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  • 2010⁄08⁄25(Wed)
  • 00:30

奉仕奴隷マコトの調教 まこと

その日も、いつものように部屋に行き、同級生2人に奉仕してたら、
亀山が「コレを着ろ」ってジーパンを短く切った短パンとサッカーのストッキングを渡しました。
短パンはすごく短く切ってあって、ケツが半分出るくらいで、前は玉がやっと隠れる程度でした。
それを履く前に僕のあそこはギンギンにたてられて根本はサッカーシューズの紐で縛れていて、
短パンの上からもくっきりわかるほどでした。もちろんシャツは着せてもらえませんでした。
小学生や中学生が半ズボンにハイソックスでもおかしくないし、グランドとかなら恥ずかしくないけど、
友だちの部屋でそんな格好はすごく恥ずかしかしく惨めでした。
さらに亀山は、「いまからサッカー部の1年が来るから、
まことは俺たちに会わせて絶対俺たちの奴隷だって分からないようにしろ」
と命令されました。それから少しして、後輩が2人遊びに来ました。
顔は見たことあるけど名前も分からないし話したこともない奴等でした。
栗田が「おまえら初めてだよな、テニス部の2年生のまこと。
まこと、サッカー部の1年の福田と山崎」って紹介しました。
命令がありますから僕は「やあ」なんて、一応学校の先輩のように接しました。
でも、恥ずかしいかっこうしてるのみて、2人とも変な顔してました。でも、聞くに聞けない感じでした。
ほんとに初めはこうしていじめられること嫌でした。
でもそれが毎日になるとだんだん快感になるみたいで、自分から求めているのも分かりました。
後輩2人がきて、4人で麻雀を始めました。
僕は、恥ずかしいカッコウのままその4人にジュースを出したりしてました。
亀山も普通をよそおって、「悪いなまこと、ジュース持って来てくれない」
なんて、後輩の前では奴隷だということがわからないように、接しました。栗田もです。
でも、僕のカッコウはすごく短くカットしたジーパンの半ズボンに、
栗田のサッカーストッキングという恥ずかしいものですから、麻雀に飽きた頃、
後輩の福田が「まこと先輩は、いつもそんなカッコウ何ですか?」と聞いてきたのです。
どっきとして、どう答えようかともじもじしてたら、
栗田が「まことはテニス部だから半ズボン好きなんだよな」と言いました。
後輩の山崎は「でも、そのソックス、サーカーのでしょ」というと、亀山が
「こういうカッコウみんなに見てもらうのが好きなんだよ、な、まこと」と強く言いました。
このときの言い方や、僕を見た目は完全にご主人様になっていて、普通を装うのはこれまでって言う感じでした。
僕も「はい、そうです」と敬語を使ってしまいました。それをきいて、亀山は
「まことは、こういうカッコウだけじゃなくて、
ほんとはすべて見てもらいたいんだろう」などと言い始めたのです。
もじもじしてると、栗田が僕の後ろに回って、半ズボンのすそをぐいっと持ち上げました。
それでも小さい短パンなのに、前からたまが出てしまいました。
「やめてください」と一応はいったけど、栗田も亀山もやめません。
短パンの裾からチンポをとりだして後輩のまえにさらされました。
毛が剃られ、根本を縛られたビンビンのチンポを。
「な、こいつ変態なんだぜ」と言いながら亀山は、後輩たちに僕のチンポを見せつけました。
こうして、僕は後輩たちの奴隷にもなりました。
亀山がまことをおもちゃにしていることは、学校の他の奴には内緒というルールをつくっていたので、
後輩たちも栗田の部屋で僕をいたぶることが主でしたが、
福田や山崎は学校でも他の人がいないといろいろ命令とかしてきました。
他の人がいると言葉遣いも「まこと先輩」などと敬語を使うけれど、
屋上とかトイレとか、サッカー部の部室などで、
他の奴がいないと僕を裸にしたり、自分たちのものをしゃぶらせたりしました。
もちろん、ザーメンも飲まされました。
誰もいないときとはいっても、学校ではいつ誰が来るか分からずすごくはらはらしましたが、
それがまた興奮にもつながってることにだんだん気づきました。
山崎は僕のフェラで出すのが好きで、口の中に出した後「まだ飲むな」と命令し、
口を開けさせて口の中にたまっているザーメンを見て笑ったりしました。
もちろん、栗田の部屋では、後輩の2人からけつにも種付けされました。
栗田と亀山は最後までけして僕のけつは使いませんでしたが、後輩には命令して僕を犯させました。
それを見ながらいろいろ僕に罵声を浴びせて楽しんでいるようでした。
ぶうさん、カキコありがとうございます。
僕にとっては、初めすごく屈辱的でしたが、だんだんに快感に変わっていった経験なんです。
サッカー部の同級生と後輩から、いたぶられた2年間は、
きっとこれからの僕の人生をも支配していくんだと思っています。
僕と同級の亀山と後輩の福田は、サッカーがうまく、レギュラーでしたが、
栗田と山崎はレギュラーではありませんでした。
4人は僕をいたぶるとき「この豚野郎」とか「変態」とかの罵声を浴びせました。
たしかに、最初僕がサッカー部の部室に忍び込んで、
かっこいい茂樹先輩のユニフォームでオナニーをしているところを、
栗田と亀山に見つかったんだから、そういう風に言われてもしょうがないと思います。
それに、4人ともホモではなかったので、僕に「変態、ホモ」とかも平気で言ってきました。
ほんとにあの4人にとっては僕は暇つぶしのおもちゃでしか無かったようです。
栗田の部屋での奉仕や後輩たちの性処理などは毎日でした。
冬になっても、僕に許されたカッコウは全裸でした。
ただし、彼らの気分次第で全裸に前掛けだけのカッコウで、彼らのユニフォームを洗濯させられたり、
女子テニス部から持ってきたスカートやルーズソックスなどを履かされて、馬鹿にされたりしました。
でも、彼らは他の奴等には絶対ばれないようにしてくれたのがすくいでした。
というか、僕奴隷にしておくために、他の奴にばらされたくなかったら、言うことを聞けと命令していました。
ただ、僕達が3年になるときの春休みに、5人で東京に遊びに出た時は、
彼らははめをはずして僕を外でも辱めました。
普段は、外に出るときは普通のカッコウをさせてくれたのに、東京は知った奴がいないからです。
東京駅までは僕も普通の高校生のカッコウでした。東京駅についたらトイレに亀山とはいりました。
亀山がバックから出したのはすごく短くジーンズを切った半ズボンとサッカーのストッキングでした。
それに着替えさせられました。もちろん半ズボンの下は何もつけずに。
お尻が出てしまうし、すごく恥ずかしかったです。
上はタンクトップでした。
小中学生ならともかく、高3にもなって、すごく短い半ズボンとハイソックスのカッコウは、屈辱的でした。
それで、夕方のラッシュの山手線とかに乗せられました。
すぐに、痴漢の餌食になって、彼らが見てるところで知らないおっさんたちから悪戯されるのは、
恥ずかしいのですが、興奮しました。
このときのことを、あとでまたくわしくかきます。
東京に連れて行かれて、地元ではできない半露出というか、恥ずかしいカッコウで町を歩かされたり、
満員電車の中で痴漢されたりしたことです。
初日の夜は、都庁のそばの公園に連れて行かれました。
そこのトイレに夜の9時ごろ行ったのですが、おしっこの仕方を亀山に指導されました。
トイレにはいったら短パンを膝までおろし、便器からは30センチくらい離れて、
幼稚園生がおしっこをするように、周りの人に見てもらえと言うモノでした。
命令に逆らえない僕は、その通りにしました。
僕がトイレにはいると、何人かのおじさんがついてきて僕のカッコウをみてさわってきました。
亀山たちの許しがでるまで、30分くらいそこでおじさんたちにさわられ続けました。
それから、少し歩いて、コンビニに行きました。
僕と同じ年くらいの若い人たちがいる店で、雑誌を読むように命じられました。
ジーンズをめちゃくちゃ短く切った短パンとハイソックスの姿に、
「すげー」「変態」「ホモだぜ」などのささやきが浴びせられました。
また、女の子たちも「なに、あれー。気持ち悪い」とか「可愛い顔してんのに服ださい」などと言ってました。
栗田や亀山たちはそれを聞いていて、笑ってました。
すごい屈辱でした。
後輩にけつを犯されるのは、はじめすごく屈辱的でした。
それも、同級のやつに見られながらなので、恥ずかしさも倍増していました。
亀山や栗田は、「もっと声だせ」「女みたいによがってみろ」など、犯される僕を見ながらヤジを飛ばしたり、
犯されている俺の顔をびんたしたりしました。
それに、もう一人の後輩に、口を使わせ、口とけつと両方ふさがれることもよくありました。
同級生の前で、後輩たちからいたぶられるのはすごく恥ずかしかったです。
でも、それが快感に変わって行くんです。
そういう、はずかいいことを求めている自分にだんだん気づいていきました。
それに、普通の人たちの前ではずかしい格好させられることも、興奮しました。
東京は僕にとって、良い経験でした。
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