- 2013⁄03⁄10(Sun)
- 01:06
義理の親子 しんいち
ここを見てると兄弟や親子の間での行為もあるんだなぁ、
と少し安心しました。
実は僕も義理の父と軽くですが関係がありますので
思いきって書いてみようと思います。
幼い頃から僕は母と2人で暮らしていました。
父の顔を知りません。父と暮らす兄も知りません。
今後も会う事はないと思います。
母は僕が小学校に行く頃に再婚しました。
新しい、そして僕にとっての1人目の父は
当時28才(母は30才)でした。
父は初婚でしたから僕は初めての子供でしたが
優しく育ててくれたと思います。
でも僕は父と素直に向き合う事ができませんでした。
反抗期があった訳ではありませんが
会話はほとんどなかったと思います。
母方の祖父はアメリカ人で
僕はクウォーターという事もあって
学校でも友達が少なく母だけが僕の理解者だと思っていました。
その母が僕と父を残して消えてしまったのは僕が10才の頃。
母の他に親戚を知らない僕には
父との2人だけの生活しか選べませんでした。
ここまで全然エロじゃなくて申し訳ないです・・・。
と少し安心しました。
実は僕も義理の父と軽くですが関係がありますので
思いきって書いてみようと思います。
幼い頃から僕は母と2人で暮らしていました。
父の顔を知りません。父と暮らす兄も知りません。
今後も会う事はないと思います。
母は僕が小学校に行く頃に再婚しました。
新しい、そして僕にとっての1人目の父は
当時28才(母は30才)でした。
父は初婚でしたから僕は初めての子供でしたが
優しく育ててくれたと思います。
でも僕は父と素直に向き合う事ができませんでした。
反抗期があった訳ではありませんが
会話はほとんどなかったと思います。
母方の祖父はアメリカ人で
僕はクウォーターという事もあって
学校でも友達が少なく母だけが僕の理解者だと思っていました。
その母が僕と父を残して消えてしまったのは僕が10才の頃。
母の他に親戚を知らない僕には
父との2人だけの生活しか選べませんでした。
ここまで全然エロじゃなくて申し訳ないです・・・。
父との2人の生活は地獄のようでした。
それまで母が間にいましたが2人になると
「おはよう」とか「いってきます」ぐらいの
会話とは呼べない会話しかない時期が長くありました。
今になって思うと父は母と結婚した訳ですから
僕を捨てる事もできたと思います。
でも父は努力してくれました。
小学校の卒業式で泣いてくれました。
壇上で証書を受け取って振り返ると
父は僕がひと目で気付くように緑のスーツ。
なんとか僕と本当の親子になりたいと真剣に考えていたそうです。
中学生になると時々勃起する事もありましたが
病気じゃないかと思ってました。
父に僕から初めて内容のある話をした話題は「勃起」でした(笑)。
その時の父は勃起が病気じゃない事を証明するために
僕の前で勃起させました。
もう、衝撃でした。形も大きさも僕とは違いましたが
大人(34か35才)の勃起したモノでした。
でも、それが僕のゲイへの出発地点だったと思います。
どうして勃起するのか?
その答えは意外にも保健体育の授業でした。
でも液体が出る仕組みがどうしても理解できなくて父に聞きました。
朝起きた時にパンツが濡れてる事ないか?と聞かれました。
確かに濡れたパンツを父にバレないように洗った事がありました。
それは寝小便じゃなかったのです。
父も同じ状況があるのか聞いたら答えはノーでした。
父に自慰行為を教えてもらったのはその時でした。
父は僕の前で勃起させたモノをいじり始めました。
そして勢いよく液体が飛び出しました。
自分で出す人は勝手に寝てる間に出ないと言ってました。
僕も自分で出したいと思いましたが勃起しません。
父は僕にしてはいけない事をしてしまったのです。
それは父の愛撫でした。
父は僕の下半身を裸にしていじくり回しました。
そして父の手の上下運動で出してしまったのです。
学校で誰にも言ってはいけない、と固く口止めされましたが・・・。
父にイカせてもらって以来その気持よさに参ってしまいました。
父を見ると勃起する事が多くなりました。
また出してほしい、と頼んでも父は断わり続けました。
さすがに父も失敗したと思ったらしいです。
当時のエロ雑誌(GOROとか・・・古い)を買って僕にくれました。
異性の裸を見て自分でやれ、って事です。
でも異性の裸を見ても勃起しませんでした。
僕は戻れない道に迷い込んでしまってました。
父にイカせてもらう場面を想像して自分で抜きました。
父にもそう話しました。1度はひどく叱られました。
それは異常な事だと何度も繰り返し言われました。
でも父を見ると、父の事を考えると体が勝手に反応して勃起。
そして父は更なる作戦を考えて実行しました。
父はゲイではありません。完全なノーマルです。
僕をノーマルな道に戻そうと必死だったと思います。
ある時、父は僕を居間に呼びました。
エロビデオを僕に見せたのです。
内容なソフトな物でしたがモザイクのない裏モノでした。
男は女に、女は男に感じて興奮するんだ、それが普通なんだ。
父は僕にそう訴えかけましたが僕は半泣き状態だったと思います。
そして、夜中に何か気配を感じて居間に行くと
父がビデオを見て自慰行為。
でも以前に僕の前で出した時とはマルで表情が違ってました。
僕はその父の表情が忘れられませんでした。
またある時、父は知らない女性を家に連れて来ました。
いわゆる娼婦のような女性でした。
僕の前でセックスをしました。(倍の金を払ったと後で聞きました。)
でも父に愛撫されるあの女性になりたい、と思うだけでした。
高校生になる頃にはゲイが異常だという認識はハッキリ持ってました。
クラスメイトが彼女とのセックスを自慢するのを聞いても
そのクラスメイトの表情や自慰行為を想像して勃起していました。
父には全てを話していましたが
他の人には言えない苦しさがありました。
父は最初の1回きりイカせてくれませんでしたが
ノーマルな性欲を持たせる事は諦めたようでした。
今ほどネットは盛んじゃない時代でしたから出会いはありません。
そんな頃、駅のトイレの壁に貼られたエッチな小さい広告の中に
男性モデルが映った物がありました。
いわゆるゲイショップの広告でした。
幸いにもアメリカ人の血を持つ僕は
体格もそこそこ大きくて高校生には見られませんでした。
僕は勇気を出してそのゲイショップへ行きました。
そこには父(男)の手でイカせてもらう以上の衝撃がありました。
男性同士のセックスがある事を知ってしまったのです。
雑誌を買って家に戻ると父はいませんでしたから雑誌を夢中で見ました。
雑誌を見て自慰行為をしている最中に父が帰って来ました。
あわてて隠しましたがバレました。
2度とゲイショップには行かないように言われました。
僕は自分がこうなってしまったのは父の責任だ、と
泣きながら言ったと思います。
父は辛かったと思います。でも事実でした。
その夜は父が一緒に風呂に入ろう、と
僕を誘いましたが断わりました。
ゲイショップの件で言い合った後に
父を見て勃起する訳にはいきませんでした。
でも父は強引に誘ってきました。
体を洗う父に背中を向けて僕は湯舟の中にいました。
お前は男が好きなんだな、
それはもう変わらないんだな、と言われました。
僕は無反応だったと思いますが父は僕に言いました。
20才になるまでは俺に責任があるから
ゲイショップへは行ってはいけない、と。
父は母と別れてから1度も結婚しませんでした。
長い間恋愛もなかったそうです。僕のためだと思います。
僕は父が男としても父としても好きでしたから承諾しました。
若い内は自慰行為で十分だ、俺だって自分でやってる、
みたいな話もしてくれました。
父は週に1,2回は自慰行為をしていたと思います。
決まって夜中に居間でやってました。
居間の他には僕が寝てる部屋しかないからです。
何度かこっそり見てました。父も気付いていたと思います。
と言うよりわざと見せようとしていたような気がします。
何度目かに覗いていた時に我慢できなくなって居間に突入しました。
それから僕が家を出るまで週に1度は父と自慰行為をしました。
自慰行為以外の事は一切ありませんでした。
父の自慰行為を見るだけの事もありました。
父が疲れている時は僕だけがやった事もあります。
父に見られながら絶頂を迎える気分は恥ずかしいけど最高でした。
父は僕の「オナペット」になってくれたんだと思います。
父は僕を大学まで出してくれて
僕は社会人になると同時に家を出ました。
父は何度か女性とつき合ったようですが独身のままです。
僕はセックスよりも自慰行為に感じるようになっていました。
ソフトなエッチを好む相手を選んで
そこそこ遅咲きなりに楽しみました。
僕が30才になる少し前にアメリカに転勤になりました。
しばらく会えなくなる父を温泉に招待して
2人で昔話をして盛り上がりました。
大人になったお前の自慰行為を見せてほしい、
と父に言われた時は僕は涙が止まりませんでした。
父は抱きしめてくれました。僕は本当に大泣き状態でした。
父の30代の貴重な時間を僕が奪ってしまった事を謝りました。
お前と過ごした時間も貴重だ、みたいな事を言われました。
50才を過ぎた父と自慰行為をしました。それが最後の同時自慰です。
僕は今35才。日本に戻って父と暮らし始めました。
今でもたまに父の前でやる事があります。父はやりません。
父ですが僕にとっては兄貴のような存在なんだと思います。
そんな親子はいくら義理の仲とは言え他にはいないと思います。
父も僕の自慰行為をこっそり見ていたそうです。
自慰行為を通して僕の成長を確認していたそうです。
言ってくれれば毎日見せたのに、と言ったらバカ野郎と言われてしまいまし
た。
父は大きな人だと思います。
一般的には曲がった青春(その後も曲がりっぱなし)でしたが
僕自身はけして不幸ではなかったです。
ただ、ある意味では父の精力盛んな時期を
僕との生活で犠牲にしてしまった事と
結果的に父の血が後世に残らないのが心苦しいです。
もちろん僕の血も残りませんが自業自得と言う事で・・・。
それに元は他人だから築けた親子関係なのかもしれません。
父は宅麻伸みたいな感じでした。
もちろん今はオッサンですが格好いいですよ。
そんな父の自慰行為やセックスを鑑賞?できた僕は
それはそれでいい経験でした。
今度また自慰行為、誘ってみます(笑)。
男2人の生活は食生活をはじめ質素になりがちだと思いますが
ノボルさん親子は何も飾らない空間を共有しているようで
うらやましいと思います。
ビデオ撮影は父に言われた事があります。
お前の自慰行為を記録しておけばよかった、って。
自分の行為は客観視した事がないので(当然ですが・・・)
今からでも遅くないよ、と言ってみます。
それにしても若いお父さんですよね。
1人で盛り上がるお父さんを見てみたいです(笑)。
別に感動を呼ぶほどの話ではないですよ。
今まで誰にも言えなかった事ですけど
自分の中で否定形だった過去(たまに現在も?)が
何となく肯定形に変わった気がしています。
ただ、父との関係はあくまでも親子です。
エッチな手段で愛し合う事はないと思います。
僕は本当の父も兄も知らずに育ちましたが
その両方を手に入れたと思っています。
そして父は何をどう間違ってもゲイではないので・・・。
でも父には早い段階でカミングアウトしていて
それはそれでよかったと思っています。
それまで母が間にいましたが2人になると
「おはよう」とか「いってきます」ぐらいの
会話とは呼べない会話しかない時期が長くありました。
今になって思うと父は母と結婚した訳ですから
僕を捨てる事もできたと思います。
でも父は努力してくれました。
小学校の卒業式で泣いてくれました。
壇上で証書を受け取って振り返ると
父は僕がひと目で気付くように緑のスーツ。
なんとか僕と本当の親子になりたいと真剣に考えていたそうです。
中学生になると時々勃起する事もありましたが
病気じゃないかと思ってました。
父に僕から初めて内容のある話をした話題は「勃起」でした(笑)。
その時の父は勃起が病気じゃない事を証明するために
僕の前で勃起させました。
もう、衝撃でした。形も大きさも僕とは違いましたが
大人(34か35才)の勃起したモノでした。
でも、それが僕のゲイへの出発地点だったと思います。
どうして勃起するのか?
その答えは意外にも保健体育の授業でした。
でも液体が出る仕組みがどうしても理解できなくて父に聞きました。
朝起きた時にパンツが濡れてる事ないか?と聞かれました。
確かに濡れたパンツを父にバレないように洗った事がありました。
それは寝小便じゃなかったのです。
父も同じ状況があるのか聞いたら答えはノーでした。
父に自慰行為を教えてもらったのはその時でした。
父は僕の前で勃起させたモノをいじり始めました。
そして勢いよく液体が飛び出しました。
自分で出す人は勝手に寝てる間に出ないと言ってました。
僕も自分で出したいと思いましたが勃起しません。
父は僕にしてはいけない事をしてしまったのです。
それは父の愛撫でした。
父は僕の下半身を裸にしていじくり回しました。
そして父の手の上下運動で出してしまったのです。
学校で誰にも言ってはいけない、と固く口止めされましたが・・・。
父にイカせてもらって以来その気持よさに参ってしまいました。
父を見ると勃起する事が多くなりました。
また出してほしい、と頼んでも父は断わり続けました。
さすがに父も失敗したと思ったらしいです。
当時のエロ雑誌(GOROとか・・・古い)を買って僕にくれました。
異性の裸を見て自分でやれ、って事です。
でも異性の裸を見ても勃起しませんでした。
僕は戻れない道に迷い込んでしまってました。
父にイカせてもらう場面を想像して自分で抜きました。
父にもそう話しました。1度はひどく叱られました。
それは異常な事だと何度も繰り返し言われました。
でも父を見ると、父の事を考えると体が勝手に反応して勃起。
そして父は更なる作戦を考えて実行しました。
父はゲイではありません。完全なノーマルです。
僕をノーマルな道に戻そうと必死だったと思います。
ある時、父は僕を居間に呼びました。
エロビデオを僕に見せたのです。
内容なソフトな物でしたがモザイクのない裏モノでした。
男は女に、女は男に感じて興奮するんだ、それが普通なんだ。
父は僕にそう訴えかけましたが僕は半泣き状態だったと思います。
そして、夜中に何か気配を感じて居間に行くと
父がビデオを見て自慰行為。
でも以前に僕の前で出した時とはマルで表情が違ってました。
僕はその父の表情が忘れられませんでした。
またある時、父は知らない女性を家に連れて来ました。
いわゆる娼婦のような女性でした。
僕の前でセックスをしました。(倍の金を払ったと後で聞きました。)
でも父に愛撫されるあの女性になりたい、と思うだけでした。
高校生になる頃にはゲイが異常だという認識はハッキリ持ってました。
クラスメイトが彼女とのセックスを自慢するのを聞いても
そのクラスメイトの表情や自慰行為を想像して勃起していました。
父には全てを話していましたが
他の人には言えない苦しさがありました。
父は最初の1回きりイカせてくれませんでしたが
ノーマルな性欲を持たせる事は諦めたようでした。
今ほどネットは盛んじゃない時代でしたから出会いはありません。
そんな頃、駅のトイレの壁に貼られたエッチな小さい広告の中に
男性モデルが映った物がありました。
いわゆるゲイショップの広告でした。
幸いにもアメリカ人の血を持つ僕は
体格もそこそこ大きくて高校生には見られませんでした。
僕は勇気を出してそのゲイショップへ行きました。
そこには父(男)の手でイカせてもらう以上の衝撃がありました。
男性同士のセックスがある事を知ってしまったのです。
雑誌を買って家に戻ると父はいませんでしたから雑誌を夢中で見ました。
雑誌を見て自慰行為をしている最中に父が帰って来ました。
あわてて隠しましたがバレました。
2度とゲイショップには行かないように言われました。
僕は自分がこうなってしまったのは父の責任だ、と
泣きながら言ったと思います。
父は辛かったと思います。でも事実でした。
その夜は父が一緒に風呂に入ろう、と
僕を誘いましたが断わりました。
ゲイショップの件で言い合った後に
父を見て勃起する訳にはいきませんでした。
でも父は強引に誘ってきました。
体を洗う父に背中を向けて僕は湯舟の中にいました。
お前は男が好きなんだな、
それはもう変わらないんだな、と言われました。
僕は無反応だったと思いますが父は僕に言いました。
20才になるまでは俺に責任があるから
ゲイショップへは行ってはいけない、と。
父は母と別れてから1度も結婚しませんでした。
長い間恋愛もなかったそうです。僕のためだと思います。
僕は父が男としても父としても好きでしたから承諾しました。
若い内は自慰行為で十分だ、俺だって自分でやってる、
みたいな話もしてくれました。
父は週に1,2回は自慰行為をしていたと思います。
決まって夜中に居間でやってました。
居間の他には僕が寝てる部屋しかないからです。
何度かこっそり見てました。父も気付いていたと思います。
と言うよりわざと見せようとしていたような気がします。
何度目かに覗いていた時に我慢できなくなって居間に突入しました。
それから僕が家を出るまで週に1度は父と自慰行為をしました。
自慰行為以外の事は一切ありませんでした。
父の自慰行為を見るだけの事もありました。
父が疲れている時は僕だけがやった事もあります。
父に見られながら絶頂を迎える気分は恥ずかしいけど最高でした。
父は僕の「オナペット」になってくれたんだと思います。
父は僕を大学まで出してくれて
僕は社会人になると同時に家を出ました。
父は何度か女性とつき合ったようですが独身のままです。
僕はセックスよりも自慰行為に感じるようになっていました。
ソフトなエッチを好む相手を選んで
そこそこ遅咲きなりに楽しみました。
僕が30才になる少し前にアメリカに転勤になりました。
しばらく会えなくなる父を温泉に招待して
2人で昔話をして盛り上がりました。
大人になったお前の自慰行為を見せてほしい、
と父に言われた時は僕は涙が止まりませんでした。
父は抱きしめてくれました。僕は本当に大泣き状態でした。
父の30代の貴重な時間を僕が奪ってしまった事を謝りました。
お前と過ごした時間も貴重だ、みたいな事を言われました。
50才を過ぎた父と自慰行為をしました。それが最後の同時自慰です。
僕は今35才。日本に戻って父と暮らし始めました。
今でもたまに父の前でやる事があります。父はやりません。
父ですが僕にとっては兄貴のような存在なんだと思います。
そんな親子はいくら義理の仲とは言え他にはいないと思います。
父も僕の自慰行為をこっそり見ていたそうです。
自慰行為を通して僕の成長を確認していたそうです。
言ってくれれば毎日見せたのに、と言ったらバカ野郎と言われてしまいまし
た。
父は大きな人だと思います。
一般的には曲がった青春(その後も曲がりっぱなし)でしたが
僕自身はけして不幸ではなかったです。
ただ、ある意味では父の精力盛んな時期を
僕との生活で犠牲にしてしまった事と
結果的に父の血が後世に残らないのが心苦しいです。
もちろん僕の血も残りませんが自業自得と言う事で・・・。
それに元は他人だから築けた親子関係なのかもしれません。
父は宅麻伸みたいな感じでした。
もちろん今はオッサンですが格好いいですよ。
そんな父の自慰行為やセックスを鑑賞?できた僕は
それはそれでいい経験でした。
今度また自慰行為、誘ってみます(笑)。
男2人の生活は食生活をはじめ質素になりがちだと思いますが
ノボルさん親子は何も飾らない空間を共有しているようで
うらやましいと思います。
ビデオ撮影は父に言われた事があります。
お前の自慰行為を記録しておけばよかった、って。
自分の行為は客観視した事がないので(当然ですが・・・)
今からでも遅くないよ、と言ってみます。
それにしても若いお父さんですよね。
1人で盛り上がるお父さんを見てみたいです(笑)。
別に感動を呼ぶほどの話ではないですよ。
今まで誰にも言えなかった事ですけど
自分の中で否定形だった過去(たまに現在も?)が
何となく肯定形に変わった気がしています。
ただ、父との関係はあくまでも親子です。
エッチな手段で愛し合う事はないと思います。
僕は本当の父も兄も知らずに育ちましたが
その両方を手に入れたと思っています。
そして父は何をどう間違ってもゲイではないので・・・。
でも父には早い段階でカミングアウトしていて
それはそれでよかったと思っています。
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