案の定開かなくて、俺はノブ目掛けてまた一発放った。ノブと錠が一緒に弾け跳び、ドアはゆっくり向こう側へ開いた。

ババババババババ――

丁度、ヘリが降りてくるところだった。鍵がかかっていたせいか、屋上に他の人間の姿は無かった。
しかし俺は同時に、背後から駆け足で近づいてくる足音にも気がついていた。
蒼太に肩を貸しながらヘリの傍まで行き、降りてきた自衛隊員に蒼太の身体を預けた。俺は踵を返し、再びドアへ向かう。
「紅輝! どこ行くんだよ!」
蒼太が叫ぶ。しかし、既に龍二の姿がドアの向こうに見えていた。今背中をむけるわけにはいかない。
やがて自衛隊員達が俺の意図を察してくれたのか、背中でヘリのドアの閉まる音がした。
蒼太の怒るのが目に浮かび、俺はちょっと笑った。その笑った顔のまま、龍二を迎えた。
龍二はヘリを見つけると、すぐさま狙いをつけた。俺はその手に構えられた銃を目掛けて撃った。
甲高い音がして、龍二の手から銃が飛ぶ。
「っ・・・てめぇ・・・」
「もうやめよう」
俺はそう言って、銃を投げ捨てた。
「俺は今のが最後の一発だ」
龍二が自分の銃を拾って構えるが、その顔にはすぐに驚きが浮かぶ。
「そいつはさっきので銃身が曲がってる。撃たない方がいい」
そうこうしている間に、ヘリが上昇を始めた。龍二はしばらく迷っていたようだが、やがて自分も銃を捨てた。
「紅輝・・・」
「降参だ。もう諦めた」
言いながら、俺はシャツのボタンに手を掛けた。
・・・こいつをここで引き止めておきたかった。ヘリを追われたり、本部を襲われたりしたら、俺達にはもう本当に打つ手が無いように思えた。
蒼太が本部へ帰れば、きっと上手いようにやってくれるはずだ。
あとのことはあいつに任せて、俺は・・・少しくらい、楽しんでもいいかな・・・なんて。
俺は龍二に向けて笑いかけてやる。
「お前ももうわかってるんだろ。あいつが本部へ帰れば、きっと、全て終わらせてくれるよ。だからこそ、あいつのこと隔離してたんだろう?」
龍二は答えなかった。答えないことが正解を示していた。
遠ざかるヘリを睨んで踵を返そうとした龍二に向かって、俺は叫んだ。
「お前もずっとやりたかったんだろ!」
龍二が足を止め、怪訝そうに俺を振り向く。
「こっち着いてから、お前、してないだろ? 溜まってるんじゃないか?」
龍二の目が少し笑ったようになる。
「セックスバトルでもしようってのか? エロゲじゃあるまいし」
「それもいいな。俺がイかなかったら俺の勝ち?」
ハッ、と龍二が鼻で笑う。
「できるわけないだろ。自分でもわかってるんじゃないのか」
「やってみないとわからないよ」
俺はシャツを脱ぎ捨て、屋上の風に裸体を晒した。
龍二の目つきが変わる。その気になってきたのがわかる。いつもの顔だ。
龍二はゆっくり俺へと歩み寄ってきた。俺は逃げない。
「お前のこと犯してから、二人で本部へ乗り込むってのも悪くない」
「そう上手くいくかな」
本当は俺にだってわかっている。今の状況で、そんな条件で、俺に勝ち目なんか無い。
いつだって、俺は龍二にされるがままに抱かれてきた。
寄生体なんて居なくても、ただ撫でられて、囁かれるだけで、俺は龍二に身を委ねてしまうのだから。
案の定、龍二の手が俺に触れ、掴まれ、キスをされた、それだけで身体中の筋肉が全てを放棄したように緩む。
崩れそうになる身体を、龍二に抱きとめられた。
「ほら・・・もうこんなじゃねぇか」
龍二の身体を覆う寄生体達が、俺の方へと触手を伸ばしてくる。滑る触手で撫でられ、背筋が粟立つ。
「へっ・・・まだ、まだ・・・」
「ふぅん・・・」
龍二は楽しそうに顔を歪めて、俺にキスを繰り返す。寄生体達も、俺の身体を楽しむように撫でまわす。
俺は抵抗せずに、されるがままにした。
寄生体が俺の脊椎を貫けば、それで終わり。俺の負けだろう。とにかく、少しでも楽しませないと――
「何か色々考えてるみたいだけど、」
龍二が笑って、俺の股間を撫でる。ぞくぞくするような快感が這い上がってくる。
「くっ、は・・・」
「何も、考えなくていい・・・ゆっくり楽しもう・・・な?」
いつものセックスの時には見せない、優しい表情だった。
「ゆっくり・・・二人きりで、さ・・・」
ほんの一瞬だけ。だけど確かに、龍二は素の表情を覗かせた。
ウインク、してみせた。
それが本当のことだったのか、演技だったのか、それとも見間違いだったのかはわからない。
だけどそれを見て俺は、そのあまりの“似合わなさ”に笑ってしまった。
寄生体達は、なぜか俺の身体を撫で回すだけで、奪おうとしてはこなかった。
「ほら、ここ、きつそうだな・・・出させてやるよ・・・」
龍二が俺のズボンを脱がせ、突っ張っていたものが飛び出した。
間髪をおかずに、龍二はそこを咥えた。
「くぅっ・・・」
「いいぜ・・・もっと、声出せ・・・」
龍二が自分から俺のものを舐めるなんてことは、普段なら無いことだった。
今まではずっと、俺にいきなりしゃぶらせて、自分は気持ち良さそうに腰を振って・・・という感じだった。
今日の龍二は、普段とは違う。いや、勿論違うのは最初からわかっていたことだが・・・そういうことではなくて。
普段より、ずっと、優しい・・・。
「最高に気持ちよくなろうな・・・」
「う、ん・・・」
俺は、頷いてしまっていた。それを見て龍二が笑う。
「いつも通り素直だ・・・好きだよ、紅輝」
「お、れ・・・も・・・」
喘ぎながら応え、俺は自ら龍二の身体を求めて腕を回した。
この時点で、バトルなら俺は負けていた。
だが龍二は、その言葉通り、ゆっくりと俺を楽しませてくれた。
昂ぶらせながらも、俺がいかないように焦らして、断続的に与えられる快感に俺は悶えた。

「い・・・れて・・・?」
意識しないまま、俺は龍二に頼んでいた。龍二は苦笑いする。
「俺も入れたいけどさぁ・・・入れたら、お前、イッちまいそうだぜ」
「い、き・・・たい・・・!」
「おいおい・・・勝負はどうなったんだよ」
そんなもの、もはやどうでもよかった。
俺も、普段とは違っていた。普段より、数段気持ちがいい。寄生体に憑かれているわけでもないのに、どうしてだろうか。
俺は自らケツを龍二の腰に擦り付けるようにして媚びた。それでも龍二は首を振った。
「入れてやらない。イかせないよ」
「なん、でぇ・・・」
「ルールだろ? 俺が勝っちまってもいいのかよ?」
龍二は意地悪く笑ったまま、自分は服を脱ぎもしないで、俺のことを弄んだ。
バトルもルールももはやあったものではなく、俺はただ快感を求めて腰を、全身を捩じらせているだけだった。

龍二からの長い長い愛撫の中、俺は泣き叫びながら悶え、次第に意識が遠くなっていくのを感じた。
「おいおい・・・死んだりしないだろうな・・・しゃあねぇなぁ」
呆れたように吐き出した龍二が、最後に、指を、俺の中へ入れた。
「あっ・・・!」
待ちわびていた感覚に、俺は自ら腰を動かして迎え入れた。
指先がすぐに、俺の一番いいところを探り当てる。知り尽くされているのだから、当然だ。
「う、はぁぁ・・・!」
ようやく絶頂を迎えることが出来て、俺はとてつもない幸福感と共に、自分の腹の上へ精を吐き出した。
それは長い長い射精で、いつまでも脈打つソコからどろどろと流れ出し続けた。
「あーぁ・・・イッちまいやんの・・・」
龍二は、未だ打ち震えている俺のソコをべろりと舐めた。
「んっ・・・!」
「・・・俺の勝ちだな」
龍二は満足げに頷き、ようやく自らもシャツを脱ぎ始めた。
「じゃあ、お前の身体、いただいてもいいんだな・・・」
やるよ・・・いや、本当は、最初っからだ。
出会った時からずっと、俺の全ては、龍二のものだった。
身体と心に染み付いている龍二への隷属の気持ちは、それこそが今や俺の喜びになっている。
嬲られ、弄ばれても、全てが喜びとなる。
龍二が裸になると、何体もの寄生体だけが彼の身体を隠すように張り付いていた。
龍二の身体が俺に覆い被さり、俺達は強く抱き合った。
寄生体の滑る感覚を間に挟んで、俺達は互いの身体を愛撫した。
だが寄生体は、決して俺の身体にくっついては来なかった。
俺ももう気がついていた。龍二が、寄生体達を止めてくれているのだ。
二人だけでゆっくり楽しもうというのは、そういう意味だろう。
「朝まで・・・楽しもうぜ」
龍二は自らの反り返ったモノの先端で、俺のケツを撫でた。
「うん・・・」
俺は手でケツを拡げて、龍二がいつでも入ってこれるように。
この異常な状況での、普段とは違うセックスに、俺も龍二もひどく興奮していた。
寄生体達も、蒼太の言っていた通り、きっと楽しんでいるのだろう。
俺達の邪魔をしようとはせず、快感を高めるために、滑りを与えながら撫でてくれる。
とんでもない話だけれど、俺は、上手くすればこいつらとも共生できるんじゃないか・・・なんて気もした。
龍二が俺の中へ割り入ってきて、俺はまた叫ぶように啼いた。

「隊長、すまないが、シャツを脱いで後ろを向いてくれないか」
吾妻さんがあの時と同じように言う。スクリーンの中で、隊長さんが苦笑いして、シャツのボタンに手を掛けた。
ゆっくりと顕わになったそこには、紅輝達と同じ、傷跡だけが残っていた・・・寄生体はいなかった。
「やった・・・」
誰かが小さく呟いた。それを皮切りに、会議室のあちこちから歓声が上がりや拍手が湧いた。
吾妻さんが小さく嘆息しているのが見えた。

俺の報告を受けて、ウチの微生物部門、それから感染症研究所の人間にも声が掛かった。
俺の身体からサンプリングされたウイルスは、珍しいものでも何でも無かった。
子供やお年寄りがよく罹る脳炎を引き起こすが、重症化することは殆ど無いものだった。
それでも、それを大量にばら撒くなどという提案は、受け入れられないのではないかと俺は考えていた。
万が一ということがあるし、ウイルスの突然変異が起こりやすくなる危険も増すのだから。
吾妻さんの提案は、この国では普段の状況ならば絶対に受け入れられないようなものだった。
しかし吾妻さんの熱の篭もった説得と、現在どういう事態に陥っているかを説明する俺達の言葉に、市長・知事・国防相や総理大臣までが最後には頷いた。

スペシャリスト達が顔を突き合わせて夜通しウイルスの増殖に取り組み、翌日の午後には実行に移せる段階にまで漕ぎつけた。
自衛隊機によって上空から町へと散布されたそれは、たちまち効果を顕した。
例の病院を中心とした町全体へ夜の間に広がったらしく、翌朝、気だるそうな顔をした件の隊長さんから通信が入った。
『夢を見ていたようです・・・大変なご迷惑をお掛けいたしました』
「まぁまぁ――」
「まったくだ」
慰めようとした一人を、吾妻さんが不機嫌そうな顔で遮った。
その不機嫌の原因はおそらく、紅輝のことが心配だから、だと思うのだが・・・言うと怒られるので言わない。
かく言う俺も、二人のことが心配で堪らなかった。
『それから、今、こちらに本部長のご子息が・・・』
「それを早く言わんか!」
怒鳴られている隊長さんが不憫だったが、俺は笑ってしまった。

叱られる前の子供のようなバツの悪い顔をして、紅輝がスクリーンに現れた。隣では雫木が笑っている。
「何を笑っているんだ!?」
「っ・・・す、すんません・・・へへ・・・」
吾妻さんに怒鳴られて首を縮ませた雫木だったが、笑いは消えない。
『だって、やっと、終わったんですよ? 笑ってもいいでしょ?』
「君は・・・まったく・・・」
吾妻さんが呆れた様子で溜め息を吐く。
「・・・奴らは、どうなったんだ?」
吾妻さんの訊くのを待っていたかのように、雫木が足元から何か拾い上げた。
例の寄生体のようだが、干からびたようになっていて、ピクリとも動かない。
『皆、死んじまいましたよ』
「・・・死なない方が良かった、という言い方だな」
『いや、そういうわけじゃ・・・ないですけど・・・』
確かに雫木は、どこか少し残念がっているようだった。
『親父』
紅輝が初めて声を出した。
「・・・仕事中はそう呼ぶなと言っているだろう」
『親父、悪かった・・・心配かけた』
「・・・もういいっ」
不貞腐れたように小さく言った吾妻さんに、会議室のどこかから笑い声が漏れた。
が、吾妻さんに睨まれてすぐに消える。俺も顔から笑いを引っ込めた。
「あの町についてはこれで排除できたとしても、他へ拡がってしまったやつらはどうするんですか。まさか全国にばら撒くわけにもいかないでしょう」
『それは恐らく心配無いと思います』
雫木が言う。
『奴らは、巣と、そこにあった中枢機能を失いました。単独でできることなんて知れています。
ただ念のため、今回散布したウイルスについては長期保管しておくことをお勧めします』
「そんなことはわかっている。いいから早く帰って来い」
吾妻さんが言い、俺はまた笑ってしまった。

***

昼になって、本部からのヘリが到着した。
病院内で衰弱している人達の世話に当たっていた俺達は、玄関へと迎えに出てきた。
あの日とは逆に、ヘリからは蒼太が一番に駆け下りてきた。足を引き摺っている。
そのまま俺の方へ走ってくる。感動の再会、にでもなるのかと思ったら――
「アホ紅輝ッ!」
「ぐぇっ・・・」
全力の突進頭突きを腹に喰らった。
「それ結構痛いよなぁ・・・」
あの夜同じものを喰らっていた龍二が、遠い目をして俺に同情する。
「ああいう勝手なことするとこ、昔から変わってないよな!」
「だ、だって、げほ・・・あぁでもしないと、お前、行かなかっただろ」
「当たり前だろ」
「まぁまぁ、」
龍二が間に入ってくる。
「結果オーライってことで許してやれよ」
「お前が言うな!」
「ぐぅっ・・・」
三度の頭突き。
「お前があんな面倒臭いことになるから、俺達がどんな目に遭ったと思ってるんだ」
蒼太は包帯が巻かれたままの脚を指差して言った。
「いや、それは本当に悪かったと・・・」
「それはもういいんだ!」
「・・・どうしろと?」
龍二が溜め息を吐いた。

親父達を案内して、巣の中枢、あの粘液の柱があった場所へ連れて行った。
そこはもう粘りを失って、枯れて干からびた植物のようにして倒れて崩れてしまっている。
「ここか・・・」
「はい・・・ですが、もう何も残っていません」
軍の連中が大概調べ終わった後だ。寄生体達の遺骸も残らず持ち出されている。
「それにしても、あんな連中に、ここまでしてやられるとはな・・・」
「世の中にはまだまだ思いの及ばないことがあるということです」
「知った口を・・・」
親父は笑い、俺の頭をゴシゴシと撫でた。少し照れくさい。
柱の跡地に立って、足元を確かめて歩いていた親父だが、不意に残骸に足を滑らせた。
どすっと尻餅を付き、その衝撃のためか、まだ天井に残っていた残骸がばらばらと振ってくる。
「親父っ!」
慌てて駆け寄り抱き起こすが、親父は手を振る。
「大丈夫だ」
「親父、何やってんだよ」
「すまない・・・少し尻を打っただけだ」
ったく、と溜め息を吐いて、親父が起き上がるのを助けてやる。
すると親父はさっと踵を返し、玄関の方へと足を向けた。
「あれ、もう見ないのか?」
「あぁ。他にまだまだ片付けないといけないことがある」
足も止めずにサッサと歩きながら、親父が言った。
それもそうだ。俺は足元を確かめながら、親父の後に続こうとした。
「珍しいな」
蒼太が声を漏らした。
「何が」
「親父ー、って呼ぶ度にいつもムキになって怒るだろ?」
「あぁ・・・ちょっとは丸くなったってことかな」
「それにさ、」
と、今度は龍二が、
「あの人、UMAオタクなんだろ? この現場に見切りつけるのは早過ぎないか」
・・・確かに。仕事抜きにしてでもあちこち嗅ぎ回りそうな感じがするんだけど。

――うわっ・・・!

玄関の方から、誰かの叫びが聞こえた。俺達は一斉にそちらを振り向く。
「くそっ・・・やられた・・・!」
龍二が毒吐いて駆け出す。俺はまだ状況が飲み込めていなかったが、後に続いて走る。
玄関には、親父達とヘリに乗ってきた男が倒れていた。
「吾妻さんが・・・いきなり・・・!」
それを聞いて、俺も漸く理解した。銃を構えて、ヘリへ走る。
「親父ッ!」
ヘリは既に上昇を始めていた。その縁に飛びつき、俺達は何とかよじ登った・・・が、顔を出した親父が龍二の身体を突き飛ばした。
「うぁっ!?」
「龍二っ!」
まだ大した高度ではなく、何とか受け身をとれたようで、龍二はアスファルトの上で身体を起こしていた。
俺は再びヘリの中へ目を向けた。
「親父・・・」
「よく来たな」
親父は俺のことは落とそうとはしないで、腕を引っ張り上げた。
親父は、操縦士の首に銃を突きつけていた。
「どうして・・・」
「進化というのは、生命の神秘だ」
親父は突然語り始めた。
「あのウイルスに耐えて生き残った個体があった。私はその宿主に選ばれた。お前もだよ」
親父が唇を奪おうとしてくるのを、俺は頭突きするようにして何とか拒んだ。
「何・・・やってんだよ・・・どうしたんだよ、親父・・・」
「お前がゲイだと聞いた時は驚いたよ」
親父は笑う。
「血は争えない・・・そう思ったね」
「・・・は?」
「母さんと結婚して、お前が生まれて、それでもずっと、私のその嗜好は消えなかった」
何言ってるんだ、この人は・・・?
「お前が成長して、大きくなって、逞しくなっていく身体つきなんか見ていると・・・抑え切れなくなりそうなことが何度もあったよ」
「・・・やめろ」
「お前の枕元で、寝顔を身ながら自分でしたこともあったな。我ながら、情けないと思うが」
「やめろよ。そんな話・・・信じられるわけ・・・」
「今度私も、お前達の仲間に入れてくれ。楽しもうじゃないか――」
俺は、親父に銃を向けた。
「・・・またか。けれど、お前は結局、一度も撃てないんじゃないのか?」
俺は銃口を引き下げ、躊躇わずに撃った。

バンッ

脚に命中し、親父が顔を歪める。
「親父。あんたは俺が知る限り世界一プライドの高い人間だ。そんなモノに良いようにされて黙ってる人じゃない」
だが親父は怪我などしていないかのようにすぐ起き上がり、俺に飛び掛ってくる。
俺は親父の身体に押されながら、銃を今度は操縦士へと向けた。操縦桿の辺りに適当に狙いを定め、撃つ。
弾がはじけ、火花が散った。何かの警告音がなり、エンジン音が変わった気がする。
「っ・・・高度を保てません。不時着します」
操縦士が言って、ヘリは見る見る高度を下げていく。眼下には、俺達が初めてやって来たあの公園の林が広がっていた。
「紅輝・・・!」
「親父、死んだらゴメンな・・・だけどこれで死んでも、あんたは俺を怒らないだろ?」
目前に背の高い木々が迫っていた。
ヘリは錐揉み回転しながら、人工林の中へ突っ込んで行った・・・。

***

数日後――
紅輝と吾妻さんは、病院のベッドに仲良く並んでいた。操縦士も、一命をとりとめた。
「お前はホント無茶ばっかりするよな・・・」
雫木が溜め息を吐きながら、紅輝の手を撫でていた。
「これでようやく、本当に解決ってことでいいんだよな」
俺が言うと、紅輝が頷いた。
紅輝達も、ようやく想いが通じ合ったようだし、これからは上手くやっていくだろう。
吾妻さんとの関係も、いろいろさらけ出したおかげで、以前より少しは丸くなったようだし。
明日でこのチームは解散、俺はようやくいつもの仕事へ戻る。

あの時ヘリの中でどういうことが起こったのか、紅輝は教えてくれない。
しかし、林の中で発見されたヘリから引っ張り出されたのは、三人だけだった。
――吾妻さんに取り付いていたヤツが、消えていたのだ。
どこへ消えたのかわからない。林の中をくまなく捜索したが、死体も見つからなかった。
・・・ということになっている。


「国生研としては、こんな貴重なサンプル、見殺しにするわけにはいかないよ」

先生がそう言ったのだ。だから俺はそれに従うだけだ。

「生体実験も必要だからね」

先生はそう言って、研究生の一人にそれを背負わせた。
泣き叫んでいた彼は、すぐに大人しくなった。

「生態もいろいろ調べないとね。ただし・・・研究室内だけにしておくんだよ。バレると厄介だからね」

そう言う先生の背中にも、部屋の皆の背中にも、勿論俺の背中にも、同じものがくっついている。
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