- 2013⁄06⁄20(Thu)
- 01:43
生きていてほしかった… 神貴
俺は小学三年の時母を病気で亡くした。父や祖父母は俺が産まれる前から居なかったため、俺は親戚に預けられた。親戚には母方の兄(叔父)と叔母とその息子(当時高校2年)隆兄がいた。
叔父と叔母は俺をあまり歓迎してくれず、俺は毎日暴言ばかり言われてこき使われていた。
そんな中唯一優しくしてくれたのは隆兄だけだった。叔父に殴られそうになってかばってくれた時や母を思い出して泣き疲れた晩、添い寝してくれたのを今でも忘れない。隆兄は学校でテニス部副キャプテンをしていて、成績も学年四位と優秀、優しくて格好良いので評判だった。 >続く
叔父と叔母は俺をあまり歓迎してくれず、俺は毎日暴言ばかり言われてこき使われていた。
そんな中唯一優しくしてくれたのは隆兄だけだった。叔父に殴られそうになってかばってくれた時や母を思い出して泣き疲れた晩、添い寝してくれたのを今でも忘れない。隆兄は学校でテニス部副キャプテンをしていて、成績も学年四位と優秀、優しくて格好良いので評判だった。 >続く
隆兄はまだ幼い俺に色々教えてくれた。
オナニーのやり方(勃起はしないが…)勃起をしたらどんな風になるか、アナルで感じる場所(今思えば単に隆兄の趣味カモ)
隆兄はノンケだったが俺とはよく指セックスをした。生を挿入するのは俺には凄い負担になるから、もう何年かたってからという事で、指と舌だけにしてくれたのだ。
苦しい生活も隆兄が居れば平気だった。
俺は隆兄を世界中の誰よりも愛していた。
そして、話は飛び、俺は12歳になり隆兄は大学3年になった。
俺はまだ勃起はしていなかったが、普通に隆兄の指が3~4本ぐらい入るようになったので、そろそろ生でいってもいけるという事…
ゆっくり 慣らしながら隆兄のモノが入ってくる。入り口が少し痛かった。
でも血は出ていなかったので どんどん挿入を進めていった。
途中、隆兄が背中をさすったり キスしたりして 俺をリラックスさせてくれたおかげもあって 隆兄のモノは、俺の奥まで埋まった。
挿入し終わって、隆兄は俺を気遣ってしばらくじっとしていてくれた。
でも俺はこらえきれなくなって、先に腰をふりだした。
そうなったら隆兄も我慢がきかなくなり、俺を騎乗位にして 俺のまだ立たないモノを手でこすりながら 激しく腰をふった。俺は 言い表せない快感 で気を失いかけた。
隆兄は俺の中で果てた…そして、その日が俺の初めての射精日となり、隆兄との最後のセックスとなった…
その翌日、隆兄は電車で彼の義理の曾お婆さんの見舞いに行った。
曾お婆さんはもう寝たきりで人の名前を覚えるのも困難な状況になっていたらしい。
俺は何か嫌な予感がして、隆兄が出る前に玄関先で、行かないでほしいと だだをこねたのを覚えている。
…嫌な予感は的中した。1995年1月、阪神淡路大震災。
家でニュースを見ていた俺は目の前が真っ暗になった。
まさか次に会う姿が遺体でなんて…あの時ああしてれば良かった、もっと一緒に居たかった。
…俺は最愛の人を亡くしてしまった…今から10年前の出来事、今思い出しても胸が苦しくなる
…俺の従兄弟の(隆、たか)兄さんが亡くなりました。救急隊員が言うに、発見された時、隆兄はまだ生きていたんです。でも折れた木材が肩をえぐっていて、大量出血で救急車の中で息を引き取ったとの事です。引き取る前に隆兄は俺の名前を呼んでいたと聞いた時は何日も隆兄の布団の中で亡き叫びました…。
オナニーのやり方(勃起はしないが…)勃起をしたらどんな風になるか、アナルで感じる場所(今思えば単に隆兄の趣味カモ)
隆兄はノンケだったが俺とはよく指セックスをした。生を挿入するのは俺には凄い負担になるから、もう何年かたってからという事で、指と舌だけにしてくれたのだ。
苦しい生活も隆兄が居れば平気だった。
俺は隆兄を世界中の誰よりも愛していた。
そして、話は飛び、俺は12歳になり隆兄は大学3年になった。
俺はまだ勃起はしていなかったが、普通に隆兄の指が3~4本ぐらい入るようになったので、そろそろ生でいってもいけるという事…
ゆっくり 慣らしながら隆兄のモノが入ってくる。入り口が少し痛かった。
でも血は出ていなかったので どんどん挿入を進めていった。
途中、隆兄が背中をさすったり キスしたりして 俺をリラックスさせてくれたおかげもあって 隆兄のモノは、俺の奥まで埋まった。
挿入し終わって、隆兄は俺を気遣ってしばらくじっとしていてくれた。
でも俺はこらえきれなくなって、先に腰をふりだした。
そうなったら隆兄も我慢がきかなくなり、俺を騎乗位にして 俺のまだ立たないモノを手でこすりながら 激しく腰をふった。俺は 言い表せない快感 で気を失いかけた。
隆兄は俺の中で果てた…そして、その日が俺の初めての射精日となり、隆兄との最後のセックスとなった…
その翌日、隆兄は電車で彼の義理の曾お婆さんの見舞いに行った。
曾お婆さんはもう寝たきりで人の名前を覚えるのも困難な状況になっていたらしい。
俺は何か嫌な予感がして、隆兄が出る前に玄関先で、行かないでほしいと だだをこねたのを覚えている。
…嫌な予感は的中した。1995年1月、阪神淡路大震災。
家でニュースを見ていた俺は目の前が真っ暗になった。
まさか次に会う姿が遺体でなんて…あの時ああしてれば良かった、もっと一緒に居たかった。
…俺は最愛の人を亡くしてしまった…今から10年前の出来事、今思い出しても胸が苦しくなる
…俺の従兄弟の(隆、たか)兄さんが亡くなりました。救急隊員が言うに、発見された時、隆兄はまだ生きていたんです。でも折れた木材が肩をえぐっていて、大量出血で救急車の中で息を引き取ったとの事です。引き取る前に隆兄は俺の名前を呼んでいたと聞いた時は何日も隆兄の布団の中で亡き叫びました…。
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