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  • 2014⁄02⁄28(Fri)
  • 04:20

宝寿丸(グロ

足利将軍の権威は地に落ち、動乱の世とか戦国とか言われて百年近くになろうとするが、ここ飛騨の山奥でも干戈の音が絶えることはなかった。
永禄8年、飛騨国の西部に位置する白川城の城主、萩原刑部承高徳は、今まさにその戦国の悲哀を味わいつつあった。家臣であり、妻の兄でもあった古川小島城の細江影近の軍に包囲され、援軍も望めず、完全に進退極まってしまったのである。
包囲されて半年、兵糧も底を尽き、明日は城外での最後の決戦に打って出る決意を固めた高徳は、その晩、ただ1人の実子である9歳の宝寿丸を呼び寄せた。
「宝寿丸。おまえは城を出ろ。禅定寺に落ち延びろ。」
「嫌で御座いまする。お父上といっしょに戦いとう御座いまする。」
「駄目だ。この戦は我らの負けじゃ。影近は我ら一族を皆殺しにするだろう。おまえが死んでは萩原家が絶えてしまう。」
「城を抜け出しても、すぐに捕まってしまいまする。」
「誰も知らない間道があるのだ。忍びの心得のある安兵衛が手引する段取りが出来ている。乳母のお満がついていく。おまえが百姓娘の姿をしていけば分かるまい。」
「宝寿丸は武士に御座りまする。おなごのなりなど出来ませぬ。」
「父の最後の命令じゃ。行け。お満、頼んだぞ。」
こう言うと高徳は部屋から出ていった。

月が落ちて真闇となった白川城の搦め手に、3つの黒い影が浮かんだ。笹の葉ずれの音がかすかに聞こえる。
と、突然「がらーん、ごろーん。」という大音響が響き渡った。
はるか谷底の方から、「誰か忍び出たぞー。急げー。」という声がする。
「しまった。見つかってしまいました。お二人はこちらの道を下りてください。拙者がここで食い止めまする。」
「安兵衛も一緒に。」これは乳母の声。
「それでは駄目で御座る。ここに拙者が残れば、敵も相手は1人と思いましょう。さあ、早く。」
黒い影が、二つと一つに分かれた。

東の空が白み始めた頃、白川城の麓に鬨の声が上がった。萩原軍が城門を開いて総攻撃に打って出たのである。
朝霧の中、先陣を切るのは、高徳の弟の荻原高通。続いて家老の加藤道綱。その後に高徳が続いた。篭城を断念した乾坤一擲の総攻撃である。
しかし、細江影近軍の包囲は堅く、まず高通、そして道綱も討ち死に。荻原軍の先頭で突き進むのは高徳自身となったそのとき、火縄銃の音とともに、高徳の乗馬が突然崩れ落ちた。
高徳は、切り株の上に真逆さまに落ちていった。遠ざかる意識の中で、
「しめた。殺すな。生け捕りにせよ。」
という声が聞こえたような気がした。


(その二)

戦が終わって半月が経った。総大将を生け捕りにされた萩原軍は総崩れになり、白川城も炎上することなく、そのままそっくり細江影近の手に落ちた。
半年の戦の間にすっかり荒廃した城下にも、町民が戻ってきて、再建の槌音が響き始めた頃、町の一角の空き地に、突然竹矢来が張り巡らされた。
何事かと集まってきた町民や百姓たちの目に入ったのは、磔柱に付けられたかっての領主、萩原高徳の姿であった。高徳は、白い褌一つの姿で、空中高く大の字にされている。
足元には、長槍を持った足軽が2人、そして、真正面の床几に腰を掛けているのは、かっての家臣細江影近である。
「高徳殿、最後に良いものを見せて進ぜよう。」
と、影近が言うと、隅から1人の百姓娘が引き出されてきた。その娘の顔を見た高徳の顔色が変わった。百姓娘に見えたのは嫡男宝寿丸だったのである。
「ど、どうするつもりだ。」磔柱の上の高徳の声が上ずっている。
「ははは、昨日、山を越えた益田にある祠に隠れているのを見つけたのよ。益田を支配する三木一族とは、実は実懇の仲なのでな。譲り受けたわけよ。これで萩原の家も終りだな。」
「こ、殺すのか。」
「それはどうかな。いずれにしても萩原家は消えてなくなるとだけ言って置こう。さあ、やれ。」
影近は、足軽に命令した。
足軽が長槍を高徳の顔の前で交差させる。そしていったん左右に分かれたかと思うと、長槍を高徳の左右の脇腹に深々と差し込んだ。
「父上ーー。」宝寿丸が絶叫した。

天守閣というにはあまりにも小さいが、一応物見台が屋根の上に付いた建物は、白川城の中心として、かっては重臣の寄り合いなどが行われた場所である。
そこで影近が、戦奉行の森部秀成となにやら談合をしている。
「宝寿丸をどうする。」
「萩原家の断絶は譲れませぬな。」
「なら、やっぱり殺すか。妹の子なのでできればと思わんでもないのだが。」
「いえ、拙者に良い案が御座る。今、この戦で傷ついた者の手当に為に、明の国の医師、宗舜功を呼んでておりまする。舜功によりますと明国には、宮と申しまして、こちらで言う羅切、つまり魔羅を切り落とす術があるとか。舜功もその心得があるそうなので、やらせてみてはと。」
「なるほど、で、そのあとはどうする。」
「飯尾宗碩という南蛮人と広く商いをしている堺商人がおります。その者によりますと、見目麗しい稚児は澳門とかで南蛮人が高く買うとか。今、手代の者数人が供の野武士と一緒に荷駄を持って城下に来ておりますので、海の向こうの南蛮人に売ってしまえば、もう我々には後腐れ御座りませぬ。」
「なるほど、手回しの良いことよ。早速取り計らってくれ。」
「承知つかまつりました。」
「おなごに化けて逃げていたのだから、魔羅を切られても恨むのは筋違いというものよ。は、は、は、これはいい。」

ここは城内にいくつかある粗末な小屋の一つ。床には大の字の木組みが置かれ、そこに素っ裸にされた宝寿丸が、仰向けに寝かされている。
口には猿轡を嵌められていて、何か言っているのだが声にならない。
宗舜功は、最初に宝寿丸の股間を念入りに洗った。それから宝寿丸の魔羅の根元を固く紐で結ぶ。こうすることによって、恐怖に震えて萎えていた股間の一物が、小さいながらもそそり立ってくる。
舜功は、小さな刃物を持って宝寿丸に近づく。
「なかなかの美形じゃ。」
傍らの飯尾宗碩の手代がうなずく。
舜功は左手を出して、素手で宝寿丸の魔羅を掴む。
一瞬の後、舜功の右手の刃物が一閃し、あっという間に宝寿丸の魔羅を根元から切り落としていた。

「ぎゃー」
猿轡の間から悲鳴にならない声が漏れた。
「お見事!」
これは手代の声。
そのまま宝寿丸は失神したらしい。
今まで魔羅があったところからは、ドクドクドクとおびただしい量の血が流れ出てきて、床を朱に染めていっている。
しかし、舜功はまったく慌てず、宝寿丸の股間に手を入れて尿道を探り出し、そこに金物の棒を突っ込んだ。
それから、熱く煮た油で傷口の手当をする。
血が流れ出さなくなると、先ほどの油に白い布を浸してから、それで宝寿丸の下腹部全体を包んだ。

「これが『宮』の心得じゃ。ふた月ほどこのまま寝かしておけば、傷も塞がって平戸まで歩いても平気になるじゃろう。」
手代が聞く。
「南蛮人にはあと2人ほど都合をつけたいのですが、舜功殿に宮の術をお頼み申し上げてよろしいでしょうか。」
そう言いながら、手代は舜功に銀の板を握らせた。
「まだ十日ほどはここにご厄介になる予定じゃで、めぼしい餓鬼がいたら連れてきなさい。」
こう言って、舜功は去っていった。


(その三)

播磨国から備前国に抜ける途中の船坂峠に、異様な風体の集団が差し掛かった。
商人らしき者の後に荷駄を積んだ馬が5頭、馬子に引かれて進む。その横に警護の野武士が3人、そしてその後から、両腕を背中で縛られて縄を掛けられた少年が3人歩いていく。先頭はあの宝寿丸である。3人は縄で繋がれ、縄の前後の端を2人の野武士が持っている。
少年たちの首と背中の両手首には、鉄の輪が嵌められていて、それが鎖で結ばれている。
この時代、捕らえた女を売るために縛って連れ歩くのは珍しくなかったが、少年を連れ歩いていることや、鉄の輪と鎖が嵌められているのは珍しく、すれ違う旅人の注目を集めている。
荷駄の横で警護していた野武士が、少年の前で縄の端を持つ別の野武士に話し掛けた。荷駄警護の野武士は峠の麓の有年の村で雇われたばかり。もう1人の野武士は、飛騨からずっと付き添ってきていた。
「うしろのやつらは南蛮船に売られるんだってなあ。」
「そうさ、南蛮人は魔羅を切られた稚児がお好きなんだとよ。」
「へえ、魔羅を切られているのか。じゃあ、立小便もできないわけだ。」
「両手の鉄の輪を開く鍵は、平戸で待つ南蛮船のカピタンしか持っていないそうな。だから宿で寝るときも縛られたままで、小便のときはそのまましゃがませているのよ。」
「褌はどうすんだ。」
「着物の下は素っ裸よ。ほら。」
野武士が宝寿丸の着物の裾をめくり上げると、股間が丸出しになった。そこには男のものはなく、その位置は、ちょうどナルトを叩き潰したような傷が見えるだけである。
「やめろ。」宝寿丸は叫んだ。
「ははは、悪かったな。」
と野武士が言ったとたん、前方で声があがった。
「盗賊だー。」
と、同時に矢が数本飛んで来た。
野武士は、宝寿丸たちを結んでいる縄を離すと、腰の刀を抜く。
左の崖から鬨の声が上がり、10人ほどの山賊が駆け下りてきた。
野武士たちが刀を構える。すぐにその場で切りあいが始まったが、倍の数の敵を前にして、野武士たちの形成不利は否めない。

そのとき、
「今なら逃げれる。」
「おう。」
宝寿丸たち3人は、もと来た道を必死に駆け下り始めた。気づいた野武士のうちの1人が、山賊との切りあいをやめて3人を追い始めた。3人の行く手の眼下に白く光るのは、中国山地から流れくる千種川である。背後に追っ手が迫る。
宝寿丸は、後手に縛られたまま、千種川に飛び込んだ。
川は、折からの雨で増水している。濁流に飲まれた宝寿丸たちの姿は、すぐに見えなくなった。
「これでは助かるまい。南蛮人から金をもらい損なった。宗碩様も大損じゃ。それより荷駄が心配だ。」
と、言いながら、野武士は峠に向かって引上げていった。


(その四)

天正13年、関白叙任されたばかりの羽柴秀吉は、越中の佐々成政を攻めるとともに、成政と同盟関係にあった細江影近を始めとする飛騨の諸将に対し総攻撃を仕掛けてきた。
秀吉の掌中にあった加賀からの攻撃ルートの最初に位置したのが、影近の居城である白川城である。
篭城戦を決意した影近が、城内をまわっていると、足軽2人が立話をしている。
「この城を取り囲んでいる小寺軍の侍大将は、魔羅がないそうだ。」
「そりゃまあ、どうして。」
「よくわからないが餓鬼の頃に切られたらしい。それで小寺の殿様に拾われて、お側衆を勤めるうちに見込まれて、殿様の御養子にまでなったそうだ。」
「そんな男をどうして御養子に。」
「子供が作れないから領地をいくら与えても一代限り、最後は本家に戻ってくるからという噂だ。」
「それで、その小寺の侍大将は強いのか。」
「強いも何も百戦全勝という評判じゃ。で、敵の大将を捕虜にしても殺さずに魔羅を切って家臣になるなら許すらしい。このお城もどうなることやら。」
「おれたち足軽も魔羅を取られるのか。」
「いやあ、お殿様や御家老様だけだろ。」

物陰で聞いていた影近が堪えられなくなって、声をかける。
「そこの足軽。今の話は本当か。」
突然、目の前に殿様が現れたので足軽たちは仰天した。
「ははぁー。も、申し訳御座いません。ほ、ほんの戯言で。」
「咎めたりはぜん。まことの話がどうか聞いているのじゃ。」
「いえ、どうぞ忘れてくださりませ。」
「どうなのじゃ。まことの話でないなら手打ちにいたすぞ。」
「ど、どうかお許しを。砺波からこちらの山中で知らぬ者はおりませぬ。まことの話に御座りまする。」
影近は、わなわなと震えだした。
「ほ、宝寿丸・・・・・・。」
「と、殿?。」
影近は足軽の言葉も聞こえない様子で、ふらふらと城門に向かって歩いていった。

その夜、影近の姿が突然城内から消えた。
総大将を失った白川城は、その2日後に到着した小寺軍の総攻撃により、わずか半日で落城した。
森部秀成は自害し果てたが、細江影近の行方は遥として知れなかった。

天正18年、天下統一目前の豊臣秀吉軍に囲まれた小田原の町に、魔羅のない気違い乞食がいたと言う。何でも5年ほど前に錯乱して自分で羅切したとの噂だった。
この乞食が、果たして細江影近だったのかどうかは、今日に至るも謎のままである。
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